第10話 腹の虫が鳴らないように

 次の日、一颯は、またポストに紙切れが入っていることを確認し、暇な奴だなぁと嘆息だけして、学校へと向かった。一颯にとっては、授業が始まる頃にはもう完全に頭からは抜け落ちるくらい、どうでもいいことだった。


 そうして時間は過ぎ、昼休み。一颯が購買から食料を調達して帰ってくると、向けられる三人の視線があった。一人は申し訳なさそうにしていて、他二人はとても楽しそうに手を振っている。


 俺の席に面白いものなんてないだろうにと一颯が近づいていくと、待ちかねたとばかりに声を掛けられた。


「ねぇねぇ、やっぱり二人って付き合ってるの⁉」

「ねぇねぇ藤見君っ、どうなのどうなの⁉」


 迫り来る好奇心に満ちた瞳と必要以上の音量に、一颯は思わず後退る。


「……何の話だ?」


 一颯には状況が飲み込めず、一人眉尻を下げている綾香へ困惑の視線を向けた。


「ごめん、藤見君。なんていうか、最近私たち色々あったでしょ? それで、もしかしたら付き合ってるんじゃ……なんて疑われてるの」


 少し抑えた声で、綾香がそう説明をしてくれる。おかげで、一颯の中で合点がいった。要は、自分たちの友人が一颯みたいなクラスのはみ出し者と仲良くやっていることを知って、好奇心が溢れ出てしまったのだろう。


「俺と三浦は付き合ってないよ」


 一颯ははっきりと事実を口にする。


「えー。でも一緒に、それも二人きりで帰ってるんでしょ? それで付き合ってないって、ちょっと有り得なくない?」


 何を根拠に有り得ないと評しているのかは一颯には分からない。けれども、実際には有り得ているのだから、毅然とした態度で臨めばいい。


「いや、目の前にその反証があるんだけど——」


「あっ、あれだ。今は付き合ってない、ってことね? そんな恥ずかしがらなくてもいいのにー」

「初々しくて、きゅんきゅんしてきちゃうよ!」

「「ねー!」」


 だが、彼女らには届かない。わちゃわちゃと勝手に盛り上がっている。


「いやだから――」


 否定しようとした一颯だったが、二人の矛先は既に綾香に移っている。


「綾香何であの告白断っちゃったのかって思ったけど、先約があったんならしょうがないかー」

「今まさに愛を育んでる途中なんだもん。誰にも邪魔されたくないよねー」

「だから別に藤見君はそういうんじゃ――!」


 その後も、綾香の友人二人による怒涛の掛け合いと、それを必死に収めようとする綾香の奮闘は続く。そして、一颯は理解した。きっともう彼女らの目には、すぐ近くの一颯の姿すら映っていない。質問をしに来といて、その実、結論は最初から自分たちの中にあったのだと。


 一颯は、間に挟まれている綾香に悪いと思いながらも黙って席を立ち、嵐の中から抜け出す。背には三者二様の声がかけられるが、もはや一颯に取り合う余力はない。


 結局、昼休みが終わるまで、一颯が教室に戻ってくることはなかった。


 そして夕方。その日の部活も終わり、今日も一颯は綾香を家まで送っていく。


 しかしながら、彼らの間にはあの昼休み以降一切の会話がなかった。傍から見ても、今並んで歩く二人の間には、その物理的距離以上の何かが存在しているように感じることだろう。


 そしてそれは、当事者である一颯も十分とは言えないながら実感していた。


 依頼しに来たその日から毎日のように部室に顔を出していた綾香が、今日だけは姿を見せなかった。結果、いつもならば部活終了後、その流れで帰りを共にしていたが、今日だけは待ち合わせをする必要があったのだ。


『第五研究棟受付前に、十九時。待ってます』


 SNSを用いて一颯に届けられたメッセージ。特に連絡先の交換などをしていなかった二人では、SNS上でのクラス単位の付き合いから個人にまで辿り着ける機能がなければ、こんなに簡単にはいかなかっただろう。


 失敗だった。一颯は、あの昼休みにて自らが取った行動を悔いていた。だが、きっと次また同じ目に遭ったとしても、自分はまた同じように逃げ出すだろうことも理解していた。


 あの場にいることは、一颯にとってはたった一人行う滝行よりなお辛い。外部からの刺激に耐えるだけでなく、内から出る膿が臓物を食い破り皮膚を裂いて顔を出さぬよう堪えなければならない。まさに二重苦というやつだった。


 きっと、あの程度でこんなことになる自分はおかしいのだろう。あれは、クラス内では時折目撃される光景で、当たり前のように交わされる言葉たちだ。


 未だそこに至るには遠いことを思い知らされる。いや、きっと一歩も近づけてはいなかったのだ。


 部室にいる時から、一颯の頭の中はこんなことばかりだった。隣を歩く綾香がいなかったなら、もっと酷いことになっていたかもしれない。


「あ、あの、藤見君」


 不意に、綾香の顔が一颯を向いた。一颯も顔を持ち上げる。不安げに揺れる瞳が、一颯の目に映った。


「お昼は、その、ごめんなさい。ああいうの、嫌だったわよね。私がもっと強引に止めておけば――」


 しどろもどろになりながらも必死に言葉を紡ぐ綾香。また一つ、失敗を重ねたことを一颯は自覚する。それを、今更ながら何とか取り返そうと、一颯は口を開いた。


「いや、三浦は悪くないよ。それに、他の二人も」

「でも――」


 そう異議を唱えようとした綾香を遮り、確定した事実を一颯は頑として告げる。


「悪いのは、俺だ。普通じゃない、俺だけだ」

「っ、それは——」


 綾香も気付いている。そして、知っている。だが、理解しきれてはいない。

それは、クラスメイトたちだって同様で。


 一颯は、正真正銘の異常者なのだ。


 水と油が、そのままでは絶対に交わらず、差異を示し続けるように、何らかの強烈な外的要因がない限り、異常が普通に内包されることはない。


 では、どんな点が異常なのか。それは、綾香という普通の人間が一颯に関わり続ければ、おのずと浮き彫りになること。


 一颯だって出来るならそんなもの披露したくないだろう。だが、根本から異常である彼に、自らの異常性の制御なんて不可能だ。


 何が異常で何が普通なのか、その区別さえままならないのだから。


「俺の方こそ悪かったな。空気悪くして」


 こんなことを言えばむしろ悪化することくらい、一颯には分かっている。でも、こうする以外に一体何をすればいいのだろう。


「――――、」


 何かを言いたくて仕方なくて、でも何を口にしていいのか分からない。綾香はそんな悲痛さを滲ませる。


 そんな様子を見て、彼女は優しい人なのだと、一颯は嫌でも自分との差異を痛感させられた。


 彼女の依頼を請けなければよかったと、一颯は思った。


 それから、当然、空気は悪いまま、一颯と綾香は駅の改札を抜けて電車に乗り、そして電車を降りて、もう一颯にも見慣れてしまった住宅地の道路脇を歩いていく。


 たまに来る自動車が、道幅が狭いせいで非常に近くを通る。この時、一颯はどうしてもより外側を歩く綾香に寄らないといけなくて、肘や肩が触れて、つい謝りたくなった。


 だが、綾香との付き合いもいずれ終わる。これまであった依頼から考えて、魔道具作成にかかる期間は大体三日前後。それくらい耐えられない一颯ではない。


 一颯の日常には、綾香の登場によって変化が生まれた。


 しかし、それは一過性のもの。どれだけの変化量であったとしても、一颯本人が変わらない限りまた以前の日常に収束してくれるだろう。


 だからもういい。あらゆる失敗は、このまま置き去りにしてしまえばいいのだ。


 そうして、一颯は今日も綾香を彼女の家まで送り届け、帰路に就いた。

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