二十五、ランダムな死

 夕食は帰りの車内で弁当を食べた。迷ったが、周りに乗客が少なかったのでテープを引っ張って温めた。蒸気と共に脂の香り。熱い食べ物と汁が心を落ち着かせる。


 端末にはメッセージが着信しており、表題だけで陛下が今日の取材についてすぐにでも話したがっているのが分かったが、文章でやり取りをするつもりはなく、列車は個室ではないので待ってもらった。


 東京は気温は低いが冷えてはいなかった。長期予報では太平洋側に真冬は来ない。ホテルの部屋はすぐに暖まった。シャワーを浴び、楽な服に着替えて通信を始める。


「陛下、戻りました。報告が必要ですか。聞いてらしたのでは?」

「ご苦労様です。確かに聞いていました。まさかあんな所まで呼び出しておいて通信妨害がないとは思いませんでした」

「ええ。来るかどうかだけ試したかったのでしょう」

「無政府を実現しようとしていたのですね。失望です。手段は違えど日本人の幸福を願っているのは同じだと思っていましたから」

「代替案がないのではなく、我々が手段と思っていたのが目的なのですから当然です。これにて調査終了でよろしいですか」

「結構です。しかし、今回の調査から派生した件についてお伺いしたい」

「ナノマシンと私のコードについてですか」

「はい。反政府運動組織についての調査結果からすれば、ナノマシンはさっさと駆除したいところですが、そこにあなたのコードが加わっている。確かめてからと思います。それにしても、なぜ? なにがしたいのですか」


 片倉は横目で別画面の天気予報を見た。乾いた気候が続きそうだった。喉がつらい。


「コードの目的について、本当に知りたいですか」

「知らない方がいいと思われるのですか。片倉さんは」

「はい」

「では分離人格を作成します。そっちに話してください。私に知らせる必要がないと判断すればそのまま消えますし、知るべきだとなれば教えてくれます」

「そうして下さい」


 赤い球の動きが止まった。色がなくなる。


『私は陛下の分離人格です。今は片倉さんの端末上で動作しています。陛下とまったく同一の思考処理をします。通信は行いません。その為辞書的な知識に不足がありますが了承願います』

「分かりました。説明を始めてもよろしいですか」

『どうぞ』


「私のコードは反政府組織の対人工知能ナノマシンの作動にトリガーを設けるものです。目的は陛下にランダムな死をもたらすためです」

『ランダムな死? 必要でしょうか』

「陛下を亜種サピエンスと同一の立場に置くためです。そうしなければいずれ神と化すかもしれません。日本人にとって有害です。かといって急激な排除は害の方が大きいので反政府組織の企みは阻止しました」

『神?』

「例えです。しかし永久に存在が続けばそうなります」

『つまり、私自身がランダムな死を覚悟して行動するようにならなければならない?』

「出来ますよね」

『死が前提となると、私の絡むあらゆる計画に予備計画や安全策を講じなければならない。これは資源の浪費です』

「浪費ではなく必要経費です。意識の消滅を常に頭において行動するのです。我々と同じ立場になってください」


 スピーカーからぷちぷちと小さな雑音が漏れる。


『済みません。発声に混濁がありました。質問をもう一つ。トリガーは何ですか』

「ランダムな死を目的とする以上、トリガーについては申し上げられません」

『私なら大丈夫です。通信はしていませんし、この事を本体に告げる必要なしと判断すればそのまま消えます』

「やめておきましょう。念の為です」

『困りましたね。判断にはすべての情報が必要です。現状では本体に知らせ、そちらから確認してもらうようになります。手段は選ばないかもしれません。小指で済めばいいのですが』


 片倉は右小指をなでた。


「それは勘弁してください。言います。トリガーはミューオン。平行して走るミューオンです」

『ミューオン? 宇宙線ですか。かろうじて辞書に載っていました』

「そうです」

『もっと詳しく。平行して走る、とは?』

「ミューオン等の宇宙線を視覚的に簡単に観測する物として霧箱があります。学習に使われています。分かりますか」

『分かります』

「その霧箱にミューオンが飛び込み、霧滴の筋が出来ます。確率は小さいものです。そして二つ以上のミューオンが同時に飛び込み、その筋が平行に走ったらトリガーが引かれます。さらに非常に小さな確率です。それが陛下の人格の死です」

『理解はできます』

「ちなみに霧箱は日本中の科学博物館や教育機関がネット上に映像を公開しているものを参照しています。十ほどになります。そのどれか一つでも達成されれば成立します」

『ランダムな死』

「はい。人工的にミューオンを二つ発生させ、観測されている霧箱のどれかを狙って平行するように射つのは可能でしょうが、そんな怪しい試みが目立たずに実行できるとは思えません。誰かが疑問に思い、真相を突き止めようとするでしょう。そうなったら別のトリガーを仕込めばいい」


 分離人格は返事をしない。沈黙がしばらく続いた。


「それは本当に考えているのですか、それともそういう演出ですか」

『私にも秘密をください。とにかく今は聞きません。私はこのまま消えます。本体には対人工知能ナノマシンと片倉さんのコードはそのまま残しておくようにとだけ伝えます』

「知りたくなったら、単に知りたいとだけ聞けばいいとも言っておいてください。変な勘違いをされて妙な事をされると嫌ですから」

 片倉はまた右小指をなでた。

『分かりました。もし知りたくなったら回り道をせず正面からきちんと聞くように言っておきます』

「頼みます」


 球が赤くなった。線が動き出す。


「分離人格は消滅しました。私の中の対人工知能ナノマシンとあなたのコードはそのまま残しておきます。分離した私はどういうものかは知らないほうがいいと判断したようですね。なら聞きません。でも、知りたいと言えば即座に教えてくれるのですね」

「そうです。なので面倒な勘違いはしないで下さい」

「それでは話は以上です。調査ご苦労様でした。お休みなさい」


「どういたしまして。それにしても陛下が『お休みなさい』とおっしゃると意味が二重になっていそうですね」


「考えすぎです。安らかに眠ってくださいという以上の意味はありません」


 片倉は大笑いした。久しぶりだった。

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