誰より先に死ぬべきは……


「はっ? 知ってたって」

「言った通りだよ。ヒサトの能力が暴走して、父さんや母さんを殺させてしまったことくらい、知ってたよ。それに俺は自分勝手なことをいつだってやってきた。私情なんか挟みまくりだよ」

「意味分かんねぇ。殺させてしまったって……その言い方おかしいだろ! じゃあ何で⁉ 何で犯人なんか捜してたんだよ? 俺への気遣いなんてしなくてよかったんだよ。全部知ってたんなら 兄ちゃんは何で俺を恨まないんだよ?」

「だからあれは、全部俺の責任だから」

「何でそうなるんだよ⁉ あれは俺が」

「俺が作ったんだよ! ……あの薬は、俺が」


 兄の体が震えているという事実が腕を通して伝わってくる。

 怒り、後悔、その他ありとあらゆる負の感情が兄ちゃんの体から立ち上っている。


「弟の能力を暴走させて、一生拭えないような傷を負わせたのは俺なんだよ。だから守るのは当然だろ? 兄としても、人間としても」


 その言葉が俺の腕から力を吸い取った。

 俺の記憶がさらに鮮明になっていく。

 忘れていたものを、思い出したくなかったことを取り戻していく。


「極秘裏に進んでいた能力者製造計画で、実験台に選ばれたのがお前だった。俺の弟だったけど、だったからきっと、上から言われて……その時の俺は了承して」


 兄ちゃんの言葉が引っ張り出してくれるあの日の記憶。


「だって人工的に能力者を作れば、俺以外の能力者が増えれば、少しは俺の苦労も、って楽になるって思って」


 脳裏に鮮明によみがえるのは、忘れていた会話。

 父との会話。


 俺は、父に


「兄ちゃんと同じような能力者になりたいか?」


 と問われ、


「うん。なりたい」


 と無邪気に答えたのだ。


「その時は完璧に作ったはずだった。この俺が失敗なんかするはずないって思ってた。……だけど、ああなった。なってしまった。だから結局は、俺が殺したんだ。父さんと母さんを殺したのは俺なんだ。俺なんだよ!」


 頭の中に、あの日の全てがよみがえる。


 俺の能力が、暴走した。

 勝手に精製されていく氷が父親の体を突き刺し、母親の腕を氷漬けにした。

 氷が砕けると共に母親の腕は粉々になった。


 そこで俺は意識を失った。


 次に目を覚ますと――――両親は死んでいた。


「だから俺はヒサトを守るって、何一つ苦しい思いはさせないって決めた。隠した。ヒサトに能力が定着してることを知った上で、能力は暴走するだけで定着しなかったって嘘の報告して、何よりも強大な戦力になるって分かった上で放置して……私情なんていくらでも挟んできたよ! 俺の大事なものを守るために!」


 兄ちゃんが膝から崩れ落ちる。

 こんなにもやつれてしまった兄ちゃんを見たのは、初めてだ。


「だから……本当に殺されるべきはこの俺なんだ。俺は自分勝手に、俺の大事なものおとうとを守るために、多くの人間を見捨ててきたんだよ。英雄なんかじゃない。俺は英雄なんかじゃなくて……ただの悪魔だ」

「でもそれは俺を守るためで」

「それすらも理由にしてたんだよ。自分のやってることを正当化するために、弟のためとか言って、弟に罪を擦り付けるみたいに、弟がいるから人を……テツを殺したって、弟のせいだって」

「もういい! そんなのどうでもいい!」


 俺と兄ちゃんの会話に割って入ったのはアヤだった。

 頭を抱え、髪の毛をぐちゃぐちゃに掻き乱しながら、アヤは呟くように言う。


「何? じゃあ、テツ兄はあんたたちの傷の舐め合いのためだけに殺されたの? そのために死んだの? そんなの、私だけ……私だけ…………被害者ずらして、バカみたいじゃん」


 力なく座り込んで、床に額を押し付けてアヤはむせび泣く。


「違うんだアヤ。悪いのは俺なんだ。ヒサトは何も悪くない。悪いのは全部俺なんだ。だから、アヤの気が済むなら。俺をいくらでも殺してくれ」

「トウシロウ、そうじゃないでしょ?」


 リビングの方から聞こえてきた声は、怒っていた。

 泣いていた。

 サツキさんは非難するような眼を兄ちゃんに向けていた。


「殺されるんじゃなくて、家族になるんでしょ? トウシロウまで死んでどうするのよ? 頼まれたんでしょ? あなたには家族を守る使命があるの」


 サツキさんの言葉を聞いた兄ちゃんは、しかしまだ体を震わせている。

 その隣にいたアヤがゆっくりと動き出す。

 彼女の眼には、感情が一切こもっていなかった。


「そうだ。誰より悪いやつがいるじゃないか。あんな説教じみたこと平気で言えるなんて、あいつこそ……あいつこそ!」


 誰が発した声なのか、俺はすぐに判断できなかった。

 アヤの憎悪に満ちた目と、駄々漏れになった殺意に、ただただ恐怖していた。


「誰より先に死ぬべきだなんだぁっ!」


 アヤは皐月さんの元へ走り出していた。

 手には短刀が握られていた。

 隠し持っていたのだろう。


「弄びやがって、殺す。お前がテツなんて呼ぶなァ!」

「……ぁあ、サツキ! 逃げろ!」


 兄ちゃんの声はたしかにサツキさんに届いていたと思う。


 でも、サツキさんは一歩も動かなかった。

 アヤを迎え入れているかのように、笑っていた。


 アヤがナイフを突き刺すと、ほんの少しだけ表情が歪んだ。


「それで……いいのっ」


 サツキさんの口は、そう動いたように見えた。

 サツキさんの右脇腹から吹きだす血液は赤い、アカ、アカ、アカ、アカ。


「お前が! お前がぁ……」


 返り血を浴びているアヤの肩は興奮で上下している。

 サツキさんは笑顔のままだ。


「……ごめ、んね。アヤちゃん」


 サツキさんは自分を殺そうとしたアヤを、優しく優しく抱きしめる。


「私は、あなたに、恨まれて当然。こうなって、当然。ごめんね、あの時……逃げて。謝るのが、遅れちゃって」


 ナイフの柄からアヤの両手が離れた。

 アヤの体の両端でゆらゆら揺れるその掌には、べったりと血液が付着し、指先から床の上へ一滴ずつ滴り落ちていく。


「何で、あなたも抵抗しないんですか?」


 アヤはサツキさんのことを見上げた。


「私ばっかり誰かを恨んで、殺そうとして……なのに、謝る。殺そうとしてる相手に、何でそうやって、笑顔を」

「だってあなたの言う通りだから。あなたから殺されて当然なの。……ごめんなさい。あなたを人殺しにしちゃうのに、やっぱり……ごめんな…………さい」


 サツキさんのが、アヤにもたれかかるようにして倒れる。

 サツキさんの体を受け止めきれなかったアヤと一緒に、床の上へ倒れる。


「サツキ! おいしっかりしろサツキ!」


 兄ちゃんがサツキさんのもとへ駆け寄る。


「何で、私は……私だけ楽になりたいからって…………」


 アヤはそうつぶやいて、気を失った。


 俺は、血がどうしても怖くて、その場に座り込んだ。

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