第24話 エデンの丘

 婆様との面会が終わると、森の民に案内してもらいシルビス村や周辺の森を見て回った。森の民の生活や独自の風習は大変興味深かった。森の民は魔族だという話であったが、彼らが使う魔法は必要最低限でしかなかった。


 「食べる分だけを収穫し、調和を乱さぬ程度に獣を狩る。無闇に畑を広げず、乱伐もせぬ。魔法も同じじゃ。必要であれば使うが、無くて済むなら使わぬ。小さな閃きや少しの工夫で魔法を使わずとも便利になることはある」


 元々、人にも魔族にも知恵がある。

 知恵は無限じゃ、好きなだけ使えばよい。


 婆様の言う通りだった。





 モンターニュに戻ったのは昼時だった。広場には多くの人が出て賑わっている。丘の上の教会から正午を告げる鐘が鳴る。ヴァン達は、広場に出ていた屋台で簡単な昼食を取り、"エデンの丘"の糸口を得るため教会をに向かった。


 あらためてクレマン司教への面会を乞うと、間を置かずに客間に案内された。アッシュが皆を代表して、シルビス村での経緯いきさつをクレマン司教に説明する。司教は途中で口を挟むことなく黙って話を聞いた。


「なるほど、有益な時間だったようですね。それで、皆様がお知りになりたいのは"エデンの丘"ですね。お探しのものと関係するか分かりませんが、思い当たることがありますので、一緒に来ていただけますか」


 司教は立ち上がり、皆を引率するようにして教会の外へと出ていく。


「いずれにせよ、アシュレイ様がモンターニュを出発する前には、お連れせなばと思っていた場所でございます」


 案内されたのは、昨晩ヴァン達が宿泊した隣の旧館だった。旧館の正面から扉を開けて中に入ると、広間の中央にある大階段の裏へ回る。大階段の裏手は階下に降りる階段となっていた。クレマン司教は手燭の蝋燭に火を灯すと、階段を下り地階へと皆を案内した。短い通路を抜けると、そこは思いの外に広々とした空間だった。足元には床材が無く直接の地面だ。


 司教はその場で待つように言うと、四方の壁に設置された燭台に順番に蝋燭の火を分けていく。地階の空間が明かりを得て全体がはっきりと見渡せた。そこは館の下に作られた、歴代のモンターニュ伯が眠る地下墓所だった。


 周囲にはいくつかの墓石が並んでおり、クレマン司教は一つ一つ誰の墓であるかをアッシュに説明する。墓石には苔すら生えておらず、墓所内も蜘蛛の巣一つなく掃除が行き届いている。旧館同様に百年以上に渡って、領民が管理してくれていたようだ。本来であればモンターニュ家が行うべき責務であろう。アッシュはあらためて司祭と領民に深く感謝した。



 クレマン司祭は、最奥にある他よりやや大きめの墓碑の前で足を止めた。


「アシュレイ様、こちらが初代モンターニュ伯爵であったセルジュ様の墓所でございます」


 大きいとはいえ、初代伯爵の墓にしては大層控え目なものであった

 時に自己顕示が強い貴族は、自らが治めた領地にその権勢を誇るかのような巨大な墓碑を立てる。それに比べ館の地下に人知れず墓所を造るというのも初代伯爵の人柄なのだろう。


「ちょっと、これ見て」


 アリサが墓碑の前で立ち止まり、石に刻まれた文字を読み上げる。


 セルジュ・モンターニュ・ド・エデン


 エデン。

 アッシュが驚きの目で手燭の薄明かりに浮かび上がる墓碑銘を凝視している。

 クレマン司教はアッシュの隣に並び立ち、良く見えるように灯火をかざす。


「セルジュ様がこの地の領主になられるよりも、さらに昔の話になりますが、モンターニュ家はかなり古い時代にエデン家から別れた家柄だったそうです。そして、このエデンとは古の王家の家名なのです。歴史の中で血統の断絶や世嗣争いなど王統が庶家へ変わることが繰り返され、いつしかエデンという家名も廃れていったのだと思われます。歴史書などに記載され現在我々が知ることができる王族の家名も、元を辿れば全てエデン家に繋がります」


 アッシュにも王家の血脈が受け継がれているということか。

 とはいえ、何代も前のことで今更王族を名乗るのはさすがに憚られるのだろう。モンターニュ家が王家に繋がるという話は、父から子へとは受け継がれず、アッシュにしても初めて聞く話だった。


 さて、エデンが古き王家の名前であり、その血統はアッシュにも繋がっているということは分かった。しかし、これが探し求める”エデンの丘”に繋がる端緒となりえるのだろうか。


 ヴァンは探るようにアリサを見つめる。墓碑を見上げる仲間の影に重なり、細かい表情までは見て取れなかったが、俯むき深く思案しているようだった。


 アリサが皆と話をしたいと言うので、ひとまず墓所を後にすることにした。クレマン司教の計らいで、そのまま旧館の客間に移動する。




 もはや恒例となったが、まずはアリサの慇懃な挨拶から始まる。

「皆さん、長い間私の旅に同行いただき大変感謝しています。私自身旅を通じて多くの知識と見識を得ることができました。あらためてお礼を言わせてください。本当に有難う」


 何やら体がこそばゆくなるが、これがアリサなのだ。

 アリサは幕開けの口上を終えると、自らの強い意志を示すかのように声を張る。


「皆さんに、私の考えを聞いてもらいたい」



 この旅は私が高等法院のブランダート枢機卿に軟禁されたところから始まります。


 私はルブニールの人々の間で密告が習慣化し、不明瞭な罪状で人々が捕まり公正とも思えない裁判で容易く処罰されていることに疑問を抱き、教皇に対して嘆願書を提出しようとしました。それがブランダート枢機卿の手に渡ってしまい、私は枢機卿の甘言に騙され古びた建物の中に軟禁されました。


 牢獄ではなく、宿直室のような場所で、わざわざ教会が手配したグランが世話係として付いてくれていました。


 これは魔道教会が秘匿しようとしていることの一端に私が触れてしまったこと、また軟禁が計画的で長期間にわたる可能性があったことを示唆していると考えています。


 その後、ギルドの皆さんの助けで私は軟禁から逃れ、旅に出ることとなりました。ギルドに依頼をしたのが誰なのかは未だに謎ですが、ひとまず自由の身になることは出来ました。


 ギルドの皆さんに託された仕事が、私の旅に同行することでしたので、どこか旅の目的地を決めなければなりません。その時は自分の中でも明確にはなっていませんでいたが、軟禁中に読んだ写本の中に教会の秘密に繋がる糸口があるような気がして、頭の片隅にあった”エデン”という言葉に魅かれて、その場所を探す旅に出ることにしました。


 その道中で、イブルス教国の厄災の窮状を知り、魔道教会による村の粛清の跡を発見し、ヴァンからセレス村で起きた陰惨な事件についても教えてもらいました。そして、私の中に一つの考えが浮かびます。魔道教会が意図的に人を粛清しているのではないかと。


 ルブニールで密告が習慣化し多くの民が処罰されているのも、粛清に繋がるのではないか。処罰は長期の収監と聞かされていましたが、私は既に処刑されているのではないかと考えました。実は、その疑念は以前から持っていました。そもそも多くの人を長期に監禁し続けられるような大規模な施設などルブニールには存在しません。


 厄災の原因は人の身勝手で際限のない魔法の使用によるマナの減少にあると、シルビスの婆様に教えてもらい、それは確信に変わりました。


 教会はマナの減少による厄災を解消するため、魔法の使のではなく、使ことで解決しようとしているのだと。


 これが真実であるならば、魔道教会の愚行を絶対に止めなければなりません。




 アリサの見解はあくまで推論であり確証となる証拠は何も無い。しかし、この旅を共にしていれば自ずとその答えに辿り着く。ヴァンたちも最悪の結論に陰鬱な気持ちでいる。


 それでもと、アッシュが反論の糸口を探るように疑問を口にする。


「なぜ教会は、厄災の解決に人の粛清などという愚挙を選択したのだ。その理由がわからない」


 アリサはそんな疑義では意見は覆せないと沈痛な面持ちで首を左右に振る。


「人は自ら手に負えなくなれば、安易に魔道教会を頼ります。そのような状態が長く続いたために、それこそが魔道教会の存在意義と化してしまったのでしょう。目の前に簡単には解決できない問題が存在しいたてほうが教会にとっては都合が良いのです。婆様が言っていたマナの減少の話は、教会はうに知っていたはず。シェーブル近郊で出会った老人の話によれば、作物の収穫が減りだしたのは四十年も前のことだそうです。その頃に魔法の制限という手段を選択していれば、こんな事態にはならなかったはずです」


 そう言って嘆息する。アリサにしてみても本当は持論を論破してほしいのかもしれない。このままでは魔道教会は保身と教会の存続のためだけに多くの人を殺していることになってしまう。

 しかし、今度ばかりはアリサにも簡単に折れない強い意思があった。


「私は魔道教会に属する魔導士です。人に誇れることは魔力ぐらいしかありません。婆様からは魔族の血を受け継いでいるのかもしれないとも言われました。私にとっては魔法が全てと言っても過言ではありません。ですが、いまの世の中の状態を私は決して見過ごすことはできません。ただ私のような力の無いものでは教会の行いを正すことも覆すこともできないでしょう」


 アリサはそこで一呼吸置くと、皆に向かって大きく頭を下げる。


「だから、私は人から魔法を奪おうと思います。そして、その手助けを皆さんにお願いしたいのです」


ギルドの仲間は特に驚くことも無く、平然として当然だとばかりに頷いている。

アッシュだけが、アリサの強い思いに気圧されつつも、まだ戸惑っているようだ。


「ラグの隊長をしている私でも教会の愚行を正す自信はない。だが、人から魔法を奪うことが出来るとも思えない」


「人が魔法を使うためには魔晶石が必要だと婆様が言っていました。いまでも何処かに存在していると。それを見つけ出して壊すのです」


「魔晶石の破壊・・・。見つけ出すと言っても見当はついているのか」


「凡そは。魔晶石とはイブルスの神の誓約で言うところの聖杯でしょう。聖杯は、"エデンの丘を下りし聖地”にあると言われます。モンターニュ伯の墓碑銘から"エデン”が王家の家名であることが分かりました。つまり”エデンの丘”とは”王家の丘”、それはルブニールの丘の上、かつて王城があった場所を指しています。その丘を下った先にある聖地であれば、ルブニールの聖イブルス教会にほかなりません」


「ルブニールの聖イブルス教会」


「今の聖イブルス教会は魔道教会が建てたものです。それ以前、かつて王家によって国が統治されていた時代に、神の信仰を役割とした”教会”と呼ばれていた頃の建物が教会の敷地にあるはず。

 それに、もう一つ。神の教団のブノワ司教は、分からないことがあれば教会の図書室で文献を当たればよいと仰られました。ですが、教会の図書室には古い時代の文献など存在しません。どこにあるのか。古い文献はすべて書庫に収められています。私とグランはこの目でそれを確認しています」


 グランも思い至った。なるほど筋が通っている。


「アリサ、あの書庫なのね、アリサが軟禁されていた。確かに古い時代の教会とも言える建物だったわ」


「私の予想が当たっていればね。魔晶石の破壊については仕事の範囲を超えていると思いますが、皆さんに手伝いをお願いしたい。お金が必要なのであれば私が一生かかってでもお支払いします」


 真面目だねぇ、とコルヌが呟く。机に両足を乗せて足組みし、手を頭の後ろに組んで空を仰ぎながら大あくびをする。


「気にすんな。俺たちの請負仕事は旅の同行とアリサの警護だ。アリサが魔晶石を破壊するところまで旅は終わらないと言えば、そこまで付き合うだけのこと。追金だっていらねぇ、依頼金の範疇だ。違かわねぇよなあヴァン」


 こういうところがコルヌの尊敬できるところだ。ギルドは金は貰うが決して金のために働くわけじゃない。目の前にやるべき道理があれば果たすまで。


「ああ、俺たちは正道のギルドだからな」


 ヴァンは二つ返事で承諾する。ポシェもグランも笑いながら賛同する。

 コルヌ、あんたでもたまには良いこと言うじゃない。


 アリサは、目に涙を浮かべながら、有難うと皆に向かってもう一度頭を下げる。


「私にも司法取締官として最後まで見届ける義務があるだろう」


 ここまできて仲間外れはないだろう、慌てた様子でアッシュが後付けする。

 アッシュも自分で結論付けたのだろう。もう魔道教会と敵対することや人から魔法を奪うことに反対しない。


 ヴァンはアリサの涙が止まるのを待って、念を押すように確認した。


「人から魔法を奪うというのはいいが、与える影響は大きく混乱もあるだろう。それでもやるか」


「教会の愚行が公になり、民衆にもちゃんと説明すれば分かってもらえると思う。それに魔道教会にも賛同して協力してくれる人がきっといると信じている。できれば神の教団の力も借りようと思っているの」


「まあ、一応、考えはあるんだな」


「希望ではあるけど。でもね、後に起こることを考えて躊躇していてはいけない気がするの」


「それもそうだな。俺たちは魔法なんぞに頼らずに豊かな生活を送っている人々をたくさん見てきた。ああそうさ、なんとかなる」


「そうね。ヴァンの言う通り」


「それに、俺にとっては都合がいい。おれの特異体質が平凡になる記念日だ」


「ごめんなさい。ヴァンの結界破りも特技ではなくなってしまうけど・・・」


「おまえ可笑しいな。そもそも魔法が無ければ結界も無い、破るもんも破れねぇよ」


 アリサはそう指摘されて、自分の恍けた発言に気付くと赤面した。

 ポシェが二人のやり取りを見咎めて、なんか嫌な感じ、と膨れっ面になる。


 これでいいのだ。この仲間がいればどんなことでも乗り切れる。




 ここからの旅は二手に分かれることになった。コルヌ、グラン、ポシェの三人は助力を請いに神の教団のあるエデンに行く。ブルーノがいればギルドの力も借りようということになった。


 ヴァンとアリサ、アッシュは直接ルブニールを目指す。ヴァンとアリサは手配書が回っているだろうが、アッシュが同行していれば、手配犯の連行という名目でルブニールの城門を通過できる。同時にラグに連行されることが魔道教会からアリサの身を守ることにもなるだろう。


 決行は一か月後、集まる場所はルブニール近郊のあのギルドの隠れ家とした。


 翌日、エデン行きのメンバーは、モンターニュの街で新たに馬を手配する。草の民との生活で全員が騎乗できるようになっていたので、騎馬で進むほうが旅程が短くて済む。とはいえ遠路である。コルヌ、グラン、ポシェの三人は早々にモンターニュを出発した。


 ヴァンたちはルブニールまでは半月ほどの距離のため、もうしばらくモンターニュに滞在することにした。


 アッシュは滞在中にクレマン司教からモンターニュの歴史や地理を学び、在地の多くの人と交流した。どこに行ってもアシュレイ様と歓待を受けたが、そこは融通が利かぬほど真面目な性格のアッシュである、驕ることなく常に謙虚に接した。それが奏功したのだろう。アッシュと接することで、モンターニュの人々も物語でしかなかったモンターニュ伯爵家の伝承に、嘘偽りなしと確信し、故郷に対する誇りをあらたにする。


 アリサはクレマン司教から転移魔法の詠唱を教えてもらい、足蹴くシルビス村に通っている。片手に『魔法教典』を抱え、マナや魔法のこと、過去の歴史、森の民の生活様式などを婆様に教えてもらいながら、魔法なき未来についてもっと考えたいのだと言う。村から戻り、その日に学んだことを気が済むまで披露するアリサの姿はなんとも壮快だった。こんなに意欲的なのは旅が始まって以来だろう。


 さて、やることも無く途方に暮れていたのはヴァンである。

 手持無沙汰でしばらくは街をふらついていたが、あまりに暇を持て余したので、モンターニュの刀工職人の元で刃物研ぎの手伝いなどをして時間を潰した。

 天気が良ければ郊外の農村を訪れ畑の状況を見て回る。教国の中でも北に位置するモンターニュは春蒔き麦の産地で、今は土起こしの時期である。堆肥を混ぜながら鋤や鍬で土を掘り返す姿が方々で見られる。聞けば、今は土作りが中心で、種蒔き前にもう一度耕すそうである。


 所々で魔法を使っているのを見かけたが、基本は人の力で耕している。昔から森の民と交流があったためか、他の地域に比べて魔法への理解と自然との共生という考えが、意識せずとも身についているのだろう。村の農夫に問うても大層な理屈などは返ってこない。


 人がいろいろ手を掛けて、子供を育てるようにやさしく育んでやれば、そりゃ美味しい麦ができるんだ


 胸を張って当然のことだと笑うだけである。うちの麦は旨いぞと昼時であれば麦粥をご馳走になる。

 ヴァンはお礼にと刀工道具から砥石を出して鋤や鍬を研いでやる。ルブニールから逃げるときに、たまたま持っていた刀工道具がこんなところで役に立った。


 そうさ。元々、魔法なんか使えなかった俺は、今までだって自分の手足を動かして生きてきたじゃないか。





 半月ほどが経ち出立の時が来た。

 ヴァンとアッシュはもともとの馬に、アリサの馬は荷馬車の荷台を切り離し、曳き馬に馬具をつけて乗り馬とした。

 旅に必要な荷はクレマン司教が用意してくれた。皆それぞれに世話になったもの、そして何かと気をかけてくれたクレマン司教に別れを告げ、モンターニュを後にした。

 目指すはルブニールである。


 モンターニュからは南東へ直接ルブニールと繋がる街道が出ている。三頭の馬は縦列で連なり、真っすぐな道をひたすら進む。思い返せばルブニールを旅立ってから、教国の東側を除く国の西半分を時計回りに旅をした。ここから街道を半月ほど進めばルブニールが見えてくる。いよいよ旅も終わる。

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