衣通姫の恋

海星

第1話

「結婚おめでとう」


 私が笑顔で言うと、隆史兄たかしにいは笑った。


「ああ、ありがとう。美彩みさも結婚決まったんだって? そっちこそおめでとう。だからかな、前から綺麗だったけど、更に綺麗になったな」

「ふふ。お世辞がうまくなったんだね。だけど、女性にそんな期待させるようなこと言っちゃダメよ。勘違いする人が出てくるから」


 私は隆史兄の傍に立つウエディングドレスの女性に目を向ける。チクリと痛む心に蓋をして。


「……綺麗な人。こんなに綺麗なお嫁さんをもらって、隆史兄は幸せ者ね」

「そうだろ? 自分でもそう思う」


 胸を張る隆史兄に隣の彼女が恥ずかしそうに突っ込む。


「もう。私がコメントしにくいこと言わないでくれない? だけど、兄って? あなた一人っ子じゃなかった?」


 彼女は隆史兄に尋ねる。だけど、隆史兄は答えあぐねているのか、言葉に詰まった。


 ──どうしてそこで言葉に詰まるのよ。おかしいと気づかれるじゃない。本当にしょうがない人ね。


 内心で嘆息しながら、私は笑顔で隆史兄の代わりに答える。


「私たちは従兄弟同士なんですが、私には兄がいなかったので四つ年上だったこともあって隆史兄と呼んでいるんです」

「へえ、そうなの……」


 女性は私と隆史兄を交互に見る。そして茶目っ気たっぷりの笑顔で言った。


「従兄弟同士なら結婚できるのよね? 隆史、こんなに可愛い従兄弟だったら少しは考えたんじゃないの?」


 途端に私の顔から血の気が引いた。


 ──気づかれているの?


 きっと彼女は何も知らない。知っていればこんなことを言えるはずがないのだから。それでも女の勘というのが働いたからこんなことを言ったのだろうか、なんてことが頭の中を駆け巡る。


 助けを求めるように隆史兄を見ると、真剣な眼差しとぶつかり、胸の鼓動が跳ねる。


 ──お願いだから、そんな目で見ないで……。


 今にも意識が過去に戻ってしまいそうだった。全てを封印したはずの過去に。


 隆史兄の顔を見ていられず、私は視線を彼女に戻すと笑顔を作る。


「そんなわけないですよ! 隆史兄は面食いですし、私はずっと子ども扱いでしたから。ね、隆史兄?」


 私が話を振ると、隆史兄のどこかに行っていた意識が戻ってきたようだ。目を瞬かせて慌てて頷く。


「あ、ああ。そうだな」

「ふーん」


 納得したのかしてないのかわからないような相槌を打つと、彼女は別の招待客に話しかけられ、話し始めた。


 そこで思わず重い溜息が漏れた。それは隆史兄も同じだったようで、遅れて溜息を吐いていた。


 気づいた私が隆史兄を見ると、苦笑しながら口をパクパクと動かしている。


 ──ご、め、ん、かしら?


 それは何に対する謝罪だろうか。彼女に疑われるような態度を取ったことだろうか、それとも──?


 まだ隆史兄に気持ちを残している、未練がましい自分に泣きそうだ。それでも頑張って笑顔を作る。


「……おめでとう、隆史兄。幸せに、なってね」

「ああ……美彩もな」


 視線が交わって、二人だけの世界に入り込んだみたいだった。このまま世界から切り離されればいいのにとさえ思った。


 変わらない隆史兄の眼差し。その意味を私は知っている。そして私が隆史兄に向ける視線の意味を隆史兄も知っているのに──。


「隆史?」


 ──ああ、やっぱり。


 女性の声に一気に現実に引き戻される。全ては終わったことなのだと。ぎこちなく笑うと私は告げた。


「それじゃあ、私は帰るね」

「え、帰っちゃうの? この後二次会もあるのに。隆史も久しぶりに会ったんでしょう? 引き止めないと」


 残念そうな女性の声に、隆史兄も頷く。


「……せっかくだから、どうだ? みんなで騒ぐのも久しぶりだろ?」

「ううん。今日はこの後大切な用があるの。だから、ごめんね」


 両手を合わせて謝ると、二人は渋々諦めてくれた。


「……今度二人に会えるのは私の結婚式かな? それじゃあまたね」

「ああ、またな」


 そうして私は披露宴の会場を一人で後にした。


 ◇


 夕暮れ。昼が短くなり、肌寒い季節になった。空には既にいくつもの星が瞬いている。


 会場を後にした私は真っ直ぐ家に帰ってきた。これから大切な儀式を行うためだ。


 厳重に鍵をかけておいた上に、部屋に隠した日記帳。それを持って一人で庭に佇んでいる。


「……それじゃあ、始めましょうか」


 誰に言うでもない独り言が、寂しく響く。


 枯葉を集めたものに火をつけると、ぼうっと周囲が明るく照らされた。もちろん火事にならないようにバケツに水を入れて用意をしてある。


 それから日記帳の鍵を外すと、誰にも言えなかった秘密の一ページ目を開いた。まだ少女で、叶わない夢はないと信じていた頃の拙い文字が目の前に広がる。


 そのページを破りながら書いてある内容を思い出す。


 物心ついてから隆史兄と過ごした日々。四歳年上だったけど、嫌がることなく遊んでくれた隆史兄が大好きだった。


 そのページを思い出と一緒に火にくべた。


 そして、次。

 隆史兄に彼女ができて、初めて自分が隆史兄に恋をしていることに気づいた。嫉妬という汚い感情が嫌で自分を嫌いになりそうになった。


 その思い出も燃やす。


 次。

 隆史兄が彼女と別れたと聞き、私は隆史兄に告白した。両思いになれるなんて期待していなかったのに、思いがけず隆史兄にも好きだと言われて嬉しかった日。


 それももう過去のこと。忘れるように火にくべる。


 更に次。

 これが一番ショックだったかもしれない。

 隆史兄は異父兄だと母から告げられた日。まだ若かった母は未婚で隆史兄を産んだ。育てられないからと、不妊治療をしていた母の姉夫婦に養子に出されたと聞いた。どうあっても隆史兄とは結ばれてはいけない運命なのだと、一人で泣いた。


 胸の痛みを堪えるように火にくべる。


 そして、私が隆史兄に自分たちが本当の兄妹だと告げた日。隆史兄はまだ真実を知らなかった。あまりのショックで隆史兄の顔色は蒼白だった。自分の両親が実の両親ではなかったことに加え、異父妹に恋愛感情を持ってしまったこと。ひょっとすると私よりも隆史兄の方が辛かったかもしれないと思う。


 更にページは続く。


 色々なことを考えた結果、私たちは元の従兄弟の関係に戻ることを選択した。思いを貫けなかったこと、お互いに愛しているのに別れる選択しかできなかった後悔や自分を納得させる言葉の羅列が続いている。


 それももう終わりだ。これでよかったんだと言い聞かせながら、火にくべる。


 煙が目に染みて涙目になる。その涙がこぼれ落ちないように上を向くと、いつのまにか満天の星空が広がっていた。


 一つ一つを思い起こしながらの作業は意外に時間がかかっていたらしい。それもそうかもしれない。長い時間をかけて育んできた愛情と、それを打ち消すだけの時間はそう簡単なものではなかった。


 ──私は衣通姫そとおりひめのようにはなれない。


 木梨軽皇子と軽大娘皇女だったか。古事記にあった話を思い出す。私は衣通姫と呼ばれる軽大娘皇女のような絶世の美女ではないけれど、同母の兄を愛してしまった軽大娘皇女の境遇に思わず自分を重ねてしまった。


 だけど、二人は最後に再会を果たし、自害という道を選ぶ。


 私はそれを選ばなかった。全てを捨ててもいいと思いきれなかった。そこまでの深い愛ではなかったのかと自問自答したけれど、正解は見つからない。


 お互いに別の人を選んだ先にどんな幸せがあるのかはまだわからない。だけど、きっといつかはこれでよかったと思えるだろう。


「ありがとう、そして、さようなら──」


 立ち上っていく煙に向けて、そう決別の言葉を呟いた。

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