第9話


 港から少し走った先で、スタッフさんに一番近くにある洞窟道の入り口に案内された。そこに入ると、今度は通常の道ではなく脇の方へ誘導される。そちらは確か崖になっているのでは……という私の記憶は合っていた。私が招かれたのは垂直に立つ崖の前で、そこで待っていたのは太い縄で編まれたロープネットだ。

 目を凝らして上を見やる。普段の照明に加えて逆の壁側には松明も焚かれているので、すでに何人かが挑戦中なのが判別出来た。太陽の日差しよりはもちろん暗いが、他の場所と段違いに明るくしているのは、恐らく彼らのためだろう。

「この縄網を登ってください。高さはおよそ2階層分です。もう進めない、降りられない、となったらあちらにいる有翼種の皆さんに手を振ってください。下ろしてくれます。ただし、その場合は失格になってしまうのでご注意ください」

 口早にルールを説明してくれたスタッフさんが示したものは私の視線が向く先と同じ。空中を見回るように飛び回る大きな鳥や鳥人、有翼人などの翼を持つ者たちだ。橋渡りと同じくらい危険なので、ここにも救出の人材は多く配置されている。ちなみに、地面にころころ転がっているのは翼ある者たちが万が一にも間に合わなかった場合の対策として配置されているバルーンスライムたちだ。普段は山間に住むスライムで、上から何か落ちてくる気配がすると最大で20倍ほどにも膨らむ性質を持っている。ウェーブススライムほど温和ではないが、好戦的なわけでもないので祭りの際には毎年連れて来られている。本人(?)たちもうまい餌がもらえると分かっているのか、この時期に人が来るとむしろ我先に近付いてくるそうだ。

 私は視線を上げて改めてスタッフさんに了解を伝えてから、ネットを掴んで二、三度引いてみた。縄同士が擦れるギッギッという音と揺れる不安定な柔らかさと硬さを確認して、地面を蹴る。

 隙間になっている部分に手をかけ足をかけ、上へ上へと昇っていくと、自分自身が起こした反動や上を行く人たちが揺らした反動が、体を大小に揺らした。ネット自体はしっかり組まれているが、上から垂らされているだけなのでどうしても揺れてしまうのは避けられない。そして揺れがあるということは、登る時の体力が余計に削られる、ということだ。

 せめて早く終わらせよう。一心に手足を動かしていると、上の方から悲鳴が聞こえてくる。遅れて聞こえてきたのは落下の音。その理由を、私は見ずとも察した。誰か落ちてくる。身構えている内に男の人の背中が迫ってくる。悲鳴と共に落ちてきたその人の体は、ギリギリ私の腕が届く範囲。となれば、私の腕は勝手に動く。

 片手を離して落ちてきた人の服を掴んだ。が、私の腕に負担はない。それもそのはずだ。私が掴んだと同時に、文字通り飛び込んできた大鷲おおわしが男の人を掴んだのだから。上に意識が行っていて横のこの鳥に気付かなかった私は思わず体勢を崩しかける。ロープを掴むのに残したのが先程酷使した右手だったから、余計に体を支えきれなかった。けれど、大鷲が高度を上げたおかげで、男の人の服を掴んだままだった腕ごと上に引き上げられ事なきを得た。

 ほっとして服を掴む手を放しネットを掴み直すと、大鷲が私の目線まで高度を下げる。ばさばさと大きな羽ばたきの音の向こうから、猛禽の黄色い目がじぃと私を見据えた。

「貴女は馬鹿だなお嬢さん」

 低めの穏やかな男性の声は開いたくちばしから聞こえてくる。どうやら"彼"は普通の動物ではなく喋れる方の動物らしい。

 この世界の動物は二種類おり、通常の鳴き声しか持たないコトバナシと、人の言葉を理解し会話が出来るコトバモチとで分けられている。これらは通称で、それぞれちゃんとした名前がつけられているそうだけど、残念ながら私は知らない。いや、聞いたことはあるが覚えていない、と言った方が正しい。

 いきなりの馬鹿扱いは普通なら人に言われようと動物に言われようとイラッとこようものだが、やはりどちらに言われたにしろ言い方と言った時の空気というのは重要だ。この大鷲がそう言った時、彼の口調や雰囲気はとても優しい物だったので、別に嫌な気分にはならなかった。

「我々がこうして飛んでいるのだから、わざわざ手を痛める危険を冒してまで助ける必要などないだろうに。知り合いなのかい?」

「知らない人だけど、手が伸びちゃっただけだよ」

 あくまで紳士的な態度なので、私は特に腹も立てずに肩を竦めて返す。大鷲はくちばしの先を歪めた。笑ったらしい。笑えるのか猛禽。

「貴女は良い馬鹿だ、お嬢さん。今からでは難しいかもしれないが、貴女の勝利を祈っているよ」

 最後まで紳士を貫き、大鷲はすっかり気を失ってしまったらしい男の人を掴んだまま地面へと降りていく。馬鹿なのは変わらない結果ははなはだ不本意だが、応援だけは素直に受け取っておこう。私は気を取り直して揺れるロープネットを登り始めた。先ほどの出来事で自分が思っている以上に右手に力が入れられない状態であることが分かったので、先ほどよりも慎重に登っていく。

 ややあって、落ちたりその場で止まってしまった少なくない人たちを追い抜かし、ようやく上まで登りきる。揺れる網を掴み上がり続けた手や安定させようと力を込め続けた腹筋と足がとにかく痛い。

 少しだけその場で止まり呼吸を整えてから、私は再度走り出した。鳥目の救出者たちがいなくなった道はすっかりいつもの薄暗い照明のみとなり、明るさに慣れた目には見づらい状態らしい。走り出してすぐによろよろしてる人たちを追い抜かせた。

 その調子で走ること数分、さすがに慣れて軽い足取りで走る人たちの背中を追いかけていると、視界の先に光が見えてくる。レースで抜ける出口はこの先なのでここではその脇の道に入るのだが――何故今回はこうも問題ばかりなのだろう。

「また何かあったの?」

「うわ何だ!? 何であの人たち入って来てんだ?」

「ひどい慌てようだな」

 前を走る人たちが速度を緩めてざわめいた。理由は、今彼らが言った通りだ。恐慌状態の人たちが悲鳴を上げながら続々と洞窟道に入ってくる。自警団の制服を着た女性が誘導し、その人たちを今私たちが来た崖でなく通常の道にどんどん送っていた。

「何があったんだ?」

 ついに足を止めた参加者のおじさんが入って来た人たちに声を張って尋ねる。すると、聞こえた人たちは異口同音にこう答えた。聞きたくもない名前を。

「ドラゴンが!」

「ドラゴンが暴れてるんだ!」

「馬鹿な召喚士がドラゴンを召還しやがったんだ」

「あのドラゴン操れてないんだよ! 召喚の契約が成立してないの見たよ私!」

 ドラゴン、ドラゴン、ドラゴン。あちこちから返ってくる答えにぞっと背筋が冷える。どのドラゴン種だろう。知能の高いドラゴンだった場合、最悪この町は滅びることになる。

 私を「ドラゴン殺し」と呼ぶ人たちに何度も説明しているが、私が追い払ったのは知能の低いドラゴンで、当たり前だが下位の種族だ。この場合だと、もちろん脅威ではあるのだが、私みたいにただ怪力で少しばかり立ち回れるぐらいの人でも倒せる、あるいは追い払える。

 だが上位種のドラゴンはそうはいかない。彼らは人間と同等以上の知能を持ち、能力は中位の冒険者辺りでは太刀打ち出来ないほどに高く、何よりも大変に誇り高い。正式な契約もなしにいきなり召喚などしたら、間違いなく怒り狂い召喚主を食い殺し、近くにいる全てを破壊する。そんなことをしないドラゴンも存在するらしいのだが、今こうして逃げ惑う人たちがいる以上、それを期待するべきではないだろう。

「そこの人たちも早く避難を――!」

 誘導をしていたお姉さんが私たちにも声をかけてきたその時、洞窟が大きく揺れた。あちこちから悲鳴が上がり、天井からは小さな小石がぱらぱらと落ちてくる。倒れそうになるのを両足を踏ん張って耐えていると、悲鳴には恐怖に耐えかねた泣き声が混じり始め、焦れる怒号が混じり始めた。

「おい、俺はいったん外に様子を見に行く。来る奴は来い」

 さっき外の状況を訊いたおじさんが奥の方へと走っていく。洞窟道に詳しいのだろうか。ここに留まっていた、あるいは順次追いついた参加者たちは顔を見合わせ、どうしたものかとお互いに次の動向を図り合った。一番近い入口からは人が波のように押し寄せている。恐らく、このまま上に進んで行っても同じように下ってきた人たちに押し戻されることになるだろう。

 最初におじさんの後に続いたのは若いお兄さんたちだった。私はそれに背中を押されるように走り出す。危うきには近付きたくないところだが、現状を把握しないと対策も思いつかない。たとえ私が思いつかなくても、頭の良い人たちは必ず答えを出すだろうし、その答えの手助けが出来るならしたい。

 私とほとんど同時に背の高いがっしりした体つきのお姉さんも走り出したので、残っていた参加者の人たちもぞろぞろと後について来出す。背後からは、誘導していたお姉さんだろうか、女の人の「待ちなさい」という声が聞こえてきていた。


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