10.契約

 テラリエルに転移した時点で、俺の存在確率は生の方に収束したと思っていたが、どうやら違ったようだ。フィオーラの言葉によると、俺は未だに確率的なゾンビ状態か、それに近い状態を維持しているっぽい。


 まぁ、セイドルファーさんも、そのへんどうなるかハッキリと言ってなかったしな。俺の早合点か。


 しかし、異世界転移ホラー野郎改め異世界転移霊感野郎改め異世界転移ゾンビ野郎とは、俺もなかなか忙しい男だ。


「ゾンビ映画は好きだけど、自分がゾンビ呼ばわりされるのはNGなんだよなぁ……」

「ゾンビ……何?」

「いや、こっちの話。気にすんな」

「そう? ならいいけど。あ、もう目を開けても大丈夫よ」


 目を開くと、触手が眼前をかすめていった。


「うおっ、危ねぇ!」

「気を付けて。攻撃はまだ続いてるわよ」


 さっきからずっとナイフを振り続けているフィオーラが言う。


「もう、キリがないわね……。触手の本体を叩くか、あの黒い靄をなんとかしないと」

「……なぁ、今の俺って一種の無敵状態なんだよな?」

「身も蓋もなく言えば、そうなるわね」

「うし。じゃあ、俺が囮になる」

「あら、痛いのは無理なんじゃないの?」

「攻撃を食らっても大丈夫みたいだし、まぁ、いけるやろ」

「わたしは星騎士修道会の人間よ? あなたの体にちょっと、いいえ、だいぶ変わった特性があるからといって、一般人を囮に使う作戦なんて許すと思ったの?」


 フィオーラの表情は険しかった。

 俺をこれ以上危険な目に遭わせたくないと思っているのだろう。


 俺を巻き込んだことに負い目もあるのかもしれない。でも、それは好奇心(女の子の夜の一人歩きが心配だったというのもあるけど)で勝手に同行した俺が悪い。


 拒否しなかったフィオーラにも責任の一端があるのかもしれないけど、こんなことになるとは予測できなかったわけだし、そこまで責められることじゃない。


 フィオーラは、さっきから、ずっと俺のことを守ってくれている。自分の体を盾にして、襲いくる触手をすべて一人でかっさばいている。


 いくら常識外れの身体能力を持つからといっても、体力は無限じゃないはずだ。

 額には玉のような汗が浮かんでいる。

 触手を解体する動きから、機械じみた精度が少しずつ失われている。

 押し切られるのは時間の問題に思えた。


 だったら。


 ここから先は俺の頑張りどころだろ!

 何しろ俺はテラリエルの危機を救うため、女神サマに遣わされたエイユウなんだから。これぐらい、なんとかしてみせないとな。

 まぁ、痛みも感じなければ怪我もしないようだから、気が大きくなってるのもあるんだけどな。ワハハ。


「悪りぃ、勝手に行かせてもらうわ!」


 俺はそう言うと、触手の群に向かって駆け出した。


 俺達のどちらを襲うか、触手に迷いが生まれた。

 これで、少しは時間を稼げるはずだ。

 俺は触手を伸ばし続ける扉の靄の方に急ぐ。

 

 ん? なんだろう。

 体がいつもより軽い気がする。

 思ったよりも、すんなり扉の前に到着した。


 触手の一部が俺の体に突き刺さるが、やっぱり痛くも痒くもない。

 俺の体に生まれた黒い靄の中に飲み込まれるだけだ。


 フィオーラは俺の体が異界のゲートになっていると言ってたけど、一体、どこにつながっているのだろう。つーか、マジでどうなっちまったんだ俺の体? 後でアーシアさん達に説明しないといけないな……。


 俺に傷を付けられないと判断したのか、触手はフィオーラの方に殺到した。

 ノンビリしている場合じゃねーな。早くなんとかしないと。


 俺には、ある考えがあった。


 フィオーラは、俺の体が入り口に対する出口、あるいはその逆だと言っていた。


 ぶっちゃけ、異界のゲートとか入り口とか出口とか、それが具体的にどんなモノかは分からない。


 でも、目の前にある扉の表面に発生した黒い靄も俺と同じゲートだというなら。


 逆波形の音をぶつけて他の音を相殺するように、触手の出口に対して入り口(逆の可能性もあるけど)である俺をぶつけることで、あの黒い靄をなんとかできるのではないか。


 根拠はない。ないけど、やってみる価値はある……と思う。

 他に、この状況を打破する具体的なアイデアもないわけだし。


 俺は覚悟を決めると、扉の黒い靄に左右の掌をそっと押し付ける。


 次の瞬間——。


 図書館に眩い光が弾けた。



 ☆ ☆ ☆ ☆



 光の中で——。


 俺はおかしなモノを見た。


 そいつは、ボロボロの黒いローブをまとった、巨大な骸骨だった。

 骸骨は自分の体よりも大きな鎌を持っていた。


 まるで、死神を思わせる姿だった。

 

 骸骨の空洞みたいに真っ黒な目が俺の姿をとらえた。

 

 うわ、ヤバイ!


 俺は本能的にそいつが危険な存在だと理解した。


 こ、こっちにくるな!


 俺は心の中で叫んだ。


『それは命令か?』


 どこからともなく声が聞こえた。


 そ、そうだよ!


『私に命令をしたいのなら、契約を結ぶ必要がある』


 また声がした。

 声の主は巨大な骸骨のようだ。


 け、契約?


 俺は心の中で聞き返す。


『そうだ。お前は死霊術師ネクロマンサーみたいだな。ランクも……申し分ない。それなら私と契約が可能だ』


 契約すれば、俺の命令に従うんだな。


『ああ。どこにで消えて見せよう。もっとも、死霊術師は契約した死霊を使役するものだがな』


 使役……?

 契約すると、コイツは俺の仲間になるってことか?


『厳密には違うが、概ねその理解で間違っていない』


 分かった! 契約する!


 俺は一も二もなく申し出た。


『話が早いのは美徳だな……。こちらとしても好都合だ。契約を結ぼう』


 その声と同時。

 俺の左胸、心臓のあたりに熱が生まれた。


 これで契約が成立したのか?


『そうだ』


 なぁ、あの黒い靄から伸びてる触手をなんとかできるか?


『可能だ。アレは私の魔力を触媒に呼び出された異界の低級生物にすぎない。造作もないことだ』


 やってもらって、いいか?


『了承した。我が主よ』


 その声と同時に。

 俺の意識は溢れ出した光の中に沈んでいった。



 ☆ ☆ ☆ ☆



 作戦は成功したようだ。

 扉の表面に発生した黒い靄は見事に消滅していた。

 それに合わせて、靄から伸びていた触手も全て消え去ったみたいだ。


 よくよく考えると俺の体も消える可能性があったけど、無事だったので結果オーライだな。


 それにしても、あの髑髏の化け物はなんだったんだろう。

 契約がどうとか言ってたけど。

 気を失っている間に夢を見たんだろうか……?


「まったく、無茶をするわね」


 そう言うフィオーラの表情は、俺を労うように見えないこともなかった。


「そっちも、いっぱいいっぱいだったクセに。強がるなよ」


 俺の憎まれ口にフィオーラが涼しい顔で肩をすくめる。


「立てる?」


 フィオーラはそう言いながら図書館の床に大の字で寝転がる俺に手を伸ばす。


「ん」


 俺が手を握ると、フィオーラが引き上げてくれた。

 冷たく小さな手からは想像できない力の強さだった。


「星騎士修道会の星騎士は化け物か……?」

「失礼ね。身体強化の魔術を使っているに決まってるでしょ。まぁ、日頃の鍛錬は怠っていないけど」


 うーん、やっぱりテラリエルの人間に、俺の世界のアニメネタは分からんか。まぁ、当たり前だな。


「結局、あの触手はなんだったんだ?」

「多分、邪教徒が契約している魔獣の類ね。扉の向こうに封印されている魔物モンスターの残留魔力を目印マーカーに、潜伏地から異界の門を開いて、直接こちらにび出したのだと思う」

「邪教徒ってのは、アドラ・ギストラの信者のことか? 随分、器用なマネができるんだな……」

「封印されている魔物がヤツらの使役していた魔物なのよ。そういった縁を手繰って、ゲートを開く魔術があるの。本来なら神殿とエリシオン様の結界による防御でそんなことはできないのだけど、今はちょっといろいろあって……」

「エリシオンの力の一部が奪われた事と関係があるんだろう?」

「……詳しいのね?」

「まーな」

「タカマル、あなたは一体何者なの? 神星教の宿舎に居た事といい、その体の事といい、分からないことだらけよ」


 フィオーラがサファイア色の瞳で、俺のことを真っ直ぐに見据えた。

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