第11話 Mr.即断即決にしてはよく悩んだ方

 今日の一颯には、朝から頭を悩ませている、いや正確に言えば、変化を待ち続け思考を止めたままの、とある問題があった。


――魔道具という概念の話になれば、平安期などでよく聞く陰陽師たちのいた頃や、更には、西暦以前にまで遡ることもできる。とはいえ、現代の魔道具とはその機構がまるで異なるが――


 そんな風な、いつもなら熱心にノートをとっているはずの、魔道具概論の担当教師の話が、今日の一颯には一切届いていなかった。


 もちろん、例のストーカーらしき人物からのお手紙のことではない。今朝も確かに届いてはいたけれども、こんなことは、ごみ箱へ捨てるという手間が増えるだけのことである。


 ぐうと唸る一颯の頭の中にあったのは、ひとえに綾香のことだった。正確に言えば、今朝、綾香から届いた一通のメッセージのことだった。


――今日からはもう、帰りに送ってくれなくて大丈夫。付き合わせてしまって、ごめんなさい。


 字面だけであれば、一颯がいかにズレているといっても理解はできる。しかし、この文章を送ってきた理由の方をどう解釈したらいいのか、そして、その後どう行動すればいいのか、一颯には判断ができないのだった。


 平常時なら、反省だけして後は気にしなければいいだけの事。だが、一颯には、依頼を破綻させないという役割が残っている。


 綾香が他の人たちを頼ることにしたのならいい。だが、昨日の件が原因で、彼女が一人で帰るというのなら、それは、完全な一颯の失態だ。


 自分だけで判断できないのなら、直接尋ねれば良いという話はある。しかしながら、それは本当に尋ねていいことなのかという危惧が、一颯にはあった。


 だが、もう昼も過ぎ、この次の授業が終われば放課後へ突入する。先延ばしできる段階は、もうとっくに過ぎてしまった。


 一颯は、あーどうするかなー、やっぱ依頼遂行を優先したいなー、でもあいつにとってはどうなんだろなー、とぼうっとしていると、不意に、授業終了のチャイムが耳に届いた。


 学校において習慣化された授業終了のやり取りを済ませ、一颯は綾香の背中を眺める。


 綾香は、ごそごそと鞄の中を探っている所だった。今日最後の授業の準備なのだろう。それを済ませると、机に置いた教科書をぱらぱらとめくり始めた。そして、適当なところで手を止めると、熟読を開始する。


 彼女の席は教室のちょうど中央で、周囲はそこそこ騒がしい。そんな中、集中力を持続させるのは難しいだろう。だが、綾香には気にならないらしかった。


 真面目で物静かな奴だったんだなと、一颯は思った。普段からああだったんなら、存在を認識していなくても仕方がないなと、一颯は過去の失敗を正当化した。


 そして、また授業が始まる。今度は魔道工学概論だ。現代までに発明された数々の道具たちが持つ機能を魔道具として再現すること、俗に言う魔道具化についてが、今回の主題らしい。黒板前に立つ教師が、魔道具化の有用性に関して、熱の籠った持論を展開させている。


 一颯は授業に集中することにした。何も聞かず、綾香の意思に従うことに決めたのだ。一颯個人の最善を優先させるより、彼女にとっての最善を優先させることの方が正しいのだと、一颯は信じていた。


 授業が終了し、帰り支度をし始める人がちらほらと現れてくる。クラス担任である女が教室に入ってきて、辺りの喧噪を静めるのもそこそこに、事務連絡を始めた。


 その最後に「十一月祭の方どうなってる?」と翔へ尋ねた。


「今、色々と出た案を三つにまで絞って検討をしています」


 翔の答えに、女教師は満足そうに頷く。それから、黒板横のあたりまで行って、広げたパイプ椅子に腰を下ろした。翔が入れ替わるように黒板前に立つ。翔は一枚の紙切れを持っていて、それを見ながら黒板にチョークを滑らせた。


「今日はこの三つの案について、色々と膨らませてから、最後にどれにするか決めたいと思います。あー、でもその前に、今日、用事があるよって人は、遠慮せず好きに抜けてもらっていいからねー」


 そんな翔の言葉に安堵するように何人かの生徒が席を立って、教室を後にしていく。その中に、一颯の姿はない。今日、一颯にはこれといった用事がなかった。だから、この場に自分がいる必要性を疑いながらも、残ることにしたのだった。


 教室を抜ける人間がいなくなったところで、翔が話を再開する。その話が終わると、翔を中心として、話し合いの場となった。


 クラスメイトたちを一颯はぼうっと眺める。とても楽しそうで、一颯にはとても入っていけない。そんな中、ふと、台風の目を見つけた。


 綾香だった。


 なんだよ、あいつもこっち側かよと、一颯の中に親近感が湧いた。


 ここで、とある懸念が一颯の脳裏を過る。


――あいつ、頼れる友達いないんじゃ……? ああ、でも昨日の二人がいるんだっけ?


 一颯は、昨日、色々と騒動を持ち込んでくれた二人の女生徒のことを思い出す。思い出す、と言っても、顔は全く思い出せないのだが。


 懸念は晴れないまま、会議は終わり、解散の運びとなる。一颯は後ろ髪を引かれる思いを覚えつつ、一人、寮へと帰るのだった。




 結論だけ言えば、この日から次に一颯たちが会う日までの四日間、綾香の身に危険が迫るようなことはなかった。

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