第20話 幸福は永遠に続く

 ミヤコは数日後、植木鉢を配達しに来た。

 その後、トオルの家には来なくなったし、連絡がとれなくなった。トオルは何度か電話してみたが、コートジボアールに支店を出すので店はしばらく休む、という録音ボイスが流れるのみで、それもいつしかつながらなくなった。

 ミヤコのことも含めて、あの一週間のことは夢だろうかとトオルは時々思う。だが、休暇中にたまっていた大量の書類と、なにより植木鉢に埋めたシイコの種が、夢ではないことを如実に証明していた。

 種から芽の出ないまま、二年が過ぎて、トオルは今日、この部屋から引っ越す。

 だが思うところのありすぎるこの部屋、片づけは進んでいなかった。カップや皿を新聞紙にくるみながら、トオルは植木鉢を見つめては小さなため息をついていた。

 何度目かのため息をついたあと、玄関で甲高い声がした。

「ちょっと、トオル!」

 トレーナーとジャージのノゾミが駆け込んでくる。さっきから彼女は部屋とトラックの間を忙しそうに往復していた。

「あんたクローゼットの中はきれいにしといてって言ったでしょ! 引っ越し屋さん呆れてたわよ!」

「あー……すいません、そのまま使えて楽かなーっと思って」

「もう! 本はちゃんと小さな箱に入れたんでしょうね?」

「入れました入れました。すいません」

「すいませんじゃないの。ほら早く片づける!」

 外に出かかったノゾミは、「あ」と小さな声を上げた。

「ちょっと、引っ越し先の大家さんには挨拶すんだの?」

「あ、昨日、しときました。ご挨拶のお品も渡しときました」

「……あらまあ、気が利くのね」

 二年前には考えられなかった気の回しようだ。

「主任にしつけられましたから!」

 だがこれだけは直っていなかったらしい。ノゾミは大きくため息をつくと、「何度も言ったけど」と前置きした。

「…………トオル! 主任、は、やめろって言ったわよね?」

「……あ。すいません、しゅ……、えと……ノゾミ、さん」

「さん、もいらないって、言わなかったかしら」

 私だっていまだにあんたのこと、幸野って呼びそうになるのよ、自分も幸野のくせに――そう言って叱るが、トオルは変わらず「すいません」と申し訳なさそうにつぶやくのだった。

「……ほら、片づけ続き! お昼には新しい家に行っときたいから!」

「はいっ」

 とはいえ、ふたりとも、幸せそうな表情を時折見せることには変わりなかった。

 ノゾミが作業の続きに入って、トオルもまた皿をまとめ始める。時間はかかったが、片づけはようやく終わって、あとはテーブルと植木鉢だけになった。

 テーブルをトラックに積んでもらう。部屋に残り物がないことを確認して、トオルは、植木鉢を持ち上げた。

「……シイコ、新しい家に……お前も一緒に、行こうな」

 何度も何度も、持ち上げたり置いたりして、トオルは植木鉢を見つめた。

 そのときだった。ぽっちりと、トオルは何かに気がついた。

「……あれ? ……芽? ――芽だ!! うおお芽ェ出た!! 芽だよ芽が出たよ!! しゅ、間違えた、ノゾミさ、じゃない違う、ノゾミ!! ノゾミー!!」

 ノゾミの名をしこたま呼びながら、トオルはあわてて玄関を出て行った。

 部屋の中ひとりで大騒ぎするトオルの声は、外のノゾミにも聞こえたらしく、いぶかる引っ越し屋をなだめてからトオルを叱りに行ったものの、トオルから事態の説明を受けると同じように興奮して、そのあと「なによもう、この忙しいときに、ホントなの?」と冷静になってみた。

「本当ですってば、早くこっちこっち!」

 トオルはノゾミに植木鉢をのぞかせる。

「――あら、ホント! 芽だわ!」

「ね! 芽ですよ! ようやく出ましたよ!」

「そっかあ……楽しみね。なにが咲くのかしらね」

 ふたりで植木鉢をのぞきこみながら、会話も気持ちも、先の未来へ向かっていた。

 トオルにも、ノゾミにも、見えていた。いつかきっと出会う、シイコの姿が。


 春は、すぐそこまで来ていた。



 ――了――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

しあわせの育てかた 担倉 刻 @Toki_Ninakura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ