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 桜が年中咲き乱れるガルジャナ山でも、出会いと別れの季節はやはり春にある。

「ヒイロちゃん、忘れ物はないかい? お金は足りているかい?」

「大丈夫ですよ! 昨日の夜に全部確認しましたから!」

 早朝。

 よく晴れたこの日、山奥のマグノリア孤児院から一人の少女が巣立とうとしていた。

 名前をヒイロという。

 まず以って目立つのは肩ほどまである新雪のように真っ白な髪と髪に負けないくらいに白い素肌。そして互いの色を引き立てるサファイアの瞳。ともすれば雪精スノーフェアリーと勘違いされそうな幻想的な雰囲気と愛らしい顔立ち。けれど、立派な一人の少女だ。

「そうかそうか。それなら安心だ」

 おじいさんが頬に優しげな皺を刻み、少女を最後まで気にかける。

 ヒイロはそれを無下にすることなく、精一杯笑って応える。

「それにしても、少し荷物持ちすぎやしないかい?」

「えー、そうですかね?」

 言われ、ヒイロは自分の姿を見下ろす。

 少女が持つにはいささか大きすぎるバックパックにこれでもかと荷物を詰め込み、その上いくつかの革袋ポーチを首から下げていた。どう考えても持ちすぎである。

 けれどこの日のために体は鍛えてきたし、普段から弟妹たちをおぶってきたおかげでこの程度はへっちゃらだ。

「まあヒイロちゃんがいいならいいんだけど……無理だけはしないようにね」

「はい! 心も体も準備万端です!」

 えへんと胸を張るヒイロ。だが、それを裏切るように声が飛んでくる。

「へーぇ、じゃああたしの手の中にあるこの革袋ポーチは何なんだろうねぇ?」

「あっ! そ、それは……!」

 おじいさんの後からやってきたのは、その妻である老年の女性。このマグノリア夫妻はかれこれ二十年以上、孤児院を経営している。

「これだけは絶対失くさないからね〜って、昨日の夜に弟妹たちと泣きあってたのはババアの見間違いかね?」

 頬に憮然とした皺を刻んだおばあさんは、花飾りのついた小ぶりな革袋を振ってみせる。

 中には身分証や弟妹たちに貰った手紙が入っていた。それを忘れてしまったら、もはやどうしようもない。

「ごめんなさい忘れてましたーっ!」

 慌てて駆け寄り革袋を受け取って抱きしめる。と、何かゴツゴツとした感触があって中を開いてみると、目も見開いた。

「え、えぇっ⁉︎ ナニコレ⁉︎」

 中にあったのは宝石だった。それも一つでなくいくつか入っている。銘々の宝石が木漏れ日を受けて多様な色彩の輝きを放っていた。

「九年前、おまえを預けに来た母親が一緒に置いてったものさ」

「こ、こんなの受け取ってたなんて一言も……!」

「そりゃそうさね。『綺麗な石が好きだったんです』なんて遊び道具に持たせたような言い草だったけど、おはじきじゃあるまいしジャリに宝石なんて持たせられたもんじゃない。そういうことでアンタがここを出る時まで大事にしまっておいたのさ」

「そ、そんなことが……」

「安心しな。ひとつ足りとも欠けちゃいないし、ひとつ足りとも偽物は無いよ。使い道は自由だけど、どうしても立ち行かなくなった時の路銀にするのが賢明さね」

「ほぁぁ……」

 驚嘆のため息をつくヒイロに、おばあさんは呆れのため息をつく。

「にしても、自分の命と同じくらい大事な物をどうして忘れられるかねこの子は。おまえが本当に冒険者としてやっていけるのか、あたしゃ心配だよ」

「冒険者じゃなくて騎士です! もうっ、何度言ったらわかってくれるんですか」

「はっ、ババアからすりゃどっちも同じだよ」

 訂正するヒイロに、女性はやれやれと首を振る。

「わざわざ自分から命張るような真似して……。どうして女のあんたがそんなことしなくちゃならないんだい。ずっとここにいて弟妹たちの世話でもしたらいいじゃないか」

「おいおまえ、それは……」

 おじいさんが窘めるが、ヒイロは「いいんです」と手で制し、自分の気持ちを口にする。

「わたしは父さんみたいになりたいんです。父さんの後を継いでこの国で誰よりも強い騎士、〈聖騎士〉になって――」

 そこで一拍起き、ヒイロは自分の育ってきた孤児院を見上げる。

 まだ日も昇っていないこの時間、幼い弟妹たちは穏やかなまどろみの中にいることだろう。ヒイロは彼らのことを思い、視線を戻す。

弟妹あのこたちみたいに、二度と寂しい思いをする子のいない世界にしたいんです!」

 まっすぐな決意を聞き届けたおばあさんが、はっと鼻を鳴らす。

「それだけ言えりゃ立派なもんさ。……おまえはもうヒイロ・マグノリアじゃない。ただのヒイロだ。さあ、どこへでも行っちまいな!」

 その瞬間、ヒイロの脳裏を無数の思い出が駆け巡る。

 孤児院に来てから迎えた、九度目の春。

 良い思い出も、苦い思い出も沢山あった。

 それらを胸に秘め、頭を下げる。

「長い間、お世話になりました!」

 門の前に待たせていた荷車に乗り込み、ヒイロは王都へ向けて出発した。


 ◇


「ねえねえ、そこの君。良ければわたしもご一緒していいかな?」

 ヒイロが王都へ向けて旅立ってから早数時間。

 すっかり陽は昇り、もうすぐ中継地点のレント領に着く頃合いのことだった。

「はい?」

 朝食も摂り終えて緩やかに山を下る荷車の後ろで桜並木を眺めていたところ、声をかけられた。

「乗せてもらえるだけで良いんだけど」

 外套フーデッドローブ を頭まで羽織っているため顔はよく見えないが、柔らかな声は確かに女性のものだ。

「むむむ……」

 まず真っ先に野盗の可能性を疑う。が、野盗だとしても一人なのはおかしいし、なにより物を奪う目的なのにわざわざ声をかけてくるはずがない。

 つまり怪しい人ではない! そう判断したヒイロは身体を端へ寄せて女性の乗り込めるだけの幅を作る。

絨毯カーペット敷き布シーツもないし、わたしの荷物で狭いですけどそれでも良ければ!」

「ぜんぜん! ありがとね!」

 外套を羽織った女性がヒラリと荷馬車へ乗り込む。と、大きく息を吐き出した。

「やっと人心地つけた……。ずっと歩き詰めで疲れてたんだ、ありがとうね」

 女性が包帯を巻いた手で外套の頭部分を脱ぎ取る。

 すると外套で隠れていた相貌が露わになり、襟足から黒髪が零れた。

「……わ」

 その相貌を見たヒイロは思わず息を呑む。そして、

「すっごい美人さんだ!」

 気づけば、そんな言葉が口を衝いて出ていた。

 西方大陸オキシダントの顔立ちではない。それでもなお美人だと即答できるほどの美貌に、外套の上からでもわかるスタイルの良さ。今でこそ髪はくすんでしまっているが、整えれば美しい光沢を放つことだろう。何処か遠い異国から逃げ出してきたお姫様と言われても納得してしまいそうだ。

「え、私?」

「はい! すっごい美人さんです! こんなに美人な人、初めて会いました!」

 まるで生きている世界の違うような、突然の同乗者にヒイロは目を輝かせる。まさかそんなことを言われるなどつゆほども思っていなかっただろう女性は苦笑しつつ、ヒイロの隣に腰かけた。

「ありがと。でもあなたもかわいいよ。透けるように白い髪も、同じくらい綺麗な肌も、どっちも素敵」

「そ、そうですか? えへへ、容姿を褒められたことがないのでお世辞でも嬉しいです」

 山の中という広大な箱で育ってきた箱入り娘のヒイロだが、瞳以外の全てが白一色の身体が珍しいことくらいは自覚していた。それも自然由来の柔らかな白色ではなく、色が抜け落ちた結果にもたらされた無色のようなそれだ。その見た目は、見る者に否応なく不安を与えてしまうようで、身体は健康そのものであるのに、弟妹たちにはよく体調を心配されたものだ。

 しかし、目の前の女性はゆるゆると、確かに首を振る。

「お世辞なんかじゃないって。純白の髪に蒼玉サファイアが瞳によく似合ってる。もっと自分に自信を持って!」

「あ、ありがとうございます……」

 面と向かって容姿を褒められて縮こまってしまったヒイロに、女性が苦笑する。

「そんなに小さくならないでよ、可愛いなあ。……そうだ、お近づきの印に名前聞いてもいいかな?」

「は、はい。ヒイロ・マグノリアって言います」

「ヒイロ……?」

 怪訝そうに首をかしげた女性に、ヒイロは慌てて訂正を入れる。

「あっ、嘘です! いえ嘘じゃないです!」

「? ? ?」

 余計に首をかしげる女性。ヒイロは慌てふためきながら説明する。

「わたし、もうマグノリアじゃないんです。わたしはヒイロ。ただのヒイロです。ファミリーネームはありません」

「ファミリーネームがない……というと?」

「孤児院の出身なんです。ほら、あそこ」

 言いながら、未だ視界の半分以上を占めるガルジャナ山を指さす。

「あの山の奥にマグノリア孤児院というのがあって、そこで育てられたんです」

「へえ……だからマグノリアなのね」

 穏やかな風に高い雲がゆるゆると流されていく絶好の旅立ち日和な空の下――満開の桜が咲き乱れ、幻想的な雰囲気と仄甘ほのあまい匂いを放ち続ける桃色の山。グレイ王国にある自然遺産の中でも屈指の美しさを誇るが、観光目的で立ち入る者は誰一人としていない。

「でもあの山って『魔獣も人も惑わせる魔花まかの山』なんでしょう? 住んでいてなんともないの?」

 ガルジャナ山の魔桜は遥か昔から咲き続けており、グレイ王国における不変と繁栄の象徴であると同時に、その魔力によって引き起こされる幻覚で無策に立ち入った者を幾人も呑み込んで来たという。

 曰く――『桜の下には死体が埋まっている。だから不用意に近づいてはならない』というのがこの土地の子どもたちへの教えだった。

「魔花じゃない普通の桜が咲いている場所もあるんです。たとえば、東方へ向かう際の加護道――今まさに通っているこの道がそうです」

「それは知ってるわ。この辺りで〈黒の侵蝕〉が発生した時もここだけは無事だったって」

「〈黒の侵蝕〉……って【大侵蝕】のことですか?」

【大侵蝕】――九年前に王国全体を襲ったという厄災のことだ。具体的なことはよく知らないけれど、そのような事があったという話だけは聞いている。

「ええ。私も伝え聞いた話だけど……って、話を止めてしまってごめんなさい。続けて?」

「あぁ、はい。それで孤児院の周りも普通の桜が咲いているので山を抜けようとして孤児院に辿り着いてしまう人もいるんです。だから初めて会った人には魔物扱いされちゃって……」

 あの時は大変だった、と当時のことを思い出して苦笑する。そんなヒイロにつられるようにして笑う女性の様子に、ヒイロはどこか安心するような感覚を覚えた。

「なるほどねえ。ところで……」

 女性は小山のような荷物を見て苦笑する。

「荷物、ちょっと多くない?」

「……多いですかね?」

 言いながら、ヒイロも後ろに置いてあるバックパックやら革袋やらを振り返る。

 おじいさんだけでなく、今しがた出会ったばかりの女性にも言われてしまったということは、やっぱり、少し多いのだろう。

「行き先にもよるかなぁ。どこに行くつもりなの?」

「王都です」

「ええっ、王都!?」

 ヒイロが素直に答えると、女性は驚いた表情をする。

「あんな場所女の子が一人で行くもんじゃないよ? 何しに行くの?」

「あ、あんな場所……」

 グレイ王国民であれば誰しも憧れの地であるはずの王都を『あんな場所』呼ばわりとは。いったいこの女性は何者なのだろうか。そう思っても聞けるはずなく、ヒイロは質問に答える。

「わたし、騎士になりたくって。それで入隊試験を受けに行くんです」

「騎士……、騎士かあ」

 騎士――甲冑を被り鉄鎧を身にまとって両手剣ツーハンドソードを腰に提げている者、ではない。

 魔法大国であるグレイ王国のそれはそんな古い文献に存在のみ記されたものではない。

 超常の力を駆使し、王国のために奔走する『魔法使い』に与えられる敬称である。

 けれど、その有り様は古来の騎士と変わりない。

 国に忠誠を誓い、民に義を尽くし、仲間と共に戦い抜く。

 そんな存在にヒイロは憧れていた。騎士という言葉を口にするだけで、うっとりとした表情を浮かべている。

 そんなヒイロを横目に女性が問いを投げかける。

「冒険者を目指そうと思ったことは?」

 冒険者。九年前から急速に勢いを増している職業だ。

 金銀財宝や魔獣の素材を求め、危険な依頼をこなす命知らずたちの総称でもある。富と名声を求め、今なお人は増え続けているという。

 一攫千金、人生逆転のチャンスある、今もっとも熱い分野だが、ヒイロは首を振る。

「ないですねぇ、なんか怖そうですし。それに野蛮なイメージも……」

 完全に偏見である。冒険者が聞いたら怒り心頭になるであろう発言だが、女性は怒ることなくむしろ声高に笑った。

「あはははは! 野蛮か! 確かに粗野で乱雑なお猿さんは沢山いるね! というか大抵がそうだよ。無法者だらけで嫌になることばっかりだ」

「うえええ……って、あれ? 『確かに』ってことはお姉さんも冒険者なんですか?」

 まるで冒険者であるかのような口振りを疑問に思ったヒイロだが、女性は首を振る。

「冒険者してたときもあるけど、今は一人旅をしてるんだ」

「嫌になったからやめちゃったってことですか?」

「んーん、人探ししてるの。冒険者やってた時はすごく楽しかったよ。あなたにもぜひ体験してみてほしいくらい」

「わ、わたしは遠慮しておきます。なんか怖そうですし」

「あっはははは!」

 女性はひとしきり笑うと、何かを思いついたように膝を打った。

「ここで出会ったのも何かの縁。騎士を志すあなたに私からプレゼントをあげましょう!」

 そう言って首の後ろに手を回した後、胸元から引っ張り上げたのは真っ白な石のペンダントだった。

「はいこれあげる」

「うえぇっ⁉︎ 大事なものじゃないんですか?」

「全然! それに私が持ってても意味ないしね。売ったらそこそこいいお金になると思うから、困ったらいつでも売ってね!」

「は、はぁ……」

 先ほど全く同じことを言われていくつかの宝石を懐に忍ばせたばかりだったが、この流れで『いらない』とは言えずひとまず革袋にしまうことにした。

 ヒイロが革袋にペンダントをしまい終えたのを見て、女性はふっと微笑む。

「でも、あなたはきっと冒険者になるよ。断言しても良い」

「え」

 そうして意味深なことを言いながら、今度は快活に笑う。

「十年後、二十年後にどうなってるかは流石にわかんないけどね」

「それってどういう――」

 ヒイロが言葉の真意を問おうとした丁度その時、いつの間にか止まっていた荷馬車がふたたび動き出した。

 ヒイロは足元で響く音が違うことに気づく。

 土の上を行く湿った音でなく、石畳の上を行くガラガラという音に変わっている。

 ついにレント領に入ったのだ。

「ん、中に入れたみたいだね」

「このままギルドに行ってもらうようお願いしてますが、ご一緒しますか?」

「いや、私はもう行くよ。ありがとね!」

「え、わわっ!?」

 言うやいなや、女性は乗り込んだときと同じようにひらりと馬車から飛び降り、「冒険者も良いもんだよー!」と言い残し、あっという間に雑木林の中に消えて行ってしまった。

「……行っちゃった。名前も聞いてなかったのに」

 話している間は緊張しっぱなしだったが、終わってみればもっと話したかったという欲が湧いてくる。

「また会えるかな。……会えるといいな」

 これから先、あんな美人ともう一度話せる機会はそうそう訪れないだろう。

 しかし、縁は異なもの味なもの。

 出会える運命であれば再び出会えるだろう。

 そう思い、ヒイロはひとまず己の旅路に思いを馳せることにした。のだが。



「申し訳ありません。ヒイロ様は王都に入ることができません」

「王都に入れない――って、えええええええええええええええええええ!?」

 謎の女性と別れて数十分後、レント領の中心街に聳えるギルド〈桜魔ヶ刻〉トパゾライト・ブロッサムにたどり着いたヒイロは、受付にて叫び声をあげていた。

 いったいどうしてこんなことになっているのか。

 それを語るには、時を少し遡る。

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