52話 エピローグ

 オリンピック翌年。

 プロ生活7年目、俺はユースからお世話になっていたステノクから移籍することになった。

 

 イタリア、セリエA。


 オリンピックがきっかけだとは思うが、A代表に定着したことや、ステノクでACLに出場して海外チームとの対戦できたことも要因だろう。


 ステノクでのホームラストマッチ。試合後、移籍する俺のためにクラブはセレモニーを開催してくれた。

 ユース上がりと言うこともあり、サポーターからも随分と残念がられたが、それでも頑張ってこいと背中を押してもらえたのは嬉しかった。


「ゆうくん。準備できてる?」


 玄関で革靴を履いていると、ひなが覗き込むように視界に入ってきた。


「やっぱりスーツの必要ないんじゃないか? みんなラフな格好だよな?」


「だめだよ。だめだめ。空港でも現地でもマスコミが来てるんだよ? 最初の印象って大事なんだからキッチリとしてなきゃ」


 身だしなみをチェックするように少し離れて全身を見ているひな。高校時代はロングだった髪は肩口で揃えられ、緩いウェーブがかかっている。自分もテレビに映るかもしれないとお気に入りのハイウエストの膝丈スカートにニットのシャツ。ジャケットを羽織り大人の女性を演出しているつもりらしい。


「あ、ゆうくん。ネクタイ曲がってるよ」


 パタパタパタ


 俺の正面に立ちネクタイをキュッと締め直すひな。


 パタパタ、すっ


「あっ」


 ネクタイを締め終えて、見上げたひなの顔はすぐに唇が届く距離にある。

 

 ゆっくりと瞳を閉じたひな。


 俺はひなの肩に手を置き……そっと離れると、背後からピンクのスリッパが伸びてきた。


『スパン!』


「いたっ!」


 額を押さえながら瞳を開けたひなが、俺の背後を見て一歩後退。


「ちょっとひな? 何他人の旦那と新婚さんごっこしてるのよ?」


 スリッパ片手に睨みを効かせるまりあにひなは口を尖らせて抗議する。


「ちょっとくらいいいじゃん。きっと、今日初めて会う人は私が奥さんだって思うだろうし?」


「アンタは仕事でしょうが。ゆーとの健康管理以外は気にしなくていいわよ?」


 まりあは俺の腕をギュッと抱きしめながら、ひなを牽制。サイズアップした胸がその存在を強調してくる。


「ぶ〜、いろんな面を管理してこそプロってもんです。まりあちゃんは余計な心配せずに出産に備えてればいいのよ」


 ひなはまりあの手からスリッパを奪いとり足元にそっと置く。


「あ、ありがとう」


 気まずそうにしながらスリッパを履いたまりあに、ひなは朝の体温や血圧など体調をチェックしていく。


 イタリアに移籍が決まってすぐのこと。まりあのお腹の中に新しい命を授かっていることが判明。まりあは一緒にくると言ってくれたが、お義母さんとも話し合った結果、出産後落ち着くまでは実家にお世話になることになった。


 単身赴任となる俺を心配したまりあが、ホテル勤めしていたひなに俺の体調管理を含めた専属のシェフにならないかと話をしたところ、「やりたい!」と即決。イタリアでもお隣さんになることになった。


 目立ちはじめたお腹をそっと撫でながらキスをすると、腕を首に回してそれに応じたまりあ。


「体調管理には気をつけてくれよ。本当はひなにはまりあに付いててもらいたいくらいだ」


「しばらくしたら実家に行くから大丈夫よ。ゆーとは慣れない海外生活になるんだから余計な心配はせずにサッカーに集中しなさい」


「まりあのことが余計なってことはないだろ。必要なことだ」


「そこは言葉のあやってもんでしょ? でも大丈夫よ。離れていても顔は見れるわけだしね」


「ちょ、ちょっと? 私がいるってわかってるかな?」


 まりあを抱きしめながら別れを惜しんでいると、横から呆れた声が聞こえてくる。


「ちょっと、夫婦の営みを邪魔しないでくれるかしら?」


「まりあちゃん⁈ 言葉の使い方ちょっと間違ってないかな?」


「ひな、うるさい」


「ゆうくんまで⁈ ひどいっ!」


 ひなとのじゃれあうようなやり取りは信頼の証だと思っている。


「ひなもそろそろ先のこと考えなさいよ。イタリアの伊達男でも捕まえてみたら?」


 背伸びをしながら俺の頬にチュッと唇をつける、まりあ。


「あ〜〜っ! わざわざ見せつけて! 初恋を拗らせてるのはわかってるの! でも仕方ないじゃない、きっとゆうくんのことは遺伝子レベルで好き———、」


 そう言いながら、ひなの視線がまりあのお腹に向いた。


「はっ! まさかひな、ウチの子を狙ってるわけじゃないわよね? まだどっちかもわかってないんだからね?」


 両手でお腹を守るようにして身体をよじるまりあに、ひなは「……遺伝子」と呟いきながらそっと手を伸ばしてきた。


「はいはい。冗談はそこまで。そろそろ時間だ」


 ひなを先に玄関から出し、最後にまりあとキスをした。


「いってらっしゃい。アナタ」


 満面の笑みで見送ってくれたまりあの表情は、これからの挑戦の不安を一気に拭い去ってしまうような表情だった。


♢♢♢♢♢


 数年後。


 イタリア、トリノの自宅で仲のいい友人を集めて祝勝会での出来事。


「ひなちゃん。ぼくのおよめさんになってください」


 小さな男の子がソファーに座っている、ひなに一輪の花を差し出した。


「ちょっ、ちょっとひーくん?」


 ひなの隣に座っていた、まりあは大慌てだ。かく言う俺もジンジャーエールを吹き出しそうになった。


「ん? ひーくん、私と結婚してくれるの? じゃあ、20年後にもう一回プロポーズしてくれる?」


 慌てる両親をよそに、ひなは俺たちの息子の日向ひなたに微笑みかけた。


「うん! わかった!」


 5歳児らしく元気な返事をした日向は、そのまま、ひなに抱きつく。


「ふふっ。ひーくん、かわいい。そのまま大きくなってね〜」


 優しく日向を撫でる、ひな。


「ひーくん? ママは? ひなちゃんよりママでしょ?」


「ママよりひなちゃんがすき!」


 愛息子の言葉に打ちのめされたまりあは、大きなお腹にも関わらず俺に泣きついてきた。


「ゆーとぉ、ひーくんが、ひーくんが熟女好きになっちゃったよぉ」


「ちょっと、まりあちゃん⁈ 言い方!」


 熟女扱いされたひなが口を尖らせて抗議する。


 数年後、ひなが嫁にくるなんて未来がくるなんて———。

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思わせぶりな幼馴染は俺の親友の彼女 yuzuhiro @yuzuhiro

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