第26話 未来

 その後の教国は大混乱であったが、神の教団の協力もあり次第に喧噪は治まり落ち着きを取り戻していった。


 あれからひと月ほどが経った。

 今、ヴァンは丘の上の城址にいる。かつて"エデンの丘”と呼ばれた場所である。

 横でアリサが崩れた壁石の一つに腰かけている。




 魔晶石を破壊した後、皆で枢機卿の説明を聞いた。


 十年ほど前、枢機卿も一司祭として教国の窮状を見て回っていた。村々を巡り、魔法指導を続けていたが、状況はモンテ司祭の告白と違いはなかった。原因はマナの減少によるものという仮説がたち、教会は民の粛清に向かおうとしていた。ブランダート枢機卿は何とか止められないかと奮闘したが、まだ若く教会での地位も低かった枢機卿にはどうすることも出来なかったそうだ。


 三年ほど前、自身の活動に限界を感じた枢機卿は、以前より教会の仕事で面識のあったブルーノに、教国の窮状と教会の計画、そして自身の考えを話し、厄災の真因と対策を探してくれるよう依頼したそうだ。


 ブルーノが里を後にして旅立ったのは、枢機卿の懇請のためだった。ブルーノは歳月をかけて厄災の原因を突き止めた。後は打開する策とその決断である。


 アリサが教皇に向けて嘆願書を提出したのはそんな時だった。嘆願書には過去数年間で密告により逮捕された人数、釈放されずに今でも収監されている人数、実際に牢獄に収監されている人数、そしてそれらの差分が書いてあった。アリサは、嘆願書に公正な裁判を経ることなく、何者かの手によって処刑されているのでないかと書き、可能性がある人名まで一覧にしていた。


 これが公になれば教会にとっては都合が悪い、放置しておけばアリサの身が危ないと案じ、枢機卿は嘆願書を手元に留め置いた。枢機卿のところに嘆願書が届けられたのは偶然だったようだが、これが結果的には幸いした。そのまま枢機卿が握りつぶしてしまうことも出来たが、身近にはモンテ司祭がいる。枢機卿が教会の思惑に反するような行動をしていることに魔道教会も薄々気付いており、監視役として秘書官に送り込んだのがモンテ司祭である。


 枢機卿もそれは分かっていたそうだ。

 そのため、ひとまずアリサを軟禁した。教会としても罪人として牢に入れればその理由を問われる。虚偽の罪を作りだすことも出来たが、裁判となれば面倒が起こる。より強引な手段も取れたが、アリサの魔力は侮れない。本気で抗戦されたら、教会にも相応の被害が出るだろうし、事が公になる可能性も出てくる。人知れず軟禁することには教会も異論はなかった。


 枢機卿はブルーノと今後の対応を協議した。そして決めたのだ。

 教国の未来は若いものに託そうと。厄災を止める手立てとその決断は未来を生きる若者がすべきだと。旅の同行に選ばれたギルドの顔触れがアリサと歳が近かったのもそれが理由だった。


 そうして、二人は計画をたてた。当初、決まっていたのは一団をエデンに導くことまでであった。


 アリサが軟禁された部屋で、グランから聖イブルスの伝承を聞かされたのも枢機卿の命じたものであったと、後にグランが白状した。目的は”エデン”という言葉をアリサに印象付けることだったそうだ。


 季節は春蒔き麦の収穫が終わる頃で、モンテ司祭は不在にすることが多かったそうだ。枢機卿はその隙を見て着実に準備を進め、アリサを脱走させた。


 アリサが脱走したことが分かると、モンテ司祭は素早く動きギルド狩りを始めさせた。司祭は手引きをしたのは枢機卿に違いないと疑っており、その証拠を掴みたかったのだろう。枢機卿の運が良かったのは、その際のラグの不手際だった。おかげで、ギルドは誰一人捕まることなく街を逃げ出したので、モンテ司祭の思惑は完全に外れた。


 計画通り一行はエデンに向かって旅に出た。迷うようであれば途中で何か手立てを施すつもりだったらしい。枢機卿は教会に対しても疑義を持たれぬよう、全土での検問を指示すると同時に、ラグ隊に追跡を命じた。ただし、アッシュへの命令書には限りなく少数の選抜で隠密に行動せよと記載しておいた。


 ブルーノ曰く同行するギルドの連中なら簡単にラグに捕まることはないと。そうならば、ラグたちも追跡の旅を通じて国の窮状を知り、やがてエデンに至るだろうと枢機卿は考えた。ラグの隊員もたがわずみな若者である。

 まさかアッシュが同行することになろうとは想定外だったとは言っていたが。


 想定外と言えば、ヴァンたちが辿った旅程は二人の想像を遥かに超えていた。


 森の民と呼ばれる魔族に会い、厄災を止める手立てを突き止め、エデンの丘の場所を特定し、最後には計画を実行する決断までするとは。


 コルヌたちが再度エデンに立ち寄り、事の次第をブルーノに説明した後、ブルーノは急ぎ枢機卿に手紙を送った。枢機卿の手元に手紙が届いたのは、魔晶石を破壊した日の前日だったという。


 当日の朝、モンテ司祭が火急の用事があると外出したので、枢機卿もいよいよその日が来たかと覚悟を決めたそうである。


 手紙の内容から聖地があの書庫だと判断した枢機卿は、急ぎ書庫へ向かい、鍵を開けて中に入り、一人で地階に通じる隠し扉を探したという。なんとか床下に扉を発見し、そして皆の到着を待っていたのだそうだ。

 何かあればモンテ司祭は自分で始末すると懐に短剣さえ忍ばせていたらしい。




「こうして眺めていると、ルブニールって凄く大きな街よね」


 丘には新緑の香りを運ぶ爽やかな風が吹き抜けていく。ヴァンもアリサの隣に並び壁石に腰かける。眼下に広がるルブニールの街は一時の喧噪も忘れ、平和な時に包まれている。街を囲むように広がる丘陵には、疎らではあるが青々とした麦の若穂が広がる。もう一月もすれば収穫だろう、ギリギリ間に合ったのかもしれない。


「ああ。人も多く住んでいる」


「混乱はしたけれど、暴動とまではいかなかった」


「そうだな。誰も傷つかずに済んだ」


「人から魔法を奪うことはできなかったけど。ただ明らかに魔力が減ったことは、街の人を見ていれば分かる」


 魔晶石は破壊したが、結局、完全に魔法を奪い去ることは出来なかった。ただ、人の持つ魔力は格段に弱くなり、規模の大きな作業に使えるほどの魔法は使えなくなった。精々が生活の補助として利用する程度だ。


 理由は分からずじまいだが、魔晶石の消失により人の魔力は減退こそすれ、”蛇口”が完全に閉じてしまうことも無かったようだ。


 ヴァンはと言えば、相変わらず魔法を使えないでいた。しかし、旅を通じて自分の特異体質について頓着することも無くなった。


「俺は以前の魔力を知らないから何とも言えないが、多少の魔法は問題ないだろう。現に森の民はそうやって魔法を上手に利用して、自然と共存していたしな」


「そうよね。これから生まれてくる子供たちは、これが普通だと思って生きていく」


「これからこの国も生まれ変わる。きっと良い国になるんじゃないかな」



 教都が混乱する中、ブノワ司教と教団司祭がルブニールに来訪し治安維持に協力してくれた。教皇と一部の魔道教会幹部はその職を解かれ収監された。もちろんモンテ司祭も投獄されている。モンテ司祭は残念だが裁判をしたところで処刑は免れまい。


 その後、教皇の座にはブノワ司教がついた。魔道教会はあらためて”教会”として再出発した。魔導士は一斉に全国に散り、状況の説明と本来の魔法指導に駆け回った。厄災を止めるため、どのような手立てが必要で、微力な魔法をどう活用するか、細かく指導した。




「ギルドのみんなは落ち着いたのかしら」


 そう訊ねられ、ヴァンは仲間の近況についてアリサに説明した。


 コルヌはブルーノとともに正道のギルドを全土に広げると連携網をつくるのに忙しそうだ。最近では殆どルブニールには居ないらしい。


 グランはこれからは医者の時代よと言って、自分に医術を教えてくれた先生と学校をつくると頑張っている。若い男を指導するの、と意気揚々である。


 ポシェは父親に会ってくると草の民を探しに出かけたが、一向に戻ってくる気配がない。今頃、未来の族長夫人に収まっているかもしれない。


 中でも、一番の転身はアッシュだった。ラグの職は辞し、ブノワ司教の計らいでモンターニュに司法官として派遣されることになった。モンターニュのクレマン司教の元で司法取締官兼執行官として働くそうだ。アッシュの両親も説得し、家族でモンターニュに転居するらしい。伯爵家の再興とまではいかないが、いずれは自治領として認めてもらえるようにしたいと語っていた。


「ヴァンはこれからどうするか決めたの」


「まだ迷っている。親方や酒場の大将は都に残れと言ってくれている。ただ、旅をしながら考えていたんだが、エデンやシルビスの村あるいはギルドの里のように、皆が笑って暮らせるような場所を作りたいとも思う」


「うん、いいことだと思う。でも大変よね」


「まあ、まだ決めたわけでは無いし、ゆっくり考えるよ」


 この人はどこまで鈍いんだろうとアリサは嘆息する。


「アリサはどうするんだい」


「私もまだ決めていない。今回の功績もあって無事に二等魔導士には叙任されたの。枢機卿から高等法院で働かないかと誘われていはいるけれど、教会は辞めようと思っている。出来れば魔法の事や過去の教国の歴史とか、勉強を続けたいと思っている。近いうちにまたシルビスの婆様にも会いに行こうと思っているの。旅をするのは不安だけどね」


 アリサには魔法にこだわる理由があった。アリサの魔力は他の人とは違い弱まることがなかったのだ。婆様が言った通り、自分には魔族の血が流れているのかもしれない。婆様は魔族には蛇口など無いと言っていた。その意味では、アリサもヴァン同様に特異体質なのだ。


 今後は、異質であることで疎外されたり、しいたげられることもあるだろう。


 それでも自分のことを真正面から受け止めてくれる人が居れば辛くはない。お互いを理解し、信頼できる相手と共に生きていければ、怖いことなど何も無い。


 そんなアリサの気持ちなどに全く気付かないヴァンは、破顔してお互い頑張ろうと握手を求める。


「そうか、婆様に会ったら、よろしくと伝えといてくれ」


 アリサはヴァンの手を握る。少しだけ胸の鼓動が早まる。

 この人は女の子、いや、私と手を握っても何とも思わないのかしら。


 鈍感で粗暴で気が利かないけど、強くて優しくて頼り甲斐があって、でも子供みたいに無邪気で。


 なんか悔しいなあとアリサは思う。


 アリサの願いが叶うのは、まだまだ先のことになりそうだ。




 エデンの丘を吹く初夏の風は未来に向かって二人を優しく包み込んだ。


 丘からは教会へとまっすぐな道が続いている。

 建物の裏庭にはかつての教会で今は書庫となっている小さな建物がある。

 その建物に地下室があることを知るものは少ない。


 エデンの丘を下りし聖なる地にて、その祭壇では小豆あずき大の石の欠片かけらが今もマナを取り込み人知れず輝き続けている。

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魔法の国のエデン -エデンの丘を下りし聖なる地にてー NAOKI @tomy-papa

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