第25話 魔道教会
ルブニールに近づくほどに、周囲の畑の麦が疎らになっていくのが実見できる。種植えをしても所々で芽が出ないのだろう。麦が芽吹かぬ畑は雑草すら生えておらず、土がそのまま裸でいる。放っておけば、表土は風にさらわれ、土はいっそう痩せていき、いずれば雨水さえ保てずに乾燥してひび割れた不毛の地となる。
ならば土を掘り返し、堆肥を加え、作付を我慢して畑を休ませればよい。草が生えれば、そこで牛や山羊を放牧すれば、やがて土地も甦る。しかし人がやることと言えば、禿げた土地に無駄な種を植え、魔法で水を撒いている。エデンやモンターニュで見たように鋤や鍬を入れる姿も確かに見かけない。
誰が悪いというわけではなく、やり方を知らないのだ。ならば教会が指導すればよいではないかと思うが、魔道教会はどこまでも魔法にこだわるということか。自分たちは魔法指導はするが農業の専門家ではないと。教国と名乗ってはいるが、それでは統治ではないだろう。
世の中の
一行は野営を続けながら旅をした。いくつか小さな街や集落も見かけたが、一夜の宿を借りるのも諦めた。ルブニール近隣では手配書も回っているだろうし、密告かラグにでも見つかれば、どう転ぶか定かでない。アッシュの同道も確実に保証されるのはルブニールだけだろう。隠れ家までは穏便に到着したい。
アリサは慣れない馬での旅と野営続きでかなり疲弊していたが、ここは我慢してもらうしかない。
数日が過ぎ、いよいよ遠方にルブニールが見えてきた。ここからは街道を外れ、やや南下しながら隠れ家を目指す。半日ほど脇道を進んだところで隠れ家が見えてきた。
隠れ家にはコルヌたちが先に到着しているようで、家の馬寄せに三頭の馬が見える。
一行は到着すると馬寄に馬を繋ぎ、表玄関に回る。教団からの返答はどうであったかと、期待と不安が交差する。ヴァンが家に入ろうと扉に手をかざした瞬間、扉が内側から開き、黒い
「ヴァン、すまない。用心していたんだが脇が甘かった。途中立ち寄った村で密告されたらしい」
率いていたラグの一人が、黙れと怒鳴りつける。コルヌはうるせぇと不遜な態度で言い返す。
囲みの中から副隊長のクロケットが進み出た。
「アッシュ殿、お久しぶりです。まずはこの状況を説明いただけますか」
強い口調で詰問される。もはやアッシュが手配犯を連行したなどとの言い訳は通用しないだろう。アッシュは動揺する素振りも見せず、平静を保ったままクロケットに向かう。
「クロケット副隊長、ご苦労だ。私はこの者たちと旅を共にした。その上で彼らが
アッシュは威風を保って指示を出す。クロケットは眉をひそめた。
「アッシュ殿。申し訳ないが既に隊長の任は解かれております。今は私が隊長代理です。ラグの者は私の命でなければ動きません。誠に残念ですが、言い訳すらないというのであれば、捕縛するしかありません」
「待てクロケット。教会に盲従してはならん。私が今まで見てきたこと知ったことを皆に話す。それまで待てぬか」
アッシュは状況が不利なのを見て、慌てて取りなそうとするがラグは動かない。
クロケットも急ぎどうこうする気もないのか、しばらく睨みあいになる。
その時、家の中から遅れて一人の司祭が出てきた。すらりとした痩せぎすの長身で冷徹な表情をしている。
アリサが驚く。軟禁の前に枢機卿執務室で会った秘書官のモンテ司祭だった。
「あなたはモンテ司祭」
「これはアリサ魔導士。お久しぶりです。ご健勝のようで何よりです」
相変わらずの事務的で感情の無い話し方をする。言い終わってアリサには興味は無いとばかりにアッシュを向く。
「アッシュ殿がどのような甘言に踊らされたか存じませんが、明らかに魔道教会に仇なす行い。ここは抵抗せず、素直にこの者たちの身柄を預けていただけますようお願いします。あなたの処遇は追って考えますので」
ヴァンの全身が打ち震えている。
モンテ司祭はヴァンの存在すら気にも留めていない。
ヴァンはモンテと呼ばれた男しか視界にはいらない。下を向き周囲に気付かれぬように深く息をする。
モンテ司祭が次の言葉を発しようとした瞬間、脱兎のごとく司祭の前に立ちはだかる。一切の音を立てない見事な動きである。鼻先が触れ合うほどににじり寄る。
「貴様。覚えているぞ。お前の顔だけは忘れない」
ギルドの皆は驚愕し、そして何が起こったかを理解する。
ヴァン、とうとう見つけたんだな。
モンテ司祭はそうされても表情は崩さず、内心の動揺さえ窺えない。
「なんとも不作法な。誰かは知りませんが、無駄な抵抗はしなよう、冷静になってください」
司祭はヴァンの面前に右手をかざすと、短く詠唱を呟く。手のひらが光彩に包まれると、無数の閃光がヴァンに突き刺さる。瞬いた光が消え一瞬暗闇にとらわれてた視力が戻ると、ヴァンが何事もなかったようにそこに立っている。司祭はそこで初めて驚愕の色を顔に浮かべる。
「ま、まさか貴様はあの時の魔族の子か」
「安心しろ、俺は魔族ではないし、お前を殺しもしない」
ヴァンはそう言うと、腰の短剣を引き抜きモンテ司祭の右脇に剣を差し込む。左手で面前に差し出された司祭の右手首をつかみ、がっちりと固定すると、右手の剣を一気に上に引き上げる。モンテ司祭の右腕が肘の関節部を境に切り離される。司祭が絶叫して悶絶する。
「殺しはしないと言ったが、俺からすべてを奪ったこの右手だけは許さねぇ」
切り離された傷口の断面から血が流れでる。
「アリサ、すまないが傷口に治癒魔法をかけてくれ」
縛られているグランに近づき短剣で縄を解くと、治療を頼むと落ち着いた口調でささやく。続けてコルヌ、ポシェと順に縄を解いていく。ラグたちは唖然として動けずにいた。
アリサは慌てて司祭に近寄ると傷口に治癒魔法をかける。グランが駆け寄り、先ほどまで自分が縛られていた紐で上腕部を強く縛り付けて止血する。
アッシュがヴァンににじり寄り、胸倉を掴む。
「ヴァン、貴様、何をした」
「こいつが、サルセの村人を殺した張本人だ」
「まさか・・・」
アッシュは驚き、声を失った。モンテ司祭が粛清の犯人だというのか。
ラグも含め全員が隠れやの広間に集まっている。窓から差し込む柔らかな日差しが、いま起こったことが夢であるかのように部屋を優しく照らしている。
アッシュはラグたちに向かい、これまでの経緯を静かに語って聞かせた。
途中までアッシュに同行していたクロケットら何人かは村の粛清の跡をその目で見ている。それを主導したのは魔道教会だとアッシュは言うのだ。ラグたちは俄かに信じがたいと素直に受け取れないでいる。
しかし、思い当たる節はある。シェーブル近郊の村で粛清の跡を発見し、調べていくうちに忽然と消えた村落がいくつもあることが判明した。死体までは発見出来なかったが、何者かにより村の粛清が繰り返されているという推測はあった。アッシュの言うことは筋が通っており、マナや魔法の話を聞かされれば納得もできる。
クロケットの頭にはアッシュが放った盲従するなという言葉が幾度も復唱される。
アッシュの話が終わるころになって、気絶していたモンテ司祭が目を覚ました。
アリサの魔法のおかげで痛みも和らいだようである。
司祭を壁にもたせ掛け、アッシュが詰問する。
「村人を粛清したのはお前だな」
「そうだ。そうしなければ成らなかったから、そうしたまでだ」
「何故だ」
「教国を守るためだ。下賤で努力もせず無知蒙昧な輩は教国の敵だ」
「人の命はそれほど軽くはない。司祭といえど増長にもほどがある」
「お前らは何も分かっておらん。魔道教会も努力はした」
もう数十年前から厄災は始まっていた。魔道教会とて手をこまねいていたわけではない。各地に司祭や魔導士を派遣して状況を調査し、原因も探っていた。マナの減少が原因ではないかという仮説が立った際には、各地で魔法の使用を減らす指導も行った。
指導されれば最初は言うことを聞く。ただ、収穫量が戻れば、また元の魔法頼りの作業に戻ってしまう。そして収穫が減り始めるとまた教会に助けを請うてくる。
何度も何度もだ。やつらは自ら努力や工夫をしない。楽な方を選ぶ。
教会の指導を正しく守りそれを続けていればやがて土地は回復し、豊かな大地が取り戻せるのに。
教会が懸命に指導をしても、そうやって厄災が続くと、やがて教会を批判する連中が現れた。教会の指導が間違っているだの、騙されただの、民を見捨てているだの、身勝手にも程がある。中には指導に行った先で村人に集団で暴行されるような司祭までいた。そして何人かは実際に命を落としたんだ。
それでも、いつかは報われると信じ、司祭や魔導士たちも指導を続けた。しかし厄災の規模は広がり、いよいよ教国として看過できない段階まで来てしまった。魔道教会が選んだ選択は、真面目に慎ましく生きる教国の多くの民を守るため、怠惰で傲慢で強欲な教国の敵を排除するということだった。
実際に手を下しったのは確かに私だ。しかし、これは魔道教会の総意で決まったことなのだ。私だけが悪いわけでも教皇だけが悪いわけでもない。厄災を何とか食い止めようと、寝食を忘れて最大限の努力をした教会の皆の総意なのだ。
アッシュは軽々しく最大限の努力などと口にする司祭が不愉快極まりないと、詰責を続ける。
「多少は共感する部分もある。それでも、その選択が正しかったとは到底思わない。貴様らが実際に下した行いは絶対に許されない蛮行だ。人の数が問題ならば貴様が死ねばよい」
「では、貴様らに何かできるというのか。青臭い感情論では厄災は止まらん」
ヴァンは憤怒し、司祭に近づくと目の前に短剣を突き出し、片腕じゃ足りないか、と脅す。
「俺たちは別の選択肢を持っている。貴様の話を聞いても尚決心は変わらない。お前たちの言い分なんか、どこまで行っても言い逃れだ。教会は結局は保身に走っただけだ。魔道教会という権威の上に胡坐をかき、強欲で怠惰で傲慢なのは教会ほうだ」
ヴァンは吐きすてる。どんな理由があろうとも父母の命を奪ったことに違いはない。
「いいか、この外道、よく聞け。魔法を際限なく使うことが問題の根幹なのであれば、それを止めればいい、子供でもわかる」
「魔法の使用を制限するなど、そんなこと実際に出来るものか」
「簡単だ。制限するんじゃなく、使えなくしてしまえばいい」
「意味がわからない。そんな妄言に付き合っていられるか」
「お前の目が節穴だからだ。俺たちは人から魔法を奪う」
「魔法を奪うだと。それでは誰も魔法を使えなくなるではないか」
「そうさ。だから厄災も止められる」
「そんなこと、魔道教会が許すと思うのか」
「ほら見たことか。お前らが守りたかったのは教国の民ではなく、魔道教会であり自分たちの身分なんだ。はなから俺たちは魔道教会の許しなど貰うつもりはない」
「そんなことをしたら」
「ああ、魔道教会も魔導士も終わりだよ。いいじゃねぇか、普通の人に戻って畑を耕せば」
そうだな、自分で言った努力と工夫ってのをすればいいと、コルヌが皮肉る。
「俺たちはそうやって、努力と工夫をして魔法に頼らず豊かな生活を送っている人々をたくさん見てきたからな。神の教団もギルドも協力を惜しまないって言って貰えたさ。努力と工夫が分からねぇってなら、教団にでも教わればいいのさ」
アリサがコルヌの話を聞いて目に涙を浮かべた。有難い皆が協力してくれる。
泣き出しそうなのを堪えて、ラグたちの前に立って語り掛ける。
「急なことで戸惑っているかと思います。ただ、私達はこれが事態を打開する唯一の手段だと思っています。教皇や枢機卿には私から話をするつもりです。到底承服いただけるとは思っていませんが。ラグの皆さんに味方してくれとは申しませんので、何卒、静観していただけませんでしょうか」
アッシュもアリサの横に並び頭を下げる。
「私からも頼む。教国を覆う厄災はもはや一刻の猶予もない。今が行動を起こす時だと信じている」
クロケットが立ち上がり、アッシュに答える。
「事の次第は分かりました。司祭は尋問の必要ありとして教都に連行します。ヴァン殿の行いも先に攻撃したのが司祭でしたので全て不問とします。皆さまの邪魔もするつもりもありません、お好きになさって下さい。」
ラグに向かってこれは命令だと指示を出す。異議あるものは追って詰め所にて申し立てよ。言われた部下たちも異議などあるものかと、晴れ晴れとした顔でクロケットとアッシュを見つめている。
アリサ、アッシュ、コルヌ、グレン、ポシェ。旅を共にした面々が一斉に立ち上がり、ヴァンに顔を向ける。
そう、次を決めるのはヴァンだ。ヴァンは出陣のように大きく声を張った。
「よし。出発だ」
クロケットたちラグの先導でルブニールの城門は何事もなく通過した。
教都中央を貫く大路を真っ直ぐに聖イブルス教会に向かう。ヴァンは心なしか凱旋行進をしているような気分で、背筋を伸ばし悠々堂々と馬を進める。とても晴れやかだ。やることは決まっている。さしたる抵抗もない。
久しぶりのルブニールは相変わらずの賑わいである。往来を行きかう荷馬車、せわしなく体を動かして働く奉公人、客を呼び込む店主の声、値段の折り合いがつかないのか次第に声が上ずる客、噂話に興じるご婦人の一団、人の間を縫って駆けまわる子供たち。この市井の人々のどこに罪などあろうか。
聖イブルス教会に到着すると馬を降り、たじろぐことなく正面から堂々と教会に入っていく。
教国一といわれる広々とした礼拝堂を抜け、祭壇横の扉から一旦外回廊へと出て、先にある修道院の入り口から中央通路へと進む。すれ違う修道士も何事かという怪訝な表情で窺うも、魔導士のアリサとラグの制服を着るアッシュがいるためか、特に制止する気配もない。通路を奥へ進み交差部を左に曲がると、高等法院がある棟の階段脇をすり抜け裏庭に繋がる扉を開けた。
目の前にアリサが軟禁されていた建物が見える。なるほど、あらためて見れば小さな教会である。出入りは制限されていないのか、アリサが監禁されていたときのような錠はかかっていない。
この期に及んで逡巡など無いと、アリサが勢いよく扉を開く。
扉の中は古い写本で満たされた書庫である。コルヌとポシェは初めて目にする光景に驚きを隠さない。
書庫の中に一行の到着を待っていたかのように、男が扉を向いて立っている。
ヴァンがアリサの身を守るように前に立ちはだかるが、アリサはその必要はないとヴァンを押しのけて男に向かって踏み出した。正面に立ちお辞儀をする。
「ご無沙汰しております。ブランダート枢機卿。三等魔導士のアリサです」
「どうやら結論は出たようですね」
「はい。自分で決断しいたしました。仲間もみな納得しております」
「そうですか。多くのものを得た旅だったようですね」
「枢機卿、よろしければご説明いただけますでしょうか」
「勿論です。ただ、皆さんの目的を先に果たしましょう。話はまたその後で」
枢機卿は書庫の奥に進むと、アリサが軟禁されていた部屋の扉の足元あたりから、床に敷かれた絨毯を剥がし始めた。コルヌとアッシュがそれを見て枢機卿に駆け寄り作業を手伝う。人の背丈ほども剥がしたであろうか、床の中ほどに木製の開き戸が見える。枢機卿が戸を開けると、そこに地下へと続く階段が現れた。地下は青白い薄明かりに包まれ、灯がなくとも中が見渡せる。階段を下りると、そこは書庫と同じ広さで机も椅子もない伽藍堂であった。部屋の奥には大理石で出来た祭壇があり、壇上には小さな瓜ほど半透明の石が青白く光っている。
これが魔晶石か。
婆様の話で身に着ける程度の大きさを想像していたので、予想外の大きさに驚かされた。
皆が近づこうとするのを枢機卿が制止する。
「この先には非常に強い結界が張られています。先に進めるの貴方だけです」
枢機卿の真剣な眼差しを受けてヴァンに緊張が走る。
ヴァンはアリサに向き直り、後戻りできない決断を確認する。
「アリサ、本当に壊していいんだな」
アリサは決意は変わらないと迷いなく頷く。
ヴァンは意を決して魔晶石の元へと足を進める。
魔晶石に近づくとヴァンの体が青白い光に包まれた。光は見た目と違い仄かに温かく、体内に流れ込んでくるように感じらる。光に包まれてヴァンは中空に浮き上がるような感覚を覚える。
ヴァンは魔晶石を手に取り頭上に掲げると、大理石の祭壇に向かって一気に振り落とした。魔晶石は祭壇に当たり全体にひび割れたかと思うと細かく砕け散る。魔晶石の欠片は床に散乱し、星のごとくキラキラと瞬く。そして一粒二粒と順に色と輝きを失い、透明な晶石へと帰っていく。
日の光を蓄えて光る燐光石がやがてその輝きを失うように、床に散らばる薄白色の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます