第3話 嫌味は突然に言われまくる

 できるだけゆっくりと車を運転し、できるだけゆっくりと会社へ入り、総務部へたどり着いたトオルは、深く深く深呼吸した。心の準備はなんとかできたつもりであった。だからできるだけ、声だけでも、虚勢を張った。

「お疲れさまですっ! 主任!」

 その言葉を待っていたとしか思えないほど、ノゾミから放たれた一言は尖りを極めていた。

「遅いっ!」

「はぁ!?」

 できるだけゆっくりと会社に向かったのはほかならぬ自分である。否定はしないしするつもりもなかったが――

「会社に来るのにどんだけ時間かけてんのよ。足りなかった書類、見つけたわよ!」

これはあまりといえばあまりな仕打ちであった。トオルはおおいに反論してみた。

「じゃ俺は何のために出てきたんです!? 途中で連絡くれてもよかったじゃないですか!」

「ついでだからやりかけの仕事片づけていきなさい。どうせ明日じゃまた先延ばしになるからね、あんたみたいなのは!」

 ついでとはまた非情な言い方だった。確かにやりかけの仕事はまだいくつか残っている。しかし、「でも俺今日は休」みですよ、と言いかけたトオルに、完全にかぶせる形でノゾミは言い放った。

「創立記念日のお土産は手配したの? 式典は明後日よ?」

 会社の創立記念日には式典が開かれて、来賓の方々に些少ながらお土産をお渡しすることになっている。それくらいはトオルだって知っていたし、なにより、自分が担当になって、いや、ならされていた。新人がまずやる仕事なのだそうだった。

「……まだです……」

「だと思ったわ。はい、決まり。どうせ毎年花の種とかそういう小さいの配ってるんだから、早く決めてしまいなさいよ」

「去年は何を?」

 完全にパクり倒すつもりでトオルは聞いた。もらう土産が前年と同じことを指摘してくる来賓がいるとも思えなかったし、毎年土産が同じでも逆にこれは恒例になってよいのではないか。営業で培ったすこしの知識が働いた結果だった。

「苗だったわね、パンジーか何かの。でも残念ね、去年発注したお店は先月潰れたの。今年のお店はあんたに任すわ」

「潰れた」

「頼んだわよ、新人」

 言いながら、ノゾミは、トオルに電話帳を渡す。

「仕事済んだら帰っていいわ。明日にはお土産到着してないと、ただじゃおかないからね?」

「ただじゃ……って……そんな」

 無茶苦茶な。今日の明日でどこの店が商品を調達してくれるというのだろう。そう言いかけたトオルの言葉を、ノゾミは無理矢理に飲み込ませた。

「なんか文句あんの! ズルズル発注を先延ばしにしたのは誰? 私?」

「……俺です」

「よくできました。じゃ、私仕事に戻るから」

 嫌味たっぷりの言い方ではあったが、電話帳を抱えたまま絶望しかけるトオルの耳に「休日出勤代はきっちりつけておくわ」と小さく聞こえたのは、ノゾミなりの真面目さだったのかもしれない。あるいはそれとはまた別の感情があった可能性もあるが、トオルは取り残されたまま座り込んで唸った。

「……いやそりゃ悪いの俺だけどさあ! 休みに呼び出すことねーんじゃねーの! そういうのは普通昨日のうちに言ったりするもんじゃねーのかよ、わざわざ昼過ぎに電話するかよ! どっか出かけてたら来いって言ったかよ!」

 誰も聞いていないことをいいことに、トオルはひとしきり悪態をついてみた。だが結局会社に出てきたことに変わりはないわけで、かつ、真偽の是非はともかく休日出勤代までつけると言われてしまっては、やることをやってから帰るしかなかった。

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