おてつだい

 店をオープンして二時間ほど経過した。


 太陽もだいぶ空の頂点へと近づきつつある。


「ふぅ。ピークは過ぎたか」


 客足が一段落したので、俺はカウンター内の椅子に座って、コーヒーを飲み始める。

 こうしてぼんやりと街を往来する人々の賑やかさを見ている時間は、本当に落ち着く。

 何も考えなくていいから。


 ああ、コーヒーブレイクって素晴らしい!


「……ねぇ?」

「…………」

「ねぇ? ねぇってば!」

「うわぁっ! っと」


 いきなり背後から肩を叩かれて、もう少しで椅子から落ちるところだった。


「な、なんだよ。びっくりするだろ?」

「全っ然いきなりじゃないんですけど。何度も呼んだのに、ぼーっとして聞いてなかったのはそっちでしょ?」

「えっ? そうだっけ?」

「そうですぅ」


 アヤは腕を組んでそっぽを向く。


 ………いやいやなんだよ!


 お前が肩叩いてきたんだろ?


「用事あったんじゃないのかよ」


 後頭部を掻きながら尋ねると、アヤはバツが悪そうに髪を指でくるくるし始めた。


「あ、ああ。そうだったわね。えっと……その、えっと」


 アヤは口を掌で覆ったり、視線を落として俺の足元を見たり、天井を見上げたり。


 え、だからなに?


 あなたの目には高速で動く妖精さんでも見えてるの?


「………………ないの?」

「はっ?」

「いや、だから、後片付けして部屋の掃除もし終わっちゃったから、他に何かすることないのって言ってんの」


 何でちょっとキレてんだよ――――って。


「部屋の掃除までしてくれたのか?」

「だって、一応居候だし、それくらいは」


 まただ。

 またその考え方。


「だから、居候じゃなくてだろ? まあ、でもありがとう」


 苦しい感情をぐっとこらえ、俺はねぎらいの言葉をかける。


「別に感謝されるようなことじゃないし」

「感謝するかしないかを決めるのは、この場合お前じゃなくて俺な」

「あっそ」


 またぷいっとそっぽを向かれる。

 ほんと、女心ってのはわかんねぇな。


「ってかやることなんてもうないから、お前もこっち来て座れよ」


 俺はカウンターの奥から椅子を持ってきて、そこに座るように促してみた。


「なぁっ……! いきなり何よ? 何であんたの隣に座らないといけないわけ?」


 なにその断り文句。

 顔を真っ赤にして言うことですか?

 そんな怒るくらい俺の隣は嫌ですかそうですか。


「お前が嫌なら別にいいけど、ここから外の景色……って言えば大袈裟だけど、眺めてると頭が空っぽになって、嫌なこと忘れられるんだ」


 アヤが心に何かしらの闇を抱えているのは確定だ。


 ただ、それを話してもらえるほど信頼されているとは思ってない――むしろ嫌われているはずだ。


 でもこの穏やかな時間に触れて、少しでも心に抱える闇から目を逸らして欲しいと思うのは、間違ってはいないと思う。


 そこに、好き嫌いの感情は関係ない。


「ふーん。そう、なんだ」


 アヤはチラチラとこちらを見ながら返事をする。

 

「ああ。時々変な格好の人が通って笑えたりもするし」

「……そっか、でも、いい。悪いし」


 ただ、最終的には拒まれてしまった。

 

 ここで「はい、わかりました」と引き下がっても良かったのだけど、アヤの曇った表情を見てしまった俺は、とっさに代替案を提示した。


 そんな顔で過ごされたらこっちまで落ち込むから。


「じゃあ店の手伝いしながらってのはどう? それならいいだろ?」


 アヤはここに住むための対価として家事を求めている。

 だから、これなら首を縦に振るだろうと思ったのだ。


「……まあ、それなら」


 よしっ。

 計画通り!


「で、何やればいいの?」

「じゃあ掃除する? 箒はここにあるから」


 俺はカウンター内の一番奥に置いてあった箒を手に取って、アヤに手渡す。


「そんな真剣にやらなくていいからな。のんびりで」

「それじゃ手伝ってる意味がないでしょ」


 ピシャリと言い放ち、アヤはそそくさと店内の掃除を始めた。


 もしかすると、と俺は思う。

 アヤにとっての家事は、俺にとってのコーヒーブレイクなのかもしれない。


 心を休める方法は人それぞれだ。

 自分のやり方を押し付けるばかりで悪かったなぁと少し反省し、俺はまたコーヒーを飲んだ。


 それから、俺は街を行き交う人々を眺め続けた。

 アヤは店内を箒で履き続けた。


 この無言は悪くない。


 空気がふわふわとしている。


 落ち着くというか、ただただぼーっとできるというか。


 目を開けているのに、心地よい日向で眠っているかのように思える。


 ――何も考えなくていいって、すげー幸せだな。


「ヒサトー! おひさー!」


 そんな安らぎのひと時に風穴をぶち上げたのは、超が付くほど明るい幼馴染の声だった。

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