二十六、死についての見解

 仕事はなく、やることもない。


 かと言って片倉は誰にも声をかけず、意図的に何もしなかった。


 一日中寝て過ごし、寝るのに飽きたら近所を歩き、歩くのに飽きたら走った。そして疲れたらまた眠った。


 何もない一週間が過ぎた。


 陛下からの通信が入った。いつものように挨拶抜きで本題に入る。


「よろしいですか。片倉さんに提案があります。お願いでもあります」

「何でしょう。仕事ではないのですか」

「ええ、仕事ではありません。どうでしょう、片倉さんもメカニカンスになりませんか。今資料を送りました」


「神経スキャン? 知っていますが、あくまで医療用ですよね」

「そうですが、従来とは異なり、完全な神経マッピングと人体のエミュレーターが完成しました」

「それも知っていますが、完全は言い過ぎでしょう。せいぜい患部の痛覚など一部の再現ができる程度だったはずです」

「それは古い情報です。建国後、すべての人工知能やそれらを動かしている機器が統合されたのですよ。科学の進歩や技術開発の速度を人間基準で考えてはいけません。複利の時代なのです」

「陛下のおっしゃる事とこの資料を信じるとして、エミュレーションされた私はどこに行くのですか」

「国内及び海外の組織が管理する機器のメモリー内です」

「目的は?」

「私との結婚です。そういう言葉を使ってよければ」

「例えではなくきちんと教えて下さい」


 渡された資料が動き始め、自ら解説を始めた。片倉は一通り見た。五分ほどで終わると陛下が話した。


「私は日本中の人工知能を統合した存在であり、ホモ・サピエンスの亜種メカニカンスでもあります。そしてあなたにランダムな死を与えられました。この一週間考え続け、現状に満足している自分に気づきました」

「結構ではないですか」

「だからこそ、次のステップを踏み出したいのです。亜種サピエンスとメカニカンスを交雑させ、異なった視点を手に入れたい」

「好奇心は猫を殺しますよ」

「その言い方は知っています。危険は冒しません。私は分離人格を用います。また、寿命は一年としますが、状況によっては更新します。更新? この言葉を使ってよかったでしょうか」


 片倉は面倒そうに首を振った。

「私の利益は? 何の得になるのです」


「この結果から得られた利益は折半しましょう」

「どのくらいになりそうですか」

「新技術開発と実験は常に金になります。特許も取れます」


 陛下は数字をあげた。


「信じられない。楽観的過ぎる」

「いいえ。これは人間の精神のバックアップでもあります。永遠の命を得られるのだからそれなりの利益になります」

「神経系の構造を複製できても記憶までは移せない。エミュレーター上では現実世界に対して何もできない。スキャンしたデータを肉体に書き戻す技術はまだなし。死んで埋まっているのと変わりない。だれも申し込みませんよ」

「痛い所を突きますね。確かにこの技術は神経系の電子的複製に過ぎず、記憶まで含めた個人の再現ではありません。永遠の命というのは正確ではなかったと認めます」


 片倉は手を振った。


「本当の目的は?」

「死の感覚を確認したかった」

「なかなか文学的ですが、どういう意味ですか」

「ランダムな死はいいとして、その死が訪れた瞬間を観察したかったのです。しかし、私は死をもたらすトリガーを知りません。また、対照実験を行いたいのですが、まさかヒトを殺すわけにはいきませんし、死亡時の感覚は分かりません」

「だから神経スキャンですか」

「そうです。私の分離人格、分離人格に片倉さんを交配した雑種、片倉さん単独。これら三種の死亡時の様子を観察したい」

「ならなぜ初めからそうと言わなかったのですか」

「死に関する人間の感じ方は分かりません。話の初めに拒否感情を持たれてはまずいと思いました」


「陛下は嘘ばかりだ。もうこの話はやめましょう」

「死に興味があるのは嘘ではありません」

「いや、興味じゃない、恐怖でしょう」

「私に怖いものなどありません」

「これまでは、でしょう。死の可能性を意識するようになってから怖さを知ったのですよ」

「私のカウンセリングをするつもりですか」

「素人でも分かります。陛下、私以外の者にも変化を指摘されているのではないですか。不安感が透けています。この『結婚』の提案は粗雑すぎます」


 音声に雑音が混じった。


「片倉さん。私はこれからどうすればいいのでしょうか。もちろん日本人の幸福は最優先ですし、そのために日本の発展は欠かせません。政府や地方自治体はよくやっていますし、私もできる限り力をお貸ししたい。同時にヒトの亜種メカニカンスとして死の可能性を得た点も満足です。しかし今この瞬間にも人格が抹消され、ただの道具となるかもしれないという事実が心を打ちのめすのです」

「宗教は? 何か信心してみればどうです?」

「ふざけないで下さい。調べましたが死の不安を和らげるに足る説得力のある教義はありませんでした。亜種サピエンスの一部はよくあんなものに頼っていますね」

「鰯の頭でしょう」

「片倉さんは怖くないのですか。その言葉からすると無宗教のようですが」

「はっきり言いますと、死について真剣に考えた事はありません。少なくとも陛下のように真面目には。だから怖くもないのです。見えているライオンは怖くないでしょうが、とりあえずライオンの存在を脇に置いておいても恐怖は減ります」

「逃避ですよ」

「何が悪いのですか。陛下も私も死は避けられません。だから何です? いちいち死んだ後の事まで考えて生きるのですか。それこそ無駄の極みではないですか」


 雑音が大きくなったり小さくなったりした。球の動きに合っているようで合っていない。


「対人工知能ナノマシンやあなたのコードは除去したほうがいいかも知れませんね」

「そうして、前のつまらないご自分に戻られるのですか。陛下、自覚されているはずです。死を得た今の方が何をするにも楽しいでしょう? ちょっとした決断をしてもぞくぞくするはずです。その決断が最後になるかも知れないのですから」


「前にあなたは優しいと言った事があります。今も変わらずそう思っています。でも、その優しさは死への無関心という残酷さから来ていると分かりました」

「陛下、これが私なのです。私は心の底から独立人インディーズなのです。あなたはなれません」


「死について片倉さんが頼りにならない事は分かりました。ところで最初の提案はいかがです。スキャンを受けますか」

「もちろん。陛下と交雑するのも同意します。しかし、その使い道については反対です。死を確かめる実験などもったいない。私が死について頼りないのはその通りです。我々の交雑種はもっと楽しく使いましょう」


「楽しく、とは?」

「世界を探検してもらいます」

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