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 レント領――神聖グレイ王国の東端に位置し、魔境連野とそれに通ずるガルジャナ山を眼前に望む冒険者の街。

 九年前の【大侵蝕】を受けて一度は領主を失い、それでも名前と形態を変えてしぶとく立ち上がってきた不屈の街でもある。

【大侵蝕】以前、つまり九年前までは魔境連野の峡谷にある鉱山から採れる豊富な鉱石によって栄えていたけど、現在は冒険者やそれに関わる商品が街の主な収入源となって【大侵蝕】以前よりも大きな賑わいを見せている。

 桜の咲き誇る街一番の大通りにも、魔道具マジックアイテムの露店や冒険者用の武器・防具店が多く立ち並んでおり、極めつけは大通りの果てに存在するギルド――〈桜魔ヶ刻〉トパゾライト・ブロッサム

 三つの尖塔と、装飾の施された鉄門が古城のような印象を見る者に与えるそれは、他の領に存在するそれに比べて内部も特殊な造りをしていた。

 いったい何が特殊なのかというと――

「すみませーん、魔猪のピザゴア・ボア・ピッツァと大エールふたつー!」「報酬たったの六千イェル⁉︎ 嘘やろ⁉︎」「バッカお前! オレは魔燈篭マジックランタンって言ったんだよ!」「〈階段峡谷〉で竜の咆哮を聞いたって噂、本当だとしたらヤバくね?」「こっちの料理まだですかァ⁉︎」

 ――一階の大部分が、大食堂エールハウスになっているのだ。

 欲と野望に瞳をギラつかせ、常に腹を空かしている冒険者のため。

 もとい、依頼達成クエストクリアにて渡した報酬をそのまま回収するため。

 冒険者の急増した九年前から開かれた。

 実際、評判と売り上げはとても良い。

 昼前から酒杯を交わす呑んだくれや受け取った依頼報酬をその場で確認する者、逆に依頼準備を綿密に行う者など今日もさまざまな冒険者で盛況を極めていた。

 いつも通り――いやいつも以上に騒がしい大食堂、その末席にて。

「君のためなら最近薄くなってきた後頭部も晒してみせる! だから私の願いを聞いてくれ! ――――頼む! この通りだ!」

 僕の眼の前では、一人の男性が頭を下げていた。


 ◇

 

 今、僕の目の前では一人の男性が頭を下げている。

 両手と額は机にべったりとつけられていて、丁寧に髪の撫で付けられた頭はつむじから後頭部にかけてまるっとお目見えしている状態だ。

 それだけならまだ良い。

 いや良くはないのだけど、今の状況、そして相手がなお悪い。

「あの、顔をあげてください」

 声をかけながら、僕は相手の格好を確認する。

 身を包む上質な服と、椅子にかけられた生絹の羽織は育ちと金回りの良さが如実に現れている。

 どう見ても無法者のたむろするギルドには場違い。

 そりゃそうだ。

 だって、この人こそレント領が領主――フィオルブ・レントなのだから。

 そんな人が僕に向かって頭を下げている。

 机に額をつけたまま、滲むような声を絞り出して懇願する。

「お願いだ! 頼むから今度こそパーティを組んでくれ!」

 僕は頬をかきながら苦笑いをするしかない。

 ああ、周りの視線が痛い。声が《風》に乗って聞こえてくる。

『なんで領主様がここにいるの?』

『向かいにいるのって勇者候補だよな? 案外ガキくせぇんだな』

『しっ、下手なことを言うな。聞かれるかもしれないだろ』

『この距離で? まさか』

(聞こえてるんだけどな……)

 思いながらも口には出さず、耳に届く声を無理やり引き剥がして答える。

「そう言われても、僕と組んでくれる人なんていないですって」

「そんなことはない! 君が募れば引く手数多のはずだ! なあ、そうだろう!?」

 領主様が遠巻きに僕らのことを窺っていた冒険者たちの方を見るが、みな一斉に目をそらす。その様はいっそ潔いほどで、思わず渇いた笑いを零してしまう。

「はは。言ったでしょう、ご覧の有り様ですよ」

「ぐっ……いったいどうしてなんだ!」

 領主様は人の良さそうな顔を歪め唸っているが、そんなのわかりきっている。

「いきなり知り合いでもない奴と組めって言われてもハイわかりました、とはならないでしょう。僕はなりませんよ」

「しかしだなぁ……」

「そこまで言うなら領主様が僕と組みますか?」

 冗談交じりに言えば、領主様も乾いた笑いを零す。

「はは。無理に決まっているだろう、自慢じゃないが学院の身体学で留年しかけた男だぞ」

「ホントに自慢じゃないですよそれ」

「だからそう言っているだろう。このギルドの長をしているのだって、先代の領主から引き継いだだけだしな」

 そう。僕にパーティを組めと言っているが、この人が僕とパーティを組みたいわけではない。ただ、単独ソロ冒険者である僕をそのままにさせたくないのだ。

 そも、ギルドは無法者の集まりだ。

 けれど、守るべき最低限のルールは存在する。

 そのうちの一つが『パーティを組んで依頼を遂行すること』。

 本来、ソロで依頼を受けることはできない。

 なぜなら国がそう取り決めているから。

 もちろん、単独で冒険をすることはできる。

 ひとりで好き勝手に魔境連野なり迷宮なりに行けばいい。

 ただ依頼を請け負うとなると話は別だ。

 依頼を受けるということは、大げさに言ってしまえばギルド、ひいてはその母体である国との取引をするということだ。

 もし単独で依頼を受けて死んでしまい、それが国にバレれば監督不行き届きとして、その冒険者の所属するギルドは重いペナルティを喰らう。

 だから単独の冒険者にはいくら申請用紙を出されても受理しない。どころか、最悪の場合は冒険者登録を剥奪される可能性だってある。

 けど、僕は領主様に無理言ってそれを通してもらっていた。はずなのだが。

「死ななければ調査は入らない。バレないから大丈夫だ、と許可してくれたのは領主様でしょう。どうして今になって言うんですか」

 ソロでも問題なく活動できるという証明をし続けるため、僕はソロの身軽さを活かしてパーティを組んでいる同業者よりもいくらか多くの成果を挙げていた。

 今月もすでに長期依頼ロングクエストをひとつと単発の依頼をふたつ遂行している。

 領主様に呼び止められなければ、今日も新しい依頼を受ける予定でいた。

 それなのに、なぜ?

 僕の問いには答えず、領主様は懐から真っ白な便箋を取り出して机に置いた。

「……!」

 手紙を見た僕は、思わず瞠目する。

 封の切られていない開け口に押された封蝋印シーリングスタンプは、王都に存在する宮殿・太聖宮を模したものだ。これが意味することはつまり――の手紙ということ。

「新年度に入り、国から通達が来たんだ。おそらく全ギルド宛てにね」

 おいそれと送られてくるような物ではない。

 それこそ、国事に関わるようなことでない限り。

「中にはなんて?」

「自分で読んで確かめてみてくれ」

「国からの手紙なんて極秘中の極秘では?」

「普通ならばそうだが、もう君以外は知っていることだよ」

「…………?」

 嫌な予感を感じながら、手紙を開く。

 手触りの良い紙に達筆な字で綴られているのは、【第二回勇者隊選抜について】。

 無言で文字を追っていくと、『ギルドから最低二名を選出し、王都に向かわせよ』との文言があった。

「…………………………………なるほど」

 長い沈黙の末、僕はそう返すのがやっとだった。ギルド内がいつも以上の賑わいを見せていると思ったけど、既にこの報せが掲示板に張り出されていたのか。

「今月末が期限だそうだ。つまり君は今月末までにパーティを組んでくれる、ないし組んでも良いという相手を見つけなければならない」

「…………っ」

 手に篭る力が強くなるが、かろうじて手紙を握りつぶすことなく机の上に置いた。領主様はそれを元のように懐へしまうと、真剣な目で僕に語る。

「ヴィル君。私がパーティを組んでくれとお願いしてるのは、ひとえに君のためだ」

「わかってます」

「単独の冒険者が依頼遂行中に死んだことが判明すれば、国から所属ギルドに対してペナルティが与えられる。それは確かにそうだ。けどそれだって、」

「『パーティを組んで安全に依頼を遂行してもらうため』でしょう」

「ああ。冒険者の君に言うまでもない話だが、この職業には常に危険がつきまとう。魔獣や魔象災害、異端集団、迷宮ラビリンスのような場所そのものに殺されることだってある」

 領主様は痛みを堪えるような表情で遠くを見やる。

「グレイ王国の冒険者の死亡率は年間で約一割。今でなお一割だ。つまりこのギルドの誰かだって、今年の終わりにはもう見られない顔ぶれがいる」

〈桜魔ヶ刻〉トパゾライト・ブロッサムは五年連続で死亡者数リバースワーストを記録しているはずですが」

「そんなの偶然だよ。君だってそんな屁理屈を言いたいわけじゃあるまい」

「偶然じゃあないでしょうよ……」

 リバースワースト(最悪の逆)。つまり、最も死亡者数が少ないということ。偶然なんかじゃ成し得ないそれを、けれど成し得た人物は偶然だと言い捨ててみせた。

「どんなに入念な準備をしても、注意を払っても、死ぬときは死ぬ。たとえであろうと、ね。君が一番よくわかっているはずだろう?」

「っ……それをここで引き合いに出すのは違うでしょう!」

 過去を抉るような領主様の発言に、思わず僕が声を荒げたその時。


「って、えええええええええええええええええええ!?」


 ギルド内に甲高い叫び声が響き渡った。


 ◇


「うるさいな……なんだ?」

《風》なんてなくとも聞こえる、というか普通にうるさい。

 声が聞こえてきた方――受付に目を向けると、

「どういうことなんですかそれ! なんで! なんでぇ!?」

 人波の奥。真っ白な髪に真っ白な肌の少女がバカでかい荷物を抱えたまま、頭も抱えて叫んでいるのが見えた。

「なんだ、あれは……?」

 隣の領主様がそう呟いてしまうのも無理ないだろう。

 頭を抱える少女に対し、受付嬢が困ったような顔ではにかむ。

『お客様、もう少し声量を下げてください。非常に目立ってしまっています』

『え……あっ』

 ただでさえ目立つ容姿に加え、多すぎる荷物で若干どころでない注目を集めていたから、今の声でギルド内にいる全員の視線が突き刺さっていた。

 少女は一瞬で赤面し、バッと受付嬢の方へと向き直る。

『どういうことなんですか? その、王都に入れないっていうのは……』

 今度は小声で訊ねる。けど、僕の耳にはしっかりと聞こえる。

 発言を聞く限り、かなりの世間知らずらしい。

 いや、あの荷物の量からして旅人か?

 多すぎる荷物を持った、異風な容姿の少女(世間知らず)。

 気にならないわけがない。

 だから僕は《風》の届けるまま、少女と受付嬢の話を聞くことにする。

『先ほど申し上げました通り、現在の王都では三等級以下の国民の立ち入りを制限しているんです。国やそれに準ずる人物からの招待など、何か特別な事情がある場合に限り、立ち入りを許可されています』

『そ、それはどうして?』

『複数さまざまな要因が絡んでいるのですが、直接的な原因はやはり【大侵蝕】でしょう』

『だ、大侵蝕ってなんで……』

『先の出来事によって国力が落ち、それによって国全体の治安も悪くなり、王都だけでも治安を維持するための苦肉の策、なのだそうです』

 わたくしどもも納得はしておりません……と、絞り出すようなその声からは、受付嬢が悔しそうに歯噛みする姿がありありと想像できた。

『うええ、どうしよう〜』

 受付から離れ、今度は天を仰ぐようにして頭を抱える少女。それによって、この位置からでもその横顔が露わになった――その時。

『なあそこの嬢ちゃん』

『わたしですか?』

『そう、君だよ。もしかして王都に行きたいのかい?』

 二人組の冒険者が少女に声をかけている様子まで見えた。

「ちっ……」

 思わず舌打ちをしながら、杖を取って立ち上がる。「どこへ行くんだ!」と領主様の声が後ろから聞こえるが、そんなの決まっているだろう。

『い、行きたいです!』

『おおそうか! 実は俺たち、王都に行ける良い方法……知ってんだよ』

『知りたいかい?』

『し、知りたいです! 教えてください!』

 二人組はお世辞にも良い身なりじゃない。人としても、冒険者としても。

 仮にそんな見分けがつかなくても、年頃の女の子なら小汚い大人の男なんて生理的嫌悪感から若干どころでない警戒心を抱きそうなものだ。

 けど、世間知らずな真白の少女は己の望む情報をもたらしてくれるというただそれだけで二人組の話に食いついてしまっている。

 この後どうなるかなんて、火を見るよりも明らかだろう。

 前に止めなきゃいけない。

「ああ良いぜ。ちょっとそこらで飯でも食いながら話そうや」

「すぐそこだからさ。ついて来てくれよ」

「わかりましたっ!」

 そうして意気揚々と歩き出す彼らの前に、僕は立ち塞がる。

「ちょっと待った」

「あ? なんだよアンタ」

 一人が威圧的な態度をとって近づいてくる。けど、僕は気にせず声を張る。

「そこの子に用があるんだ。どいてくれるかな」

「何言ってんだテメエ……やんのかこら」

 威嚇の声を上げながら男が腰に手をかけるが、もう一人が青ざめた顔でその腕を掴む。

「おい、さっき領主と話してたの見てなかったのか! そいつが〈風の王〉だよ!」

「は? ……ちっ」

 どうやら僕のことを知っていたらしい。

 流石に今ここで問題を起こすほどのバカではないらしく、二人組は悔しげな表情を浮かべながらも、そそくさとその場を去っていった。

 僕は彼らの背中を見送りながら独り言ちる。

「あの痛ましい視線に耐えた時間も、無駄じゃなかったわけだ」

 そう思うと少しは溜飲が下がる。

「あのっ!」

「ん?」

 声がして振り返ると、少女の青い瞳と目が合った。

「あなた、どういうつもりなんですか!?」

「う、うん?」

 いったいどんな感謝の言葉が述べられるのだろう、と期待すらしていたのだけど少女の表情かおに正の感情は皆無だった。要するに――怒っている。

「あの人たちはわたしのために力を貸そうとしてくれていたのにどうして追い払っちゃったんですか!?」

「どうしてって、アレ見て何もしない方がおかしいし……」

「冒険者は野蛮な無法者ばかりって聞きましたけど、どうやら本当みたいですね!」

「いやそんなわけ……あ?」

 ふと思い当たった事実に声が漏れる。

 さてはこの子、僕がただ邪魔してきただけの面倒くさい輩だと思い込んでる?

「待ってくれ、君は誤解してる。王都に行く方法は確かにあるんだけどあいつらは君の身を狙っていて――」

「このに及んで言い訳ですか? ……はっ、最低」

「ちょ、まっ」

 冷え切った視線を投げつけられ、動けない僕は出ていく少女を見送るしかなかった。

「どうすりゃよかったんだよ……」

 がっくりとうなだれる僕の元に、後からやってきた領主様が声をかける。

「なんだか揉めていたようだけど追わなくていいのかい?」

「追ったところで話なんて聞いてくれないですよ。だいぶ怒ってましたし」

「しかし、何か困ってる様子じゃなかったかね? 少なくとも私にはそう見えたが」

「…………」

 そういえばそうだった。王都に行きたくてここまでやってきたというのに、目的の場所に辿り着けないんじゃあどうしようもないだろう。

「………ちょっと追いかけてきます」

「ああ、行ってきなさい。それでこそヴィル君だよ」

 笑う領主様の声に背中を押されながら、僕はギルドのロビーを飛び出した。

 けれど、そうして視界に飛び込んでくるのは大通りを埋め尽くす人の波。

 当然ながら少女の姿はすでに見当たらない。

「こりゃあ探すのは骨が折れそうだな……」

 思わず苦笑しながら目を瞑り、耳に意識を傾ける。

 どうしてこんなことになったと胸中で呟いてみるが、なぜだか悪い気分はしなかった。

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