第19話 被害者たちはブチ切れストーカーの夢を見る

「そ、そうね……」


 綾香は先程までのことを取り繕うように居住まいを正した。


「今回の件、話せる範囲でいいから、話してもらえるか」


 一颯の言葉に、綾香は神妙な面持ちで頷いてから、口を開く。


「発端は、校舎裏での水嶋君の告白だったわ。


『好きです、付き合ってください』って言われて、それで、私はそれを断ったの。嬉しかったけど、水嶋君に恋愛感情とかはなかったから。その時は水嶋君も悲しそうではあったけど、『これからも友達としてよろしく』って、平和な感じで別れたわ。


だけど次の日――」


 悲哀と悔恨の滲む綾香の瞳の奥に、ほんの少しの激情が灯る。


「『私が水嶋君を振ったことを、私自身が自慢気に吹聴して回っている』なんて噂がクラスで流れ始めたの」


「その噂はデマだってことか?」

「ええ。私は水嶋君の告白を断ったことを誰にも話してない」

「つまり、誰か言いふらして回った奴、もしくは奴らがいると」

「ええ……」

「心当たりは?」


 一颯の矢継ぎ早な問いに、綾香は少しの間、逡巡するような素振りを見せ「ううん、分からない」と、かぶりを振った。


「――そうか。悪い、続きを頼む」


 言える範囲で、という大前提を覆すつもりは、一颯にはなかった。


「あ、うん。えっと、それで、その噂が流れ始めたその日の夜から、水嶋君はおかしくなっていったわ」


 一颯のあまりの潔さに虚をつかれた綾香だったが、気を取り直して話を再開した。


「水嶋君、なんでクラスに言いふらすような真似をしたのかってすごい非難してきて。違うって言っても信じてくれなくて。学校ではいつもの水嶋君だったけど、裏ではストーカーみたいに、その、盗撮写真を送ってきたり、デマをなんとかしろって無茶言ってきたり……」


 綾香がスマホに保存された、翔とのやり取りを見せてくれる。そこには、彼女が言ったようなもの以外にも、あまり余所には見せられないような罵詈雑言の数々が羅列されていた。


「最初は水嶋君も苦しんでるんだって思って、色々とメッセージを送ってみたし、デマの方も否定して回ったんだけど、どっちも全然だめで。それで、やっぱり直接二人で会って話すのがいいと思って、でも、やっぱり怖かったから、藤見君たちに依頼をしたの」


「ふむ、そのための防御に特化した魔道具ってことか……」

「うん。だけど、それが多分一番駄目だった」

「……どういうことだ?」


「藤見君と会って、帰りとか送ってもらって、そういうのが水嶋君を刺激してたみたい。藤見君とは会うなって、藤見君にも手を出すって言われたわ」


――今日からは送ってくれなくていい


 あのメッセージにはそういう背景があったのだと、一颯は理解した。


「俺と会わなくなってから、大丈夫だったのか」


「うん……、大丈夫だったと言えば大丈夫だったし、大丈夫じゃなかったと言えば大丈夫じゃなかったって感じかな。相変わらず酷い言葉は送られてきてたけど、直接危害を加えてくるようなことはなかったの。


だけど、あれは――藤見君に魔道具を渡される前の日くらいだったかな、あの噂を嘘だと証明するために自分と付き合えって、付き合わないなら家族とか周りの人間がどうなっても知らないぞって……。


私、怖くて、付き合うから止めてって言っちゃったの。――ほんと、あのまま付き合うことになってたら、私、どうなってたんだろう……」


 当時のことを思い出しているのか、綾香の顔が少しずつ青ざめていく。


 もしあの混沌がこの少女一人に向けられた場合、耐え切れず自壊するだけに留まるのか、他を巻き込み地獄を生み出す根源へと転ずるのか。いずれにせよ、もはや一颯の想像の埒外である。


「結局、今回のことは今日まで誰にも言わなかったのか?」


「うん。私、水嶋君のこと、なんとかできると思ってた。私が我慢すれば、またいつもの水嶋君に戻って、またいつもの日常が戻ってくるって。


だけど、間違いだった。思い上がってたわ。結局、無関係だったはずの藤見君を巻き込んで、頼り切っちゃった」


「巻き込んだっていうほどでもないし、頼られたつもりもなかったけどな」


 嘘でも方便でもない。一颯の至って率直な見解だった。


「でも、私のせいで、そんな大怪我をさせてしまったのは事実でしょ?」


 綾香が視線を送る先、シャツに包まれた一颯の上半身は、今も大部分が包帯に覆われている。刺し傷五か所、大きな切り傷六か所に、無数の小さな切り傷と打撲傷。それらを、出来る瞬間すら直に見ていた綾香が受けた衝撃は、一颯でさえ計り知れるものではない。


 だが必要以上に気負う意味はない。いずれ治る、なんてことのない傷だ。


「いや、三浦のせいでっていうのは語弊があるだろ。俺は三浦から何も聞かされてなかったんだ。たまたま今回は現場に三浦が居合わせたけど、どっかの誰かが勝手に生きて、勝手に事故ったっていうのと、何も変わらない」


 それは冷めた風ではあったが、一颯にしては、熱の籠った発言だった。


 少し驚いた顔を見せる綾香は、曖昧な笑みを浮かべて「ありがとう」とだけ口にする。


――俺の意図を理解はしても、納得は出来ない、か。


 ならばこれ以上は平行線。論じるだけ無駄である。


「ま、お互い、お疲れさんだったな」


 だから、一颯は否定するのは諦めて、論点をずらした。


「――え?」

「三浦も頑張ったってことだよ。それだけは確定なんじゃないのか?」


 三浦は、努力の『方向』は間違えていたのかもしれない。だが、努力をしたこと自体が間違いであったはずがないし、むしろ褒められるべきことであるはず。


 結果として、全てが裏目になって、誰一人救われなかったとしても。


 だからこそ、これ以上誰かが傷つき続ける必要はないのだ。


「――うん」


 綾香は伏し目がちに、ほんの少しだけ相貌を綻ばせた。


「三浦も俺も、あとは水嶋も、今回はちょっと運がなさ過ぎたんだな、きっと」


 だから、誰も悪いことはしていない。どれだけ努力してもどうにも出来ないようなことは、全て運や神様のきまぐれのせいにでもしてしまえばいい。


 今この学校にいない翔もそうやって解放されてくれることを、一颯は願った。


 誰かへの好意をクラス中の人間に知られたことが、それだけが、あれほどの狂気を生み出すことに繋がったとは思えない。だから、おそらく翔の過去、高校入学前までの彼に、温和な彼を狂わせるだけの何かがあったのだろう。


 いや、あの温和さすら、もしかしたらハリボテだったのかもしれないが——


 だが、そのハリボテにも彼なりの意味があったはず。それを悪と断ずるだけの材料を一颯は持ち合わせていないし、きっと彼以外の誰にも分からないことだ。


 自分のやったことを悪だと裁くことができるのは自分だけ、とは、よく言ったものである。


「さて――それじゃあ、今回の件を色々とややこしくしてくれた張本人を呼ぶとするか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る