第3節 イビツ

第12話 エアバッグウーマンは倒されない

 魔道大学ができるより以前、その周辺は、田園風景や作業着姿の人間こそが似合うような土地であった。


 それが、魔道大学、及びその付属校が建てられたことにより若者の流入が爆発的に増加。需要に合わせて様々な商業施設の建設や、企業の参入が相次ぎ、急速な発展を遂げることになったのだ。


 そんな学校周辺で、唯一、時代に取り残されたかのようにぽつりと、古ぼけた神社が建っている。一颯の住む寮から大体一キロ程離れたそこは、境内を取り囲む木々が、街の喧噪や残暑をどこか遠くへ追いやってくれる、清々しさの極みのような場所。


 その参道にて、一颯は一人、待ち人来たらずといった具合に立っていた。


 右手には紙袋。中には、綾香の依頼により作成した、完成状態の魔道具が入っている。


 この護身用魔道具の学外使用許可は、依頼書なんかをあの老教師に預けた翌日には下りた。その後、すぐに初理は魔道具作成に着手し、今日の昼頃に完成。綾香に魔道具を渡すべく、この地を訪れているというわけである。


 何でこんな場所での受け渡しなのかと問われれば、それは一颯も分かっていなかった。ただ、綾香からここを指定されて、それに一颯は大人しく従っただけ。薄っすらきな臭さを覚えつつも、綾香なら特に害を持ち込まないだろうという、ぼんやりとした信頼が一颯にはあった。


 しばらくして、鳥居をくぐる、制服姿の綾香の姿があった。ただ、なんとなく落ち着きがない。何かに怯えるようにあちこち視線を彷徨わせ、そして、一颯の姿を発見したようで、小走りで近寄ってきた。


「ごめんなさい、遅くなって」

「いいけど、どうした? なんか問題でもあったのか」

「ううん、何でもないの。それより、その中に魔道具が?」


 綾香は一颯の問いを即座に否定し、急かすように尋ねた。


「ああ。――これが、今回依頼された護身用の魔道具になる」


 一颯は紙袋から腕時計のような形状の魔道具を取り出す。とはいえ、文字盤もなければ、針もない。のっぺりとした金属の板から、半透明の樹脂のベルトが左右二方向に延びているだけである。


「まずは、付けてみてくれ」


 一颯から受け取った魔道具を、綾香は腕時計を付けるのと同じ要領で左腕に装着する。


「そのまま、どっちの手でもいいから、そこをちょっとぶん殴ってみてくれ」

「え、ぶ、ぶん殴る?」


 狼狽える綾香に、一颯は「思いっきりやってくれ」と頷く。綾香は不安さを拭えないまま、右腕を振りかぶり、傍にある石灯篭へ勢いよく叩きつけ——られない。


 綾香の右拳は、石灯篭の数十センチ手前でぴったりと止まっていた。


 目を瞑り、予想される衝撃に身体を強張らせていた綾香だったが、右拳に伝わる感触に違和感があったのだろう、恐る恐る目を開き、状況を確認する。


「これ、どうなってるの……?」


 怯えたような表情が一颯に向けられる。


「それがその魔道具の機能ってこと。今の三浦は、そこら辺の車に付いてるエアバッグを全身に着ているみたいな状態なんだ」


「エアバッグ……?」

「ああ。細かい仕様とかは、全部これにまとめてある。後でざっと確認してみるといい」


 一颯は紙袋の口を少し開いて、中にある資料を綾香に見せた。数枚の紙束をホチキスで留めただけの簡素なものだが、そこには、その魔道具の使い方や仕様、注意点など、使用者にとって必要であると予測されるだけの情報が全て記載されている。


「一応、口頭で最低限必要なことは話すから、ちゃんと聞いていてくれ」

「あ、う、うん」


 資料の方へ視線を落としていた綾香が顔を上げるのを確認してから、一颯は説明を始める。


「まず、その魔道具の使用法だが、今、三浦がしているように、腕に巻きつけておくだけ、だ。そうしておけば、有事の際、勝手に魔法が発動してくれる」


 突発的状況に陥った際には、いちいち魔道具の操作なんてしていられない。そのための、常時作動型魔道具。


 常に使用者の周囲の環境を把握し続け、一定以上の速度で接近してきた物体と使用者との間に、複数の層からなる空気の断層を瞬時に作り出す。


「もちろん、常に動いているから魔力消費量はなかなかものになる。だから、身の安全が確保され次第、外すか、その金属板の横にある突起を押して、電源を切るようにしてくれ。――まあ、三浦の魔力保有量が一般人の基準を大きく下回らない限り、三時間はもつようになっているが」


 学校から綾香の家までが、大体一時間といったところ。三時間もあれば十分だろう。


 ただ、空気壁を作る際は、魔力消費量が瞬間的に跳ね上がる。攻撃を受け続ければ、三浦の身体はたちまち疲労感に包まれることになるだろう。


「次に注意点、というか、大前提として、この魔道具が三浦にとって完璧なものには、おそらくなっていない。この魔道具は、使用者である三浦を守るのと同時に、ストーカーその他大勢の人々に危害を加えられないように作られている。つまりは、三浦の身を守るのに徹されていないってことなんだが、具体的には、まず、歩いて近づいてきた者に対しては、魔道具が作用しない」


 ただの通行人とたまたま接近することなんてざらにある。その人たち全員の通行を毎度妨げるわけにはいかない。


「他にも、身体に接触されて、柔術なんかを使われた場合には、魔道具はそれを防いではくれない。だから、周囲の注意を怠らないよう、常に気を張っておく必要がある」


 綾香はきっと、魔道具によって身の安全と、そして、精神の安定を望んでいたのだろう。それらは、この魔道具の存在によって叶えることができる。気休め程度だが。


「――そっか」


 押し隠しきれなかった落胆を滲ませる綾香。一颯にとっては、なんとなく予想していた反応だった。今までにも数度、こんな顔を依頼主にさせてしまったことが一颯にはあった。


「悪いな。魔道具に対する規制なんかを考えると、やっぱりこれぐらいが限度だった。だが、ストーカーを近づけない限りにおいては、その魔道具がきちんと守ってくれるはずだ。――まあ、銃で撃たれるとか車に轢かれるとかしたら、普通に死ぬけど」


 言い訳にも聞こえそうだと自覚しながら、一颯は動く口を止めなかった。事実は、余すことなく伝えられなければならない。請け負った側の、最低限の責任である。


「――最低限知っておくべきことは、とりあえずこんな感じだ。あとは家でこの資料を読んで、それで、必要なら質問してくれ」


 そう言って一颯は話を一旦打ち切り、紙袋ごと資料を綾香に渡す。


「――うん、わかった。それじゃあ藤見君、私、もう行かなきゃ。こんなところに呼び出して、ごめんね」


 綾香はカラッとした笑顔で手を小さく振り、身体の向きを変えていく。


「別にいい」


 ここに呼び出したことも、説明中ずっと彼女が落ち着かない様子だったことも、一颯にとっては特に気にすることではない。一颯のすべきことは、既に十全に果たされている。


「本当にありがとう、藤見君。――巻き込んでごめんなさい」


 心からの感謝であるように告げた後、綾香は足元の砂利に向かって、ぽつりと謝罪を呟いた。その時、僅かに震えているようにも思えたのは、罪悪感を強く感じていたからだろうか。


 それとも、他に何かがあったのだろうか。


 一颯には、何も分からなかった。

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