第5話 死にたくないので好奇心は捨てました。

「……す、ストーカー?」


 一颯は一瞬、その語感から、スカートの話を自分から蒸し返し始めたのかと思った。


「ええ。私ここ最近、学校の帰りとか、誰かにずっと後を付けられてるの」

「そ、そうか……。それはまた大変だな……」


 ストーカーなんて、普段の依頼とは別の意味で一颯の手には負えない。というか、初理だって無理だろう。結果、一颯は当たり障りのないことを口にするしかなかった。


「大変だな、じゃなくて。何とかしてくれるって聞いたから来たんだけど」


 一颯の他人事のような反応に、不機嫌さを露わにする綾香。


「あーいや、あのな、ここは興信所とか何でも屋っていうわけじゃないんだ。魔道具作成の依頼とかなら大歓迎なんだが、その手の話ならちゃんとした機関を頼れ?」


 人伝にこの部のことを聞いたからなのか何なのかは分からないが、きっと誤解をしている。そう思った一颯はその誤解を解くため、諭すように言葉を返す。


「あーそっか、ごめんなさい。ちょっと言い方が良くなかったわね。私の依頼は、ストーカーから身を守るための魔道具の作成なの」


「ストーカーから身を守る……撃退グッズとか、そういうのってことか?」

「まあ、そんな感じかな。とにかく無事に家に帰れれば、それでいいの」


 今回綾香が依頼をしに来たのは、つまるところ、市販されている撃退グッズでは心許ないということなんだろう。ああいったもの、携行できるものについては特に、できることに限界があり、限界を知れば、不安が生まれる。


 もう少し魔道具が世間に浸透していれば、それらの限界を押し上げて、不安の解消にも繋がったのだろうが、そう上手くはいかない現実がある。魔道具に関しては、少々どころでなく規制が厳しいのだ。


 こんな現実の中で、一颯たち学生が自ら魔道具を作成し、学外に持ち出すとなれば、学校からの許可が必要だ。そして、他者を害する可能性のある魔道具は、その程度にもよるが、まず許可は下りない。


「無事に家に帰る、か……。それは、怪我をせず家に辿り着く、ということでいいのか」


 一颯は依頼者の目的をより明確にすべく、確認を怠らない。無事家に帰る、という言葉では、解釈が一意に決まらず、相互不理解が生まれ、依頼遂行に支障が出る。それをなくすための、必要な作業だった。


「――ええそうね。怪我さえしなければ、問題はないわ」

「分かった」


 一颯はそう頷いて、依頼書の依頼内容の欄を埋める。


――依頼内容。ストーカーに対する自衛のため、身体的傷害に限定し、これを防ぐ魔道具の作成。


 一颯は腕を組み、思考を巡らせ始めた。


 依頼者がストーカーによって傷害を負わされることを防ぐ。


 ただストーキングされているだけなら、心的ストレスはあれど、怪我を負うことはない。ストーカーがストーキングから直接的な接触に踏み切ってきてやっと、怪我を負う可能性が生まれる。


 となると、ストーカーが接近してきた場合に、それを阻害するものか、物理的接触を受けても傷害を与えられないようにするもの、それも、ストーカー本人、被害者双方に怪我を負わせないもの。


 一颯は学外使用許可云々を考慮しつつ、様々な可能性を模索していく。


 あの透明化の魔道具が使えれば、きっと全部解決するんだけどな、と一颯は一旦頭を休めた。綾香の姿が見えなければ、ストーキングそのものが不可能になるだろうし。


 その後も、時に綾香の具体的な要望なんかも聞きながら、一颯はひたすら思考し続けた。そして、作成する魔道具の案について何パターンか捻りだし、それぞれがまとまってきたあたりで、一颯は綾香への確認事項があったことを思い出した。


「ああそうだ、三浦。依頼書なんだけど、こんな感じでいいか?」


 一颯は手元に散らばった紙たちの中に埋もれた一枚を取り出し、綾香に渡す。綾香はそれに一通り目を通した後、


「うん、だいじょう——、ねぇ、これって学校に提出するのよね?」


 まるで何かに気付いたかのように、綾香は一颯に視線を向けた。


「そうだけど、なんか不備でもあったか?」


 印刷ミスか、それとも依頼内容の記載に不備があったか。でも、今大丈夫と言いかけなかったか、と一颯は疑問に思った。


「ううん、そういうことじゃなくて。その……ストーカーされてるってこと、学校には伝えないで欲しいの」


 少し言い淀みながらも、綾香は自らの意向を口にした。


「……どういうことだ?」


 綾香の言葉に、一颯は流石に驚かずにはいられない。


「あんまり大ごとにしたくないの」


 それはつまり、内密に依頼をこなして欲しいということだろうか、と一颯は考える。しかしそうなると、一颯たち側の依頼を請ける理由メリットがなくなってしまう。


「ストーカー被害を受けている時点で、既に大ごとなんじゃないのか? それとも、三浦にとっては大したことないってことなのか?」

「それは――そうじゃないけど、でも、詳しいことは話せないの。ごめんなさい」


 再び言い淀んだかと思えば、今度はきっぱりとした様子で頭を下げる綾香。うっすら肌で感じていたきな臭さが、一颯の中で確信に変わっていく。


「……念のため聞いておくけど、警察には相談したのか」


 一颯の問いに、綾香の瞳が僅かに揺れる。それでも、綾香は一颯を見据えたまま、


「してないわ」


 はっきりとそう答えた。その潔さは、たとえ断られようと仕方がないという彼女の覚悟の表れか、それとも――


 しかし、綾香の思惑など一颯は知らない。どんな過程があって、綾香がこうして依頼をしに来たのか。それらを一切話してくれないのだから、分かるはずもない。


 それでも、入り組んだ事情があることだけは察することが出来る。そして、関わらない方が自分の身のためであることも。


 一颯にとって綾香は、今まで、その名前すら知らなかったような存在。そして、今回の件がなければ、これからも知ることがなかったような存在。断って、それから彼女が不幸になったとして、そこに何か不都合は――おそらくない。


 クラス内の印象は更に悪化するかもしれない。綾香が依頼を断られたと吹聴して回れば、ただでさえ微妙な一颯の立ち位置は、とうとう取り返しがつかなくなるだろう。


「……なら、一度のその依頼書を貸してくれ」


 そう言って、一颯は綾香に手を伸ばす。その手に、綾香は持っていた紙をおずおずと置いた。


「ストーカー被害に遭っていることを記載しなければいいんだな」

「え、ええ」


 少し緊張したような綾香の声を聞き流して、一颯は依頼書を机に置き、依頼内容の欄に書かれた文字たちを消しゴムで消していく。その後、再びペンを走らせていった。


「これでいいか」


 そして、一颯は再び依頼内容の欄を綾香に見せた。そこには、全く新しい、全く嘘っぱちな依頼内容が書かれていた。


――依頼内容。よく躓く依頼主の祖母のため、怪我防止用魔道具の作成。


「これ……」


 綾香にまじまじと見つめられた一颯は、居心地悪そうに顔を背けた。


「ありがとう、藤見君」


 安堵したように顔を緩ませる綾香。


――適当に祖母とか書いたが、問題はないらしいな。


「三浦にどんな事情があろうと、俺たちは魔道具を作って渡すだけ。この点に何の変化もないのなら、多少大人を騙すくらい、どうってことない」


 一颯は矢継ぎ早にそう答えた。


 もちろん一颯の中の疑念が消えたわけではない。何かあれば依頼完遂前に自ら一方的に契約破棄を言い渡すことも、一颯は視野に入れている。


「それじゃ、後はこいつにも目を通してから、両方に確認の署名をしてくれ」


 そう言って、一颯は綾香に免責事項なんかが長々と書かれた契約書を渡す。受け取った綾香は、さっと目を通して、依頼書、契約書両方に、自らの名前を記入した。

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