第三十三話 三人

「…………夏葉? おかしなことを言いますね、夏葉はあなたみたいな低身長ではありませんから」


 どうやら、夏葉の死に神は、彼女とは違って高身長のようだ。

 お母さんが保管していた写真立てに収まっていた写真……写っていたのはお母さんが学生の頃、仲良しだったのだろう三人の女の子たち。


 真ん中に立っていた夏葉は、いま目の前にいる夏葉と変わらない。

 それはわたしが彼女のことを知っているから、世界改変に巻き込まれなかった結果と言える。


 お母さんがその写真を見たなら、きっと違う夏葉が写っているのだろう。

 いつもなら、指摘された低身長にすぐにでも憤慨していた夏葉だったが、珍しく冷静な様子を保っていた。


 もしかして、夏葉はお母さんに、自分を思い出させようとしている?

 そんなの不可能だ。


 積み重ねた思い出が多ければ多いほど、深ければ深いほど、覆すのは難しい。

 突然出てきた今の夏葉よりも、お母さんが思い浮かべる夏葉を信じるはずなのだから。


「覚えてる? 夕映夏葉と初めて話した時のこと」


 夏葉は、自分を差してその名を使ったわけではない。

 夕映夏葉の容れ物に収まった死に神を差して呼んでいた。


「覚えてるわ。ただ、それを見ず知らずのあなたに教える必要はない」


 そこをどいてもらえるかしら、とわたしの手を引いて進もうとするお母さんを、夏葉が道を塞いで止めた。


「しつこいわね……!」


 進行方向を変えて、別の道を進もうとしたお母さんを止めたのは、また別の人物だ。

 今度は夏葉とは違い、お母さんにとっても変わりない姿をしたままの、女の子――。


 わたしとひつぎの前にいた時とは違う髪型をしている。

 本来は、結んでいなかったのだ。


 どうして彼女が、霊感がまったくないお母さんに見えているのかは、わたしが傍にいることこそが答えだろう。

 死に神が実体化したなら、必然的に幽霊もまた、実体化する。


「……え。ち、あき……?」


 夜風やかぜ知秋。

 クロスロンドンでわたしとひつぎのクラスメイトであったと同時に、かつて、お母さんの同級生でもあった女の子だ。


「久しぶり……春日」


 向かい合うお母さんと知秋の間に生まれる沈黙……、

 伝わってくる気まずさに、当人でないわたしも思わず逃げ出したくなる重たい空気だった。


 二人は学生の頃、仲良しだった……んだよね? 

 写真を見た限りだと、三人とも笑顔でいたからてっきりそうなのかと思っていたけど……。


 でも、二十年に届く空白がある。

 久しぶりに会ってあの頃と同じように話せるわけではないのかもしれない。


「知秋がいるんだし、聞いたら? 夏葉の名を語る私は、一体誰なのかって」

「……見た目は知秋ね。だからって、昔に死んだ友人を見て、本人だとは思えないわ」


 お母さんは幽霊を見るのが初めてだ……だから尚更、信じられない。


「今は特殊メイクの技術があるわ。真似ようと思えば真似られるし……、

 だとしたら、これは悪質極まりないわ。イタズラで済まされることじゃない……っ」


 そもそも、とお母さんがスマホを取り出した。


「夏葉とは頻繁に連絡を取っているわ。最近だって彼女から写真付きのメールを受け取っているもの。自撮りに、はまっているらしくて、しつこいくらいに送られてくるから鬱陶しくなって返信はしていないけど……証拠ならたくさん持っているわ」


 画面に写っている今の夏葉は、確かに高身長の女性だった。


「あなたとは似ても似つかないわよ……」


 お母さんは一度、知秋を一瞥したものの、同意を求めることはなかった。


「本当に……っ、いい加減にそこをどいて――」

「夕映夏葉と初めて交わした会話のこと、知秋も覚えてるよね?」


「……まあ、ね。私と春日は小学校が同じだったけど、夏葉は違かったから……同じ教室にいた夏葉を……見慣れないからだと思うけど、周りを見ても一際低い身長だったから、春日が冗談で話しかけたんだよね……『小学校低学年?』って」


「制服を着てるのにそう言われたから私も大人げなく怒っちゃって、それからだよ、私と春日と知秋が、一緒にいるようになったのはさ」


 覚えてる? と夏葉。


「……その時は、殴り合いの大喧嘩……になったわよね」


 中学生の時の話だ。

 たかがその程度で……? と思うかもしれないけど、本人たちからすれば真剣だったのだろう。

 その頃から夏葉は、低身長にコンプレックスを持っていた。


「そうよ、あんたも委員長みたいな見た目でメガネをしてるくせに遠慮なく思い切り殴ってきたのよね――顔に痕が残るくらい思い切り」


「学級委員長みたいってよく言われたけど、そんなの勝手にそっちがそう思ってるだけじゃない。そっちの定規で勝手に計って、違うからって文句を言われても知らないわよ」


 元ヤンキーだったお母さん……ただ当時のお母さんは、まだヤンキーになる前だった。

 だけどその時から既に、そういう素質はあったみたい。


 というかお母さん、夏葉の思い出話に同意し始めていることに、気付いているの……?


 夏葉が、薄らと笑みを作った。

 知秋が自覚のないお母さんに向かって、


「ねえ、春日……気付いてないの?」

「なにがよ!!」


 当時を思い出してか、熱くなっているお母さんは本当に気付いていないみたいだ。


「だから……、私たちの思い出を共有してるってこと、認めてるよね……?」


 夏葉を偽物だと言い張ったものの、三人の思い出を共有しているとなれば、本物であることを認めざるを得なくなる。


「ち、違うわよ! 思い出は、調べればいくらでも……」

「いくらでも質問していいよ? なんでも答えられるから」


 お母さんが質問した、三人しか知らない思い出に、夏葉が答えを言い当てる。

 お母さんの表情が曇っていく……それでもまだ信じられないのか、お母さんはあれこれと思い出を夏葉に投げ続けるけど――お母さんが話す思い出はことごとく、避けられない目の前の夏葉の特徴を含んでしまっている。


 言い逃れなんてできないくらいに。


「春日、まだ諦められない?」

「待ちなさいよ……ッ、だって、じゃあ、私が連絡を取り合っている夏葉は……」


 お母さんは、夏葉の身長は低いものだと自分自身で何度も口に出していた。

 思い出がそう固定されてしまっている……。

 死に神が人間に成り代わる時、違和感のないように改変されるものだけど、例外もある。


 夏葉のように、低身長をきっかけにして出会って、作られた絆は、高身長の夏葉では置き換えられず、そのままになってしまう。


 きっかけが狂えばその先も同様に、改変が機能しなくなる。

 意図的に暴こうとしなければ露見しない問題の積み重なりだった……。


 だけど、夏葉が今、こうして暴いたことで、積まれていた問題点が崩れ落ち、お母さんの記憶をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。

 夏葉という二人の人間……ではなく、人間と死に神の像が、明確に別れ始める。


「……夏葉……?」


 お母さんが夏葉本人だと直感で信じたのは――、

 目の前にいる夏葉だった。


「夏葉……で、いいのよね……?」

「最初から私が夏葉だって言ってるでしょ。信じなかったのは春日、あんたよ」


「……本当ね。この目線が、一番しっくりくるわ……」


「早速バカにしてきたわね……って、それよりも。あんたたち、さっさと仲直りしちゃいなさいよ。せっかくだし、普通なら死に別れた親友と、寸前でした大喧嘩の仲直りなんかできっこないんだから。――ね、知秋」


「…………うん」


 知秋とお母さんが向かい合って、内容はさすがに聞いたりはしなかったけど、二十年越しの仲直りを果たした。

 今の二人を見ていると、まるで当時の制服姿が浮かび上がってくるようだった。



「さて、次は初ね」


 忘れられていると思っていたのに、夏葉の視線がわたしに向いた。

「え――」

「え、じゃないわよ。いいの? 本当に?」


 夏葉は内容を言わず、分かっているでしょ、と言わんばかりにわたしを突き放す。


「このままこっちにきて、いいの? 遠ざかって、それで後悔はしないの?」

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