第52話 余興

 いつの時代でも、大人たちは酒の席が好きだし、互いの交流を深めるために宴を催すらしい。

 和気あいあいとした雰囲気の宴の席から一歩引いたところで、ハルは酒を酌み交わす村々の代表者たちを眺めていた。

 この時代ではハルは酒を飲んでも許される年齢らしいが、気が進まない。ずっと前に父親の酒をいたずらで舐めてみたことがある。ひどくマズかった上に叱られて、「酒なんか飲むとピアノが弾けなくなるぞ」と脅されて、それ以来のトラウマなのだ。


 酒を勧められても厄介だし、個人的な会話でいろいろと質問をされるのも面倒で、なるべく目立たないようにしている。

 「ハルを接待したい」などと言っていたのがだれだか知らないが、だいたいみんな自分の酒と話に夢中になっている。助かったけれど、ダシに使われたような気がするのは釈然としない。


(まあ、いいけど)


 ざわめきと、グラスや食器の鳴る音。アスカは食器の質も上等なのだろうか。重なり合う音が、耳に心地よい。


 料理をつまみつつ、見ていると遠くのテーブルでアスカの村の人たちに交じって給仕をしているサヤが目に入った。彼女は皿を運んだり、酒を運んだり、アスカの女にあれこれ言いつかりながら甲斐甲斐しく働いている。

 指示を出す女の屈託のない笑顔を見れば、サヤも村の人たちからちゃんと受け入れてもらっているように見えて、ほんの少し安心していた。


 なんとなくそちらを目で追っているところへ。宴の輪の中から、杯を手に持って女が抜け出してきた。


「ミッコさん」

 ハルはその女に声を掛ける。


「あの、馬をどうもありがとう」


 するとミッコというオオイの代表者は、顔いっぱいに朗らかな笑顔を作った。


「どういたしまして。気に入ってくれたかな?」

「うん。嬉しいんだけどさ、困るよ。まだ成功したわけじゃないんだし」


 苦笑ぎみに口を曲げて言うと、ミッコはまた笑った。


「いいのいいの。他意があってのものじゃないのよ。ヤマトの勇敢な少年と、理知的なリーダーに敬意を表して。もらっておいてくれたまえ」


「ええ? 勇敢って、おれ?」


 グンジさんはともかくとして――と困り顔になったハルへと、ミッコは少しばかり顔を近づけて。


「そう。オオイの村のモンはみな、きみのことが気に入ったようだよ。先日来ていた代表者といい、話を聞いた有力者といいね」

 そうしてさらに、ひそひそ話のように耳に口を近づける。


「帰って先日の会合の模様を報告したんだよ。で、そら大変だ、きみにヘソを曲げられるようなことがあっちゃ一大事だ、ひとつ贈り物を……って」


「ええ……他意があるんじゃない……」


「あはは、そうだね。これはわれわれからの、ちょっとしたプレッシャーなのだよ。受け取ってくれたまえ」


「ええぇ……」


 ハルの渋面にちょっと笑って、ミッコは顔を離すと、


「冗談冗談。ま、難しく考えることないよ。人は友好の証にモノを贈ったりもらったりするのが好きなんだ。……この時代の人は特に、ね」


「……え?」


 ふっと目を見開き、ミッコの顔を見つめ返したところで。


「おお、ミッコ。今期のオオイの様子はどうだい?」

 ほかの村の代表者の男が話しかけてきて、ミッコはそちらを振り返る。


「いい馬が仕入れられそうかい? そろそろまた、十頭ばかり頼みたいんだが」

「ああ、ちょいと順番待ちだけど、良けりゃ予約を受けておくよ?」

「そうか、そりゃ――」


 話しながら、行ってしまう。

 ゆっくりと首を傾げたところに、


「おおい、ハル」


 こちらも声を掛けられた。


「あんた本当に酒を飲まんのかい?」

「そこじゃつまらんだろう。せめて料理をもっと食べろ」


 いい感じに酔っぱらって赤くなっているオキと、酒を飲んでいるのだろうが普段とそれほど変わった様子のないナギ。


「料理もお茶ももらってるよ」

 ハルはグラスを持ち上げて答える。


「いまナギ様にな、ハルの、ピアノ? っつったっけ? それがどんだけスゴイのかって話をしてたとこよ」

「楽器をたしなむのだな、きみは」

「おぅおれの話を聞いてたかよ、『たしなむ』なんて可愛らしいモンじゃねえよアレは、おぅおぅ」


 酔って絡んでくるオキを鬱陶しそうに腕で押しのけながら、ナギは、


「アスカの音楽も楽しんでいってくれ。そろそろ――ああ、余興の者たちが来た」


 視線を追って広間の入り口へと目を向けると、数人の男女が楽器を手に入ってくるところだった。楽隊は歩きながら、持ち場に着くのも待ちきれないように楽器を演奏し始める。

 吸い寄せられるように目をやって、ハルはその目を見張っていた。


 バイオリン、アコーディオン、それに、フルートに似た形の笛。ヤマトにあった馬頭琴に似た弦楽器はなくて、ほかの二人はそれぞれにいくつかの打楽器を手にしている。

 昔の記憶にある楽器。その形と音色に、胸が高鳴った。


「ああ、こっちだ、こっち」

 ナギが大きく手を上げて、楽隊を呼び寄せる。


 楽し気に演奏しながら、五人の男女がこちらに向かってくる。

 ハルも前時代でよく知っている楽器の音色であるせいか、知らない曲ではあるが、ヤマトで聞いた音楽よりも耳に馴染みのある音調。これだったら、ピアノでも弾けそうだ。ああ、いまここに、ピアノがあればなあ……。

 手がうずうずしだした。


「このハルも、ピアノという楽器をやるそうだぞ」

 ナギが、目の前までやってきた楽隊に向けてハルを示す。


「ピアノ? ピアノってのは、ものすごくデカいテーブルみたいな楽器かい?」

 弓を忙しく動かしながら、バイオリンの細身の男が声を掛けた。


「知ってるの?」

 嬉しくなって、ハルは尋ねる。


「話に聞いたことがあるよ。こいつをくれたじいさんからね。じいさんも、話に聞いたことがあるだけって言ってたが」


「それは、バイオリン?」

「ヴィオロンって、おれらは呼んでるよ」


 ヴィオロン、みたいに聞こえるちょっと発音しにくい名前を男は口にして、演奏をやめてハルの目の前に見せる。


「触ってもいい?」

「はいよ」


 アコーディオンほかの奏者がまだ演奏を続ける中、男は気安い調子でその楽器と弓を差し出してきた。


(ああぁ、この感覚。懐かしいな――)

 ちょっとした感慨に浸る。ピアノほど熱心にやっていたわけではないし、最後に触ったのも随分前になるけれど、その感触は不思議なくらい手に馴染んだ。

 触ったことがあるバイオリンに比べて、ほんの少しだけ大きい気がする。弦の間隔もわずかに広いか。でも、ビオラほど大きくはない。


 ためしに弦を押さえて弓を引いてみると、耳に馴染んでいるのとほとんど変わらない音色を再現できた。


「あ? あんた、弾けるのかい?」

 バイオリン弾きが、嬉しそうに言う。


「おお? ハル、あんた、これも弾けんのかよ?」

 オキも目を丸くした。


「そんなに上手くないんだけど。ちょっと弾いてもいい?」

「おお。もちろん」


 と言っても、弾ける曲のレパートリーはそんなに多くはない。

 なんとなく音を調べながら適当に触っていて、自然に弾きだしたのは「G線上のアリア」。


 その音色に、宴の席が一瞬シンとなった。

 楽隊も、ハルの演奏に耳を傾けるかのように自分たちの音楽を中断する。


(うーん、やっぱり、あんまり上手くないなあ)


 プロを志望して、将来はソロか、オケに入ってコンマスを目指すかと悩んでいたフジタあたりと比べれば、それは「演奏」というにはおこがましい、曲をなぞっているだけのレベルだ。

 それでも、ピアノ以外の知っている音色を聞くのが嬉しくて、つい弾いてしまう。


 しばし顔を見合わせる、楽隊の男と女。

 最初に反応したのは、アコーディオンだった。

 小太りの男が、蛇腹を大きく動かして、ハルの弾く旋律に合わせるように和音を載せてくる。

 打楽器が入り、そしてフルート。


 そのガチャガチャとしたアレンジの合奏は、ハルの知っている「G線上のアリア」とはだいぶ違うのだけれど――。


(あ、――なんか、楽しい)


 気持ちがふわりと浮き上がるのを感じた。

 音が重なり合う。みんなでひとつの曲を奏でている。この世界で目覚めてから初めて感じる種類の高揚感。


 楽しくなって、アレンジに合わせテンポをアップする。

 自然とほかの楽器も、音に華やぎを増す。


(うわあ……)


 これがピアノだったら、最高だったのに。

 ハルもそう思ったけれど、もともとのバイオリンの持ち主も、居ても立ってもいられなくなったらしい。パーカッションの男が体にぶら下げていたいくつかの打楽器の中から一つ奪い取って、演奏に加わった。


「いいぞ! あんた……ハルって言ったっけ?」

「うん」

「ピアノを弾くんだな? あんたの村には、あるのかい?」

「うん」

「それで一緒に演奏しようぜ。ありゃ、デカくて持ち運ぶのは無理なんだろ?」

「そうだね、ちょっと出すのは難しいかな」


 アップテンポのちょっと不思議な「G線」を弾きながら、ハルは苦笑する。


「じゃあ行くよ、みんなで。楽器を持ってさ」

「うん。絶対に来て」


 笑い合って。


 いつの間にか宴の参加者がみな、ハルと楽隊を取り囲んで演奏に聞き入っている。

 まだ目を丸くしているオキ、その隣でやはり驚いた顔をしているナギ。グンジは別の村の男と話していたのを止めて、にこやかに見守っている。


 そのまま二、三曲弾いて、バイオリン弾きに楽器を返す。


(あー、楽しかった)


 体が火照って軽く汗ばんでいた。


 しばし演奏に耳を傾けていた宴の参加者たちが、じわじわと自分たちの話に戻っていくのを横目で見て。

 喉の渇きを感じて、宴の客へと給仕するアスカの村人に近づくと、グラスを手渡された。


 サヤだ。彼女の好きだったはずの二〇六〇年代の音楽を、聴いていたのかいなかったのか。黙ってグラスを差し出したその表情には、特別な感情は見当たらなかったけれど。


「ありがとう」


 小さく礼を言って、グラスに口をつけた。


 この世界の曲に戻った、楽隊の演奏が続く。

 次はこの音楽に、ピアノを合わせよう。すっきりとした味のお茶を飲み干して、浮き上がっていた体の熱を収めながら音色に浸る。

 空になったグラスを片手に持って。もう片方の手はアスカの楽隊の音楽に乗って架空の鍵盤を走っている。

 この音楽に、ハルのピアノが入ったら。きっと、すごく楽しい。


 ヤマトにある馬頭琴みたいな弦の音色も好きだけれど、ピアノと合わせるならやっぱりこっちがいいかなあ。

 バイオリンでは知らない曲に即興で合わせるなんてことはできないけれど、ピアノで合わせられるように彼らの曲を覚えて帰ろう。

 ヤマトに帰ったらさっそく弾いてみようと、耳を澄まして彼らの音を頭にしまい込んでいる時だった。


(……あれ?)


 それは唐突に。


 何かに体を締め上げられたかのように身が竦む。

(……?)

 汗ばむほどに火照っていた体が、急激に内側から冷えるような感覚があって、震えが走った。頭の芯が痺れるような感覚。同時に目の前に黒と白の靄がかかったように何も見えなくなった。

 足元でガラスの割れる派手な音がして、辛うじて働いていた耳も聞こえなくなって――。


 いや、周囲のざわめきがやんだのだと気づいた刹那、内臓を絞り上げられるような激しい吐き気が襲ってきて体を折り曲げる。


「ハル?」


 だれかが呼ぶ。

 それに答えられず、そちらに目を向けるけることさえできずに。


「うぅ……」


 倒れようとするハルの体をだれかが抱き留めたのを、薄っすらと知覚する。

 見えない。何も。

(なに……?)

 必死に口元を押させて吐き気を堪えようとしていた。苦しさのあまり目に涙が浮かぶ。体が震える。あぶら汗に全身が冷やされて、酷く寒気がした。


「ハル、どうした」

「おいしっかりしろ!」

「何があった?」


 あちらこちらから口々に問いかけられる声が、頭の上を通り過ぎていく。


「しっかりしろ」

「何か飲んだか?」

「吐け。吐きだせ」

「おい! だれか――ミッコ! ミッコはいないか!」

「ハル――ハルっ!」


 ざわめきの種類が緊迫したものへと変わった。何人もが周りを行きかう足音と、口々に呼びかけられる声。それをぼんやりと認識しながらもなんの反応をすることもできずに、意識は混濁していった。

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