第2節 異端者の非日常

第6話 ラブコメは食べられません。いやホント勘弁して。

 電車が揺れた。一颯は体幹に力を込め、他の乗客の邪魔にならないよう前に抱えた両肩掛け鞄の位置を左手で修正する。


 時刻は午後六時を少し回ったくらい。込み合う車内は、空調設備の奮闘も空しくなかなかに暑苦しい。これ以上になる朝の満員時を考えると、自分は電車通学でなくてつくづくよかったなと、一颯は自らの幸運さに感謝をした。


 そして、面倒な役回りになったもんだと嘆息した。


 ストーカー被害の件について、これ以上深く入り込むべきじゃない、と一颯は思う。そもそも、綾香の依頼は魔道具の作成であって、ストーカー犯罪そのものの対処ではない。頼まれたこと以上のことをするのは綾香にとっても余計なお世話だし、一颯自身がストーカーをどうにかできるわけもないのだから。


 だが、今、一颯は綾香と帰りを共にしていた。


 どうしてか。それは、綾香が自身の友人たちにさえもこの件を話しておらず、彼女が帰りに一人きりになるということを聞いて、そして、頼まれてしまったから。


 彼女に何かあれば、依頼の前提が破綻する恐れもある。依頼を請けた一颯に選択肢はなかった。


 ぐら、と電車が揺れた拍子に、綾香にサラリーマンの背がぶつかる。「わっ」という呟きと共にバランスを崩した綾香の腕を、一颯はすかさず掴んだ。


「あ、ありがとう」

「俺の腕でもシャツでも、とりあえずどっか掴んどけよ」


 体勢を整え終えた綾香に、一颯はそう促し彼女の腕を離す。綾香も一颯と同じく両肩掛け用鞄を抱えるように立っていて、だけど一颯に比べて明らかに安定感が欠けている。


 綾香はいくらかの逡巡の後、周囲の喧噪でかき消されそうな「ありがとう」を口にして、袖まくりをして露わになっていた一颯の手首のあたりを握った。


 それからはお互いに無言の時間が続く。車窓から覗く景色が、ビル街から徐々に背の低い家屋なんかが並んだものになってきたというのに、太陽は上手くその姿を隠していて、残光だけがあたりを照らしてくれていた。


 数駅停車して、車内にもだんだんと余裕ができ始める。一颯の腕を握る綾香の掌が、既にまあまあ汗ばんでいるのが、一颯にも分かった。


 しかし、一颯は何も言わない。何かを口にする必要性を、一颯は感じていなかった。むしろ綾香の方が何か言いたげというか、色々と悩んでいるような雰囲気があって、一颯はひとまず待っている状態だった。


 だが結局、そんな膠着状態を脱することのないまま、目的の駅に到着してしまう。


「おーい、ここで降りるんだよな?」


 未だぼうっとしている綾香へ、一颯が声をかける。「え?」と綾香が一颯を見上げると、ちょうど電車の扉が開いた。


 移動する乗客に押されて、綾香が一颯へ倒れ掛かる。それを一颯が咄嗟に支えた。


「ご、ごめん……」


 そう言って身体を離す綾香に、一颯は「扉が閉まる前にさっさと降りよう」と促して、二人で電車を降りる。立ち止まっても邪魔にならない場所まで移動してから、抱えるようにしていた鞄を背負い直して、改札へと向かった。


 改札を抜けて駅を出ると、辺りはもうかなり暗くなっていた。スマホの時刻では、もうそろそろ七時になるかというところ。夜はまだまだ長いというのに人通りが少なく、飲食店なんかも一切ない。あとは電車の騒音さえなければ、まさに閑静な住宅街と言っていいだろう。


「この辺って、いつもこんな静かなのか?」


 歩きながら、一颯は少し驚いていた。


「ああうん。もう少し歩いたところにならスーパーとかもあるんだけど、この辺りはもう完全に田舎って感じ。コンビニだって全然ないし」


 一颯の問いに、綾香は不満そうに答えた。


 本当の田舎を知っている者なら、綾香の「完全に田舎」という発言をきっと否定したくなることだろう。しかし、今さっき後にした駅からほんの数駅行ったあたりには、東京二三区もかくやと言わんばかりの高層ビルやタワーマンションなんかが立ち並び、その更に少し行った魔道大学やその付属高校の辺りでさえ、少し歩けばショッピングセンターやらアミューズメント施設がすぐに見つかって、いつまでも賑わっている。


 それらと比較すれば、精々が二階建ての家屋があるばかりのここらを「完全な田舎」と呼称したくなるのも無理はないのかもしれない。


「不便なもんだな……」


 一颯はそう呟いて同調しておいた。


 それからは特に会話らしい会話もなく綾香の自宅に到着する。彼女の家は、大豪邸という程でもないが、それなりに裕福そうな赴きがあった。大きさとしては付近の家屋二つ分といった具合。


 ストーカーの目的は金だろうかと、そもそもストーカーの話自体信頼出来ないながら、一颯はぼんやりと建物を眺めた。


 そうして、綾香が家に入るのを見届けてから、一颯は帰路に就いた。

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