第13話 タピスリを裂くような悲鳴

「しかし、プリマヴィーラさま。今年も狩猟祭には参加されるんですよね」


 冬休みに入って数日の経った、冬の天の月。

 珍しくアウフムッシェル邸の自室に籠っていた私に、乳母はそう話しかけた。

 夜会に続く夜会、また夜会と、連日のダンスに疲れきっていた私は、愛馬で遠乗りに行くのも億劫で、しょうがなく来学期の予習をしていたのだ。といっても、まったくもってやる気は出てこず、ソファーにだらりと寝そべって、本の字列をなぞるだけだった。いよいよ第一学年の知識の応用だけでは効かなくなってきた。文書内容を理解するだけでやっとである。

 部屋のドレスキャビネットを整理しにきた乳母に、「フィデリオさまに教わっては?」と尋ねられたが、「絶対に嫌」と断った。ため息をついた乳母が「でしたら、ちっとも捗っていないようですし、狩りの練習をされては?」と提案してきたのがついさっき。それに対して「気分じゃないのよ」と答え、乳母がさらに返したのが先の言葉。


「狩猟祭?」私は乳母のほうを見遣る。「出ないわよ」

「またまた。そんなことを言って、去年も参加されたではありませんか」


 乳母は季節外れのドレスをキャビネットから出していく。代わりに、冬に適したドレスが押しこまれていった。このところ、あちこちのパーティーに参加することが多いから、ドレスの管理が常より増えたのだ。夫人にしては珍しく、私に新しいドレスを買い与えるほどだ。おかげで、私のドレスキャビネットは、ここ最近、ぱんぱんだった。


「待って、乳母、その普段着用のドレスは出さないで。よく着るの」

「もう時期ではありませんよ」

「動きやすいのよ、ひらひらしてなくて」

「近頃は夜会だけでなく、家同士の出入りも増えています。普段着のドレスにも気を使わなくてはなりませんよ」そう言って、乳母は深緑のドレスを腕にかけた。「靴と髪飾りも整理しなくてはなりませんね。選別した服に合うものを残しておきますから、ドレッサーはプリマヴィーラさまご自身で片づけてくださいね」


 侍女に任せておけばよいものを、乳母は私の面倒を見る。そしてこやかましい小言を言う。どうせまた使うのだし、化粧品なんて出しっぱなしでいいはずでしょう。


「それで? また今年も、狩猟祭には出ないなどとおっしゃるのですか? そう言って、去年は出たくせに?」

「今年は本当に出ない」私は上体を起こし、本を閉じる。「フェアリッテが狩猟祭には参加しないから。代わりに、前夜祭のタピスリを織るのよ。だから、私もそれの手伝いをしなくちゃいけないの」


 それを聞いて、乳母は「ああ」と納得した。

 今年も冬の光の月には狩猟祭が開かれる。去年の私は、主にその狩猟祭に参加したが、狩猟祭の全日程は三日間で、前夜祭、狩猟祭、後夜祭に分けられた。狩猟祭に参加する者たちを激励する前夜祭、運命ファタリテートの供物となる獲物を捕らえる狩猟祭、捕らえた獲物を捧げる後夜祭だ。

 前夜祭が開かれる前日まで、各々が陣営を組み、タピスリを編む。最も優れたタピスリは、運命ファタリテートへ供物を捧げる際の天幕となるのだ。前夜祭はそのお披露目会であり、選考会でもある。

 狩猟祭が武の頂点を決めるものなら、前夜祭は芸の頂点を決めるものだ。


「なるほど。フェアリッテさまは縫術に優れていらっしゃいますしね。第二学年では織物を修得されるようですし。さぞかし見事なタピスリを織られることでしょう」乳母は睥睨した。「……プリマヴィーラさまにそのお手伝いができるでしょうか?」

「上手くやるわよ」

「制服の襟の刺繍も家庭教師に任せた貴女さまが? 織物なんて、これまで一度もやったことないでしょう」

「しょうがないじゃない。私の選択は馬術よ。そこはフェアリッテも理解しているはずだし、多少下手でも文句は言わないはず」

「言えないだけです。フェアリッテさまもお困りになるはずです。いまからでも遅くはありません。私めが多少なりとも手ほどきいたします」

意匠デザインを考えるのはフェアリッテよ。私たちはその手伝いとして手を動かすだけ。さほど技術はいらないわ」

「しかし、あのボースハイト嬢がお相手なのでしょう? 縫術に関して、実に秀でたご令嬢だと、乳母も聞き及んでおります」


 たしかに、ガランサシャの腕前は見事なものだ。

 彼女の制服の襟には、ボースハイトの家紋であるロベリアの花が、なんとも鮮やかに咲き乱れている。ジギタリウスの襟にも同じ刺繍があるため、おそらくガランサシャの手によるものだろう。まるで一介の技術師が施したかのように精巧だった。


「それに、ボースハイト家は、王国屈指の商団と製糸工場を持つフォルトナー家とも交友関係があるのでしょう? そのタピスリのために、上等の糸を用意するに違いありませんよ」

「……そうね」


 私は頷いたのに、なにも責めてはいないのに、乳母ははっと息を呑み、逡巡、「申し訳ありません」と言った。私は押し黙る。間を置いて、乳母は改めて口を開く。


「織物にまつわる教本を探しておきますので、ぜひ目を通されてください」

「わかったわ」


 乳母は選り分けたドレスを持って、部屋を出た。

 私は本をソファーに置き、ベッドまで歩み寄る。

 枕元に置いた亜麻色のフレーゲル・ベアを掴み、その眉間をすっと撫でた。

 誕生日にフェアリッテからもらったフレーゲル・ベアは、学校にいるときも、アウフムッシェル邸に帰っているときも、ずっと枕元に置いている。ルームメイトのリンケやコースフェルトは「懐かしいですね」「手放しがたくなったの?」と笑ったが、フィデリオはなにも言わなかった。フレーゲル・ベアの、甘く蕩けそうな感触に、私は目を細める。

 さて。前夜祭では、どうやって、ガランサシャとミットライトを邪魔してやろうか。

 フェアリッテ陣営がタピスリを編むように、ガランサシャも先導して陣営を組み、参加する。ミットライトは狩猟祭に出るため、自ら先導することはないようだが、彼女の派閥の者が陣営を組んでタピスリを編む予定らしい。

 前夜祭での競争は、個人技に見えて、実のところ、派閥同士の総力戦である。

 フィデリオ曰く、昨秋から、他国から輸入した糸の取引が難しくなっているという。市場に出回る量が減り、値段が高騰しているのだ。また、そもそもの取り扱いが減っているものもあるという。王太子妃候補争いを見据え、輸入をおこなうミットライトが、今日こんにちに備えて糸を独占していたのだとか。

 タピスリを編むための材料が手に入りにくい以上、ミットライト以外の派閥は劣勢を強いられるが、先刻、乳母の言っていたように、ボースハイトはフォルトナーと交友がある。代わりの糸を見繕うことなど容易い。

 派閥の家の力が物を言うのだ。

 前夜祭はもうとっくの昔に始まっていたと言える。

 ブルーメンブラットは先の二家からおくれを取っている。ブルーメンブラットを支持するアウフムッシェルとて貿易の要ではあるが、主な輸入品は食品や医薬品などで、衣類を含む繊維貿易はミットライトに分がある。侯爵家ギュンターは武勲と忠誠で地位を固めた家門であるため分野外だ。派閥内を隈なく探せば適当な後援をいただけるかもしれないが、政敵の二家と並び立つのは難しいだろう。

——二家を潰すほうが話は早い。






 冬休みが明けると、校内は一気に狩猟祭の雰囲気を帯びた。

 放課後、縫術に長けた令嬢たちは、前夜祭に向けてのタピスリを織りはじめ、馬術に長けた令息たちは、弓矢や狩りのための訓練を始めた。

 フェアリッテも、ルームメイトや支持者たちの力を借りて、謝肉祭の寓意を模した意匠デザインのタピスリを織っていた。幾何学的な文様と絵画的な模様を織り交ぜていて、完成すればさぞかし美しいタピスリとなるだろう。

 私とリンケもその手伝いとして参加していた。縫術を選択教養としている者が織機を扱い、私やリンケのように縫術を選択していない者はビジューの縫いつけやフリンジの処理などを担うこととなった。


「よかったわ」針に糸を通しながら、リンケが呟いた。「織物なんてやったことがないから不安だったけれど……ビジューの縫いつけくらいなら私もできるから」


 私とリンケは隣り合って、フェアリッテの織った端からビジューを縫いつけていく。たしかに、これだけ大きな織機を扱うよりは、縫いつけなどの装飾作業のほうが気も重くない。細かい作業は性に合わないが、織物をするよりかはよっぽどいい。

 リンケの言葉に「同感です」と言ったのが、フェアリッテのルームメイトであり、私たちと同じ馬術を選択しているメヒティルデ・グラーツだ。癖のある涅色髪ダークヘアをため息で揺らして、「織機なんて触ったこともありませんもの」と言った。


「刺繍はともかく、織物となると、専門的な知識が必要ですよね。ブルーメンブラット嬢の足を引っ張らないか心配でしたが、これならばお力になれそうです」

「こちらこそ嬉しいですわ、リンケ嬢」と、タピスリを織るフェアリッテ。「ヴィーラもありがとう。メヒティルデもね。仲良しの友達と一緒にタピスリを織るなんて絶対に楽しいって思ったの! その襟元の優美な刺繍を刺した貴女たちなら、きっとビジューも美しくあしらえるだろうしね」

「最善を尽くすわ」グラーツは肩を竦める。「ちなみに、進捗はどう?」

「いい感じ。イドナとエミーリアのおかげよ」


 フェアリッテはエミーリア・リューガーを見遣った。ちょうどイドナ・ヴォルケンシュタインは席を外していたが、二人ともフェアリッテのルームメイトで、選択教養は縫術だ。今回はタピスリを織るフェアリッテの手助けをしている。私には理解のできない動きで糸を束ね、櫛のついた棒のようなもので梳いていた。


「むしろ、声をかけてくれて嬉しかったわ。フェアリッテの手助けができるなんて」そばかすを散らしたリューガーが、可憐なえくぼを作る。「きっと素敵なタピスリにしましょうね」


 フェアリッテのルームメイトたちは朗らかに笑う。この陣営の雰囲気はよかった。元よりブルーメンブラット派閥の面々で集まっているのだから当たり前だが、昨今の、腹の内を探ったり淑やかに詰ったりするような気配は、一切見られなかった。


「こうしてみなさんと顔を合わせるのは久しぶりな気がしますわ」リンケが見渡すようにして言った。「たしか、ブルーメンブラット嬢の誕生日パーティー以来ではないですか? あのときもこの顔ぶれでしたよね」

「たしかにそうですわ」

「もう半年以上前のことなのね。懐かしいわ」

「そうそう!」そういえば、とフェアリッテが声を弾ませた。「あのときリンケ嬢からいただいた羽根ペンがとてもよかったんです。私の使っている紙と相性がよかったのか、とっても書きやすくって……本当にありがとうございました」

「気に入っていただけたのならよかったですわ」

「フェアリッテの使っている紙はラムール産のものだったかしら?」

「ええ、ラムールのパルシュマン社よ。メヒティルデも?」

「私はリーベ産よ。ペルガメント社のものを使っているのだけれど、めくるときの手触りが好きではなくて、せっかくだからラムール産のものに変えようと思っていたの。リンケ嬢の贈ったという羽根ペンと一緒に揃えようかしら」

「それがいいと思うわ」

「ラムールといえば、香水も有名ですよね。リンケ嬢は香水を嗜まれますか?」

「普段使いはしませんが……よい品があるのですか?」

「そうなんです。ちょうどこのタピスリも、その香水に浸した糸を使っているんです」

「まあ! 道理で、馨しい仕上がりだと思いました」リンケは顔を綻ばせる。「このような芳香を放つタピスリなんてまたとないでしょうね。ますます完成が楽しみです」


 彼女たちの気質にあてられたのか、リンケもすっかり馴染んだ様子だった。

 ちくちくと針を刺しながら会話を楽しんでいる。


「……そういえば、」リューガーが伺うように口を開いた。「入学して一年も経つのに、リンケ嬢やアウフムッシェル嬢とは、まだお互いにお名前で読んでいなかったですよね。これを機会にパトリツィアと呼んでもいいですか?」


 眉を下げながらもどこか期待したような眼差しでいるリューガー。

 リンケは少し驚いたものの、「ぜひ。私もエミーリアと呼んでもいいですか?」と尋ねた。


「もちろんですわ。どうぞお気軽にお呼びくださいな」

「では、エミーリア」

「なんですか、パトリツィア」

「まあ、エミーリアばかりずるいわ」すかさずフェアリッテが声を上げる。「ねえ、私もパトリツィアと呼ばせてください。ヴィーラの友達は私の友達ですもの」

「だったら私のこともメヒティルデと」

「いつも思うんだけど、メヒティルデの名前は噛んじゃいそうよね」

「ラムール式に“マティルド”って呼ぶのをおすすめしますわ」

「紙だけじゃなくて名前もラムールのものにするの?」


 その会話にくすくすと笑ったリンケが「気軽にパトリツィアとお呼びください」と答える。すると、リューガーは私にも視線を向け、「アウフムッシェル嬢も、プリマヴィーラと呼んでもかまいませんか?」と尋ねた。特に断る理由もなかったので、私は「ええ、もちろんです」とにこやかに返す。リンケは少し間の抜けた顔で私を見たけれど、リューガーやヴォルケンシュタインは「プリマヴィーラ」と嬉しそうに私の名を呼んだ。

 そのとき、席を外していたヴォルケンシュタインが返ってきた。大きな三つ編みにした栗毛を揺らし、慌てた様子で「大変よ!」と部屋に入ってくる。


「どうしたの、イドナ。そんなに顔を真っ赤にして。よっぽど急いで戻ってきたのでしょうね」

「暢気なことを言っている場合じゃないわ、フェアリッテ!」ヴォルケンシュタインは両頬を手で押さえ、必死な声で訴える。「ベルトラント殿下が、ボースハイト嬢の陣営のタピスリを見にいらしたのよ!」


 その言葉に、この部屋の空気が揺れた。リューガーは働き者の手を止めて息を呑んでいるし、リンケも「なんですって」と目を見開かせている。グラーツは「本当なの?」とヴォルケンシュタインに尋ねた。ヴォルケンシュタインはしかと頷いた。


「素晴らしいタピスリだと、殿下自らお声をかけていたわ」苦い顔でヴォルケンシュタインは言う。「私も遠目に見ていたのだけれど、実に見事なタピスリだったわ。窓辺の光を受けて、縫いつけられたたくさんの宝石がきらきら輝いていたの。織物の意匠デザインも凝っていたわ。王家の紋章まで文様の一部に使われていて……上級生にしかできないような精巧な絵柄だった」


 それを聞いたリューガーが「しかも、わざわざ殿下がお声がけしたってことは、それだけ素晴らしいタピスリだったってことよね……?」と不安そうに漏らす。ヴォルケンシュタインは「ええ。殿下も美辞麗句を並べて褒めたたえていらっしゃったもの」と言った。

 ガランサシャのタピスリは見事なものだと想像できた。ボースハイトは金銀宝石の採掘される鉱山を所有している。今回のタピスリにも宝石をあしらうだろうことは予想されていた。その対抗策として、フェアリッテもアウフムッシェルの西海岸でしか採れない珍しい螺鈿をビジューとして使っている。輝きは負けるだろうが、装飾として引けを取らないはずだ。


「上級生に技術で敵わないのはしょうがないことよ」フェアリッテは苦笑する。「意匠デザインだって、ここまで編んでしまったら変えられないんだし。私たちは私たちのできることをしましょう」


 タピスリの完成はまだまだ先だが、引き返せないくらいには編み終えてしまっている。ビジューやタッセルなどのあしらいも少しずつ出来上がっているし、フェアリッテの言うとおり、いまさら意匠デザインの変更は不可能だ。私とて、柄にもない手作業に勤しんだ労を、水の泡にはされたくない。

 すると、ヴォルケンシュタインは「それだけじゃないのよ」と悩ましげに口を開いた。


「ついさっき、アーノルド卿たちと訓練をしていたアウフムッシェル卿にも、偶然お会いしたのだけれど」

「本当に偶然でしょうね? イドナ」

「あの方の瞳を見に寄り道したんじゃないでしょうね? イドナ」

「偶然よ、運命だったかもしれないけれどね」自慢げに腕を組んでから、ヴォルケンシュタインは言葉を続ける。「そのとき、アウフムッシェル卿が言ってらしたわ。殿下は、先日、ミットライト陣営のタピスリも見に行かれたそうよ」


 ヴォルケンシュタイン曰く、ミットライト陣営のタピスリは世界のありとあらゆる糸を用いて織られているらしく、なかには星屑を詰めこんだようにきらきらと瞬くものや、陽に透けるような異色のものもあったのだとか。その模様も実に神秘的で、殿下も手放しに称える出来栄えらしい。


「……カトリナもがんばってるみたいね」


 隣にいる私にしか聞こえないような声で、リンケが呟いた。

 私たちのルームメイトであるカトリナ・コースフェルトは、現在、ミットライト陣営のタピスリを手伝っているのだ。

 本当は、フェアリッテのタピスリを織るのに、コースフェルトも誘っていた。ちょうどコースフェルトも縫術を選択教養としていたため、戦力になるのではと考えたのだ。しかし、コースフェルトは気まずそうな顔で「ごめんなさい」と首を振った。元より、コースフェルト家とミットライト家は親交があった。王太子妃候補争いに至る前の彼女自身も懸念していたように、コースフェルト家は、ブルーメンブラットではなくミットライトを支持したのだ。

 そのことを気に病んでか、コースフェルトの口数は日に日に減っていった。事が事だからと触れることもできず、リンケはそんなコースフェルトを気にしている。私はそばで見ているだけだったけれど、ルームメイトの空気が重いと、私まで居心地が悪くなった。

 リンケの様子にも気づかず、グラーツやリューガーは「ミットライト陣営にも腕達者な方々が集まっているのね」「ミットライト嬢がいなくとも、統制が取れているんですもの」と漏らす。ヴォルケンシュタインは「しかも、殿下も思わず足を止めるような出来栄えなのよ」と声を低くして嘆いた。

 ふむ、と私は静かに人差し指を食む。

——手っ取り早く、二人のタピスリを台なしにしてやる方法はないものか。

 学期末試験のときとは打って変わって、私の切れる有用な手札カードはない。誰かを使って敵陣営の邪魔をするのは無理がある。できることといえば、この手で相手のタピスリを引き裂いてやることくらいか。しかし、それでは足のついてしまうおそれがある。

 考えあぐねていたとき、ふと、フェアリッテを見た。

 フェアリッテは花咲く瞳を曇らせ、物憂げに俯いていた。笑みを湛えなければ妖艶に薫る横顔が、小さな息を漏らす。一瞬、政敵のタピスリの出来におののいているのかと勘ぐったけれど、彼女の長い睫毛が震える切なさに、いや、と思い直す。

 フェアリッテは殿下に恋をしているから、自分のもとへ殿下がいらっしゃらないのを、寂しんでいるのかもしれない。他の令嬢たちには声をかけているのに、こちらへは一向に訪れてくれないのだ。不安に思うのも頷ける。

 私は優しい笑みを作って「大丈夫よ、リッテ、」と声をかけた。


「殿下は王太子として、次期王太子妃となる令嬢とは分け隔てなく接する義務があるのだから。きっとフェアリッテのところにも殿下は来てくださるはずよ」

「……そうよね」


 そのように返すものの、フェアリッテの表情は晴れなかった。むしろ、余計に傷ついたような顔で無理に笑っていて、だから、彼女の求めている言葉はそうではなかったのだろうな、と私は察した。ああ、下手な気なんて使うんじゃなかった。馬鹿みたい。私は苛々した気持ちでひそかに奥歯を噛む。

 すると、そのとき、窓の外から爽やかな談笑が聞こえた。

 織機も揃っているこの部屋は、校舎の一階の端に位置していて、厩から帰ってくる生徒の人通りも一望できた。窓の外を見遣ると、案の定、訓練をしていたであろう令息たちの姿が見える。皆一様に矢筒と弓を背負っていて、薄っすらと汗も掻いていた。その中にはたったいま話題に挙がったベルトラント殿下の姿も見えた。

 私がフェアリッテへと告げる前に、彼が彼女の影に気づく。ゆったりとした歩幅で窓のほうへと歩み寄り、「フェアリッテ」と声をかけた。


「まあ、殿下!」窓の外からの声へとフェアリッテは振り返った。「リーベの若き君へ、運命ファタリテートのご加護がありますよう」


 私たちも跪礼カーテシーで殿下を迎える。殿下は「畏まらずに楽にして」と苦笑した。その言葉に、私たちは緊張をほどいた。

 殿下は背後に控えていた令息たちに「先に行っててくれるかい」と声をかける。フェアリッテは窓辺に肘をつき、殿下へと身を寄せた。フェアリッテと殿下の二人きりで話ができるよう、私たちは作業に戻る。令息たちが去っていく背中を少しだけ眺めてから、殿下はフェアリッテへと視線を向けた。


「邪魔をしてしまったかしら」

「ううん。僕から声をかけたんだもの」

「殿下は訓練をしていたのね。お疲れさま」

「ありがとう。クシェルやマリウスと一緒だったんだよ」


 殿下が見送った令息たちは、ブルーメンガルテンやファーレンハイトなど、王領伯家の面々だった。狩猟祭も彼らと共に参加するのだろう。去年はそのなかにフィデリオもいたけれど、今年はその限りではない。公平を期すため、殿下は、どの派閥の者を含めるのも、あるいは自らが加勢するのも避けていた。

 殿下は少しだけ眉を落として「今年のフィデリオはアーノルド・フォン・ギュンター卿と参加するんだろう?」と尋ねる。


「ええ、そうよ。ミットライト嬢に勝つんだって意気ごんでいたわ」

「彼女は今年も狩猟祭に参加するんだものね。僕も負けないようにがんばらないと」

「ふふふ、応援しているわ」

「フェアリッテは前夜祭のタピスリを?」

「そうなの。みんなで」


 窓辺から織りかけのタピスリを覗きこんだ殿下が「……まあ、螺鈿とは味だね!」と目を見開かせる。

 殿下の言葉に、ヴォルケンシュタインやグラーツは嬉しそうな声を上げた。リューガーは胸を撫でおろし、リンケも安堵の息をついている。フェアリッテのタピスリも無事にそのお眼鏡に適ったようだった。輝かしい表情で「完成が楽しみだね」「君たちの織るタピスリなら、きっと見事な仕上がりになるだろう」とこぼす殿下へと、耳を澄ませる。

 しかし、その期待とは裏腹に、殿下の賛辞はそこで終わった。


「僕は織機の扱いなんてさっぱりだから羨ましいよ」殿下は愛想よく微笑みながら肩を竦めた。「馬に乗るのは、けっこう好きなんだけど」

「ふふふ、殿下ったら、いつもものすごい速さで駆けてらっしゃるものね。おやつに誘われた子供みたいに」

「どうかな。おやつに誘われたらもっと速く走らせるかもしれない。昔からモーンクーヘンには目がなくて」

「芥子の実いっぱいの?」

「芥子の実いっぱいの」


 思わず足を止めるほど、美辞麗句を並べるほど、ミットライトやガランサシャのタピスリは素晴らしかっただろうに、フェアリッテのタピスリは「味だね」の一言のみ。それがヴォルケンシュタインたちの不安を煽ったようだった。彼女たちはじっと俯いたり、互いに視線を遣ったりしていた。

 一方のフェアリッテは、口元に手を当てて、頬を染めるように笑っている。脇ではらはらと眺めるルームメイトには気づきもしない、暢気な幸せ面だ。ついさっきまでの切ない表情は欠片も見えなかった。ただただ恋するひととおしゃべりができて嬉しいのだと、その喜びを目いっぱいに湛えていた。

 本当に暢気よね、と私は睥睨する。私たちが誰のためにこうして時間を割いてタピスリを織っていると思うの。だらしのない顔なんてしていないで、少しは危機感を持ってもらわないと——そう思うが、よく見ると、フェアリッテと向かい合う殿下の顔も朗らかだった。

 おや、と私は眉を上げる。

 殿下はフェアリッテとのおしゃべりを楽しそうにしている。そういえば、いつかの日も感じたことだけれど、この二人は似た者同士なのだ。いまは「芥子の実をいっぱい頬張ったらリスみたいだよね」なんて他愛もない話で盛りあがっていた。素面で聞いたら脳の溶けそうな話題だが、二人の会話には淀みがなかった。

 時を遡る前から、この二人はそうだったように思う。きっかけはフェアリッテの施した刺繍だろうけれど、そこから二人はすぐに仲良くなった。波長が合うのだろうと、フィデリオも言っていた。その暢気な幸せ面が気に食わなくて、どうにか歪ませてやろうと躍起になっていた私の目から見ても、実にお似合いの二人だった。私に虐められた彼女を慰める彼の姿さえも。

 あることをひらめいて、しかし、首を振る。そこに踏みきるのにはまだ早い。だけれど、フェアリッテの背中を押してやることは、悪くない作戦のような気がした。いまだに「頬張ってるリスってかわいいよね」「次はリスの刺繍をしようかしら」なんて暢気に話しているその背中へ、私は口を開いた。


「ねえ、フェアリッテ。そろそろ休憩にしない? きりがいいし、貴女もずっと集中していたから疲れたでしょう」

「えっ」フェアリッテは私へと半身で振り返る。「あら、もうこんなに時間が経っていたのね。ごめんなさい。私ばっかり話しこんでて」

「いいのよ。せっかくだし、気分転換に外の空気を吸いに出たら? ちょうど貴女の紅茶を飲みたいなって思ってたの。私たちで茶器とお菓子を用意するから、貴女は茶葉を持ってきてくれない?」私は殿下を見遣った。「殿下もいかがですか?」

「僕はこのあとも用事があるから、また今度」

「そうですか、残念です」予想どおりだ。「でしたら、寮舎まで、フェアリッテのエスコートをお願いしても?」


 フェアリッテは目を丸めたが、殿下は「もちろん」と微笑んだ。私の背後で「まあ」「あら」と息の漏れるのが聞き取れる。色めき立つ彼女たちに見守られながら、フェアリッテは「急いでそちらまで向かいます」と殿下へ言葉を預け、部屋を出ていった。

 私は「お菓子の準備をしましょう」とリンケたちに呼びかけた。どこか嬉しそうな表情で彼女たちも頷く。私とリンケでお菓子を、残りの三人で茶器を用意することになったので、フェアリッテのあとに部屋を出た。ちょうどリンケの家から届いたマドレーヌがあるらしく、私たちは寮舎へと向かう。


「お見事でした」リンケは私をちらりと見る。「ブルーメ……いえ、フェアリッテ嬢のことを、とても気にかけているんですね」

「ありがとうございます。殿下もとても楽しそうに見えたので、この機会を逃してはならないと思いまして」

「お二人は本当に仲が良いですね」

「ええ。お似合いですよね」

「あっ、殿下とももちろんですけれど、アウフムッシェル嬢とです」


 私は一瞬驚いたけれど、すぐに「そうですね。一応、姉妹なので」と返した。いけしゃあしゃあと開く口だが、客観的に見て姉妹そうなのだから問題ない。

 リンケは「貴女が名前で呼ぶご令嬢は……あの方と、フェアリッテ嬢くらいのものでしたから……」と朧げに口ごもった。彼女の横顔にどうしたんだろうと内心で訝しむ。すると、逡巡、リンケは「あの、」と私を見た。


「私も、貴女を、プリマヴィーラと呼びたいです」

「えっ」さきほどの話の流れのあと、改めて言われるとは思っていなかったし、呼びたいなら好きに呼べばいいのに。「もちろん、いいですよ」

「そして、私のことも、パトリツィアと呼んでほしいです。最初、私たちには壁がもありましたし、お互いのことを全然知らなかったけれど、この一年でそれなりに仲良くなれたと思っています。だから、もうよそよそしい呼びかたはやめて、貴女と友達になりたくて……」

「…………」

「本当は、もっと早く言いたかったけど、エミーリア嬢に先を越されてしまったから。でも、あんなにも簡単に貴女が頷いてくれるなら、もっと早くに伝えていればよかったわ」照れくさそうに表情を歪める。「だから、そういう意味で、貴女をプリマヴィーラと呼んで、私をパトリツィアと呼んでほしいの」


 それからは私のことをただ黙って見つめる、その縋るような面差しに、私は「……ええ、パトリツィア」と返した。彼女はぱっと顔を明るくして、くすぐられたようにくしゃりと笑った。フィデリオの蜂蜜色とも違う、彼女の香水にも似た樹液のような琥珀の瞳が、弓なりに引かれた瞼の奥に押しこめられる。その襟に刺された青藍の花結びは、貞実で健やかな彼女の気性を表しているようだった。

 この一年で見慣れたはずの彼女が、この瞬間、輪郭を持ち始める。彼女の緩やかなハーフアップにした、芦毛の馬のようなくすんだ涅色髪ダークヘアは、本当なら目を引くほどに繊麗だったのに。

 織機の部屋へ戻ると、フェアリッテがお茶を淹れているところだった。グラーツやヴォルケンシュタインが「どうだったの、殿下のエスコートは」と詰め寄っているのを、微笑むリューガーが「詮索してはだめよ」と窘めていた。彼女たちは私たちが戻ったのに気がつくと、「お二人とも聞いてくださいな! フェアリッテがね、他愛もない話をしただけと言って、なんにも教えてくれないのよ!」と声を上げる。

 王太子妃候補争いも前夜祭も忘れてしまえるほど、平和な日だった。

 しかし、前夜祭の朝に、事は起きた。






「前夜祭当日まで最後の手直しが残っているのなんて、私たちくらいのものでしょうね」廊下の窓から差しこむ朝の日差しを浴びながら、眠そうな顔のパトリツィアが漏らした。「昨日の夕方、聖堂へ搬入を終えたときには、ボースハイト嬢やミットライト嬢のタピスリは完成しているように見えたもの」


 私たちはタピスリの置かれた聖堂へと歩いていた。

 前夜祭では、朝から夕方までタピスリを聖堂へと展示し、生徒の票と教師の評価で、優秀なものが選ばれる。本来ならば搬入を終えた時点で完成しているべきところだったが、私たちの陣営は最後の最後で「この花々は立体的なほうがいい」と思い立ち、急遽、手直しをすることになったのだ。


「ブルーメンブラット嬢のタピスリも、完成しているように見えたけどね」パトリツィアの隣を歩くカトリナが言う。「昨晩、二人して太糸で花を結んでいるから何事かと思ったわ。それも飾りとしてタピスリに縫いつけるのね」


 タピスリを織ることに関してお互いに一切干渉しなかったカトリナだったが、昨晩の私とパトリツィアの必死の形相を見て、さすがに「なにがあったの?」と声をかけてきた。そこで事の次第を説明すると、「それぐらいなら、私も手伝うわよ」と花の量産にも手を貸してくれたのだ。ちなみに、私とパトリツィアが名前で呼び合っていることに対して、「ずるいわ」と反応してきた。おかげで私はカトリナとも名前で呼び合っている。

 たくさんの花々を両手に抱える私とパトリツィアに、カトリナは「でも、きっと素敵になると思うわ」と囁いた。


「カトリナの……ミットライト嬢のタピスリも見事だったわ」パトリツィアは感嘆の息をつく。「絵にも描けない美しさで、この世のものとは思えなかった。織り目も美しくて思わず見惚れたわ。さすがね」

「そりゃあ、ミットライト嬢に恥を掻かせるわけにはいかないもの。ミットライト嬢は私たちを信じて預けてくださったんだから……あの方が狩猟祭に集中できるように、私たちも精いっぱいお力添えをしなくちゃ」


 結局、花を結ぶ作業に追われていた私は、ミットライトとガランサシャのタピスリを台なしにすることができなかった。

 昨晩の搬入の時点でどうにかしてやればよかったのだが、人目もあった。なにより、あの日のフェアリッテと殿下の様子を見て、する必要もないのかもしれないと思ったのだ。

 二人のタピスリはどれも素晴らしかったが、フェアリッテのタピスリだって引けを取らない。今回ばかりは純粋な技術勝負をしてもよいだろう。そのためにも、早く大量に抱えた花々を縫いつけなければならない。なんで私が、とは思うけれど。

 そのとき、大きな悲鳴が上がった。

 聖堂のほうからだった。

 私たちは「なにかしら」と足を速める。聖堂の扉の前にはフィデリオやギュンターの姿もあった。二人とも苦い顔で聖堂の奥を睨みつけている。フィデリオは肩を震わせる令嬢を慰めてもいた。その令嬢は「ひどいわ、誰がこんな、」と震える声で嘆いていた。

 嫌な予感がした。

 私たちは彼らへと近づき、「なにがあったの」と声をかける。フィデリオが返事をするよりも先に、カトリナが「えっ」と喉を震わせた。その声につられ、私とパトリツィアはカトリナの視線の先を追う。

 聖堂にかけられたタピスリが、襤褸布のように引き裂かれていた。

 まるで剣戟が繰り広げられたかのような無惨。今日のために多くの令嬢たちが心血を注いできた何枚ものタピスリが、一つ残らず台なしになっている。床にはさんざめくビジュー。そして、わずかにたちこめる、ラムールの香水の薫り。

 フェアリッテのタピスリも、ずたずたになっていた。

 私は地に落とした花々を踏みつけて、パトリツィアは胸に抱いたのをこぼしながら、昨日まで馥郁たる様子でいたはずのタピスリへと向かう。あれほど丹念に縫いつけたタッセルもばらばらにされていた。パトリツィアは「どうして」「嘘でしょう」と力ない声を漏らしている。

 少し離れたところでは、嗚咽するカトリナの声も聞こえた。彼女の織ったミットライト嬢のタピスリも、見るも無残な状態でいた。すぐにそちらへも人が集まって、布片を見つけては涙をこぼしていく。誰も彼もが悲嘆に暮れていた。

 すると、「どうしたの」と聖堂の扉の手前から声が聞こえた。

 私がそちらへと目を遣ると、案の定、フェアリッテの姿があった。

 フェアリッテは困惑したようにフィデリオや泣いている令嬢に話しかけて、そして、聖堂の奥にある惨状を見つけ、大きく息を呑む。

 フェアリッテもヴォルケンシュタインたちと共にタピスリへと歩み寄った。手ずから折ったはずのタピスリの布片を見下ろし、呆然と立ちつくす。リューガーは泣き崩れた。ヴォルケンシュタインは「誰よ! こんなことしたのは!」と声を荒げた。フェアリッテの肩を撫で、「あんなにがんばったのに……」と抱きしめたのはグラーツだった。

 彼女たちが力なくこうべを垂れる様を眺めながら、私は、怒りに身を焼かれていた。

——ぬかった、タピスリを引き裂いて台なしにすることくらい、私じゃなくてもやる!

 指の先が真っ赤になるほど拳を握りしめる。己のやってやろうとしたことを、まんまとしてやられるとは。甘かった。いったい誰だ。ミットライトのタピスリも被害に遭っているのなら、ガランサシャが犯人か。

 ややあって、聖堂の扉が大きく開け放たれる。話を聞きつけたらしいガランサシャとミットライトがいた。ガランサシャは惨状を見て目を細め、ミットライトはタピスリを囲んで泣いている令嬢たちに近づいた。

 

「すみません。ディアナさま……」

「私たちに任せてくださったのに……!」


 ミットライト陣営のタピスリは、きめ細やかなフラクタル図形で《運命ファタリテート》を表現し、月の満ち欠けと天体の軌道を円形に配置した、極めて緻密に設計されたものだった。それが今や、まるで惨死体のように寝そべっている。ミットライトはそれらに見向きもせず、嘆く令嬢たちに「貴女たちは悪くありません」と声をかけた。


「ですが、ディアナさまの顔に泥を塗ってしまいました」

「貴女たちの努力が台なしにされたことを嘆いてください」虹彩異色症ヘテロクロミアの瞳が慈しむように伏せられる。「タピスリよりも貴女たちが心配です。これほど悲しい運命などありません。私も……この日を楽しみにしていましたから」


 縋る令嬢たちを慈悲深く宥めるミットライト。いっそ神々しいまでの光景に、他の令嬢たちも痛ましく目を瞑る。

 一方のガランサシャは、壁に掛けられたタピスリの残骸を見つめている。そのすぐ真下には刻まれた布片が伏していた。散らばったビジューの一つを拾いあげると、涙のように煌めいた。タピスリを織るのを手伝ったであろう、彼女の陣営の令嬢たちが、唇を噛みながらその姿を見つめる。

 ガランサシャは「……嘆いたところでなんにもならないわ」と低く呟いた。


「誰がやったにしろ、このままでは私たちのタピスリどころか、前夜祭まで台なしになってしまう。嫌よ。このタピスリを完成させるのに、前夜祭で勝つために、どれだけ私たちが時間を費やしたと思っているの。殿下も褒めてくださったのよ。こんなに華やかなタピスリは王宮でも見たことがないと」ガランサシャは周囲を見渡して告げる。「夕方までに修復するわよ。縫い針と糸を用意して」


——生徒から騒ぎを聞きつけた教師たちが聖堂へと入ってきたのは、それから少し経ってのことだった。

 全員のタピスリが裂かれていることから、外部の人間の犯行も視野に入れ、現場保存のために聖堂内の物は一つも動かさないようにと言い渡された。教師の来る直前までタピスリを繕っていたガランサシャは、それに固く反論したけれど、結局は了承し、全員が聖堂から離れた。

 校内へ外部の人間が侵入した痕跡はなく、門番や夜番たちも怪しい人影は見なかったという。やはり内部の人間の犯行だとわかったものの、犯人を絞ることはできなかった。この王太子妃候補争いの入り乱れる状況下、どこぞの派閥の人間が他派閥を陥れるためにやったと考えるのが妥当だが、ブルーメンブラット、ボースハイト、ミットライトの三家とも被害に遭っているのだ。目撃情報もなく、動機の特定もできない以上、これ以上の追及は不可能だった。

 その後、令嬢たちは死に物狂いでタピスリの修復にあたったけれど、タピスリは不完全なまま、前夜祭を迎えることとなった。

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