第10話


 おじさんの案内で普段使われるものよりずっと傾斜の厳しい道を駆けた私たちは、ややあって通常より小さめの出入り口に差し掛かる。光が漏れ入る木の扉を開けようとして苦戦していたので、手を出して鍵を開け、扉を押し開けた。

 視界が一瞬真っ白になり目が焼かれるような痛みが差し込む。他の人もそうらしいが、私はやっぱりその人たちよりもダメージを受けた。早々に慣れた人たちが続々外に出ていく中、私は結局最後に洞窟から出ることになる。

 外に出た人たちはきょろきょろと辺りを見回していた。私もその隙間から外を眺め、ここが町の中腹付近の崖寄りの場所だということに気が付く。ここからだと、先ほどの騒ぎの場所はもう少し下になるはず――。

 町を見下ろすべく、他の人にならって岩場を伝って移動した。その時だ。

 風を切る凄まじい轟音が空気を揺らす。それに気付いた直後、私たちの眼前をドラゴンが空に向かって飛び立った。頭、腹、尻尾、と、まだらな黒と緑の体色をした巨体はあっという間に私たちの前を通り過ぎる。

「あいつか!」

「あの体色とサイズに3本指の鉤爪かぎづめ……間違いない、ダイアドラゴンだ!」

「ダイアドラゴンってあれっすか、知能低いけど執念深くてー!」

「恨みを抱いた相手をとことん追い詰めて残虐に食い殺す奴だな!」

 風が逆巻さかまく音が大きくて、みんな喋る声が自然と大きくなっていた。そんな彼らの話を聞きながら、私は空高く舞い上がったドラゴンをずっと見続けている。目は見開かれていた。体も上手く動かせない。気のせいだろうか、気のせいじゃないだろうか。

 あのドラゴンは――あのドラゴンは、私が「ドラゴン殺し」と呼ばれるようになった原因となったドラゴンではないだろうか。

 視界の先でダイアドラゴンが反転した。空中で羽を大きく動かし、こちらをじっと見ているようだ。ああ気のせいじゃない気がしてきた。目が合っている。血走ったぎょろりとした目が、私を捉えている。

 ダイアドラゴンはこれまで以上に表情を厳しくし、鋭い上下の歯をギリギリと噛みしめているようだ。そして次の瞬間勢いよく開かれた口からは、怒りの咆哮ほうこうが放たれた。

 痛みすら覚える音の暴力に私を含めたその場の全員が耳を塞いだ時、ダイアドラゴンは空中を蹴るように飛び出し、こちらに突撃してくる。まずい、これは完全に私を標的にしている。

 私は慌ててその場から駆け出した。町の方へ行くと危険なので、反対の方向へ。ドラゴンは降りてくる途中でそれに気付いたようで、方向転換するべく翼を大きく動かした音が聞こえてくる。

「何であの嬢ちゃん狙われてんだ!?」

「恨みを買ったとか……?」

「あっ、分かった! あの子あれだ、ドラゴン殺し! ってことはあのドラゴンの子供か何かを殺し――」

「殺してないってば! あのドラゴンがそいつ!」

 逃げる途中に聞こえてきた間違った情報を叫ぶように訂正し、私は走りながら軽く振り返った。

「海の方に逃げるから誰か封印術使える人とか連れてきてください!」

 大声で依頼してから、私はみんなの姿が見えない方向へと飛び降りるように駆けていく。背後から、「任せておけ」「死ぬなよ」という声が聞こえてきた。だがそれに返答する暇は与えられない。狙いをつけたダイアドラゴンが鉤爪を突き出しながら地面近くまで降りてくる。

「うわっ!」

 間一髪で避け、私は地面で一度前転してからその勢いで立ち上がり再び走り始めた。えぐった土を鉤爪につけたままドラゴンが飛び立つと、ばらばらと上から土や石の塊がぼろぼろと落ちてくる。それを必死で避けながら、私は考えないようにしていたことを認識してしまった。

「一応動物だし当たり前だけど、やっぱりこいつ前見た時よりでかくなってるよ――ね!」

 なだらかな丘陵きゅうりょうをひたすらに、海に向かって走り続ける。海に解決策があるわけではないのだが、暴れることを考えると人がなるべく少ない場所に行くべきだろう。それに、先程のウェーブススライムのことがあったからあちらに腕っぷしの立つ運営が――。

 と、そこまで考えて私はこのドラゴンを召喚したという召喚士に心当たりがあることを思い出す。あのウェーブススライムを召喚したと思わしき男、確か最後に見た時は大勢に問い詰められていたようだった。もし、その後逃げるため、あるいは自棄やけになってこの執念深いドラゴンを召喚したのだとしたら。

 有り得そうな予想に私はひとつ舌打ちし、再度下降してきたダイアドラゴンの爪を転がって避ける。怒りに狂った血走った眼を間近に見てしまい、全身の血が冷えたようにぞっとした。

 それでも足を止めることだけはせず、私は転がり落ちるように傾斜の厳しい坂道を駆け下りる。レースで酷使した体は万全とはまるで言えない状態で、時々意思に反して体から力が抜けてしまう瞬間があった。そのたびにヒヤリとするが、幸い致命的なミスにはつながっていない。一番大きく膝が崩れた時は、偶然にも頭に向けて鉤爪が迫った瞬間で、私も予期せぬ脱力だったためドラゴンは突然低い体勢になった私に対処できずそのまま滑空していった。ある意味、疲れていて良かったかもしれない。

 ほっとしつつもすぐに来るだろう次の襲撃に備えて神経を集中させる。ドラゴンは飛び去った先で大きく縦に旋回し、今度は正面から飛び込んできた。

「うっわ!」

 何とか避けたがかなり近くを通り過ぎたため、強い衝撃波に襲われる。通常の人間よりも筋肉の分だけ重い(と信じてる)体が踏ん張り切れずに浮かび上がった。突然の不安定な状態に慌てたけど、何とか体勢を整えようと全身に力を入れる。

 だがその時だ。再び迫ってきたドラゴンの鼻先が、ほとんど無防備と言ってもいい状態の私の背中に思い切りぶつかってきた。

「痛……っったぁ……!」

 偶然にも全身の筋肉が使われている瞬間だったため背骨が折れる、内臓が潰れるなんていう最悪の状態にはならなかったけれど、かつて経験がないほどの強い痛みが全身を駆け巡った。一瞬本当に止まりそうになった息を吐くと同時に耐え切れずに痛みを訴える声が漏れる。けれど私は気付いていなかった。いや、今気付いた。本当の恐怖は今なのだ、と。

 土と草に覆われ時々岩が顔を出すこの坂は、最初に洞窟道から出てきた時に判断した通り、崖の間近だ。そして私は、その崖の間近で体を浮かされ、背後から強襲を受けた。

 つまりどういうことか? こういうことだ。私の体は今、大地の上にない。

 遊具や階段から飛び降りた時とは比べ物にならない浮遊感。踏みしめるものがない不安感は、足の指先から広がり腰を抜け胸を締め付け頭を恐怖で埋め尽くす。眼下に広がるのは広大な海。水だから安心? ありえない。この高さから落ちればどんなに力を籠めようが全身がぐちゃぐちゃになるだろう。不意に視界が陰る。私を崖から突き落とした性格の悪いドラゴンが、間近を飛んでいた。とどめを差すでもなくこちらの様子を見るような動き。ああ本当に性根が腐ったドラゴンだ。こいつ絶対私が恐怖で落ちるのを楽しんでいる。

 死に直面している恐怖と殴りつけたい怒りと叫びだしたい衝動に駆られていると、ごうごうと聴覚を阻害する風の音の向こうから綺麗な音律が聞こえてきた。それを正しく認識するより早く、真下にある海が物凄い速さで盛り上がる。まるで柱のように伸びたそれは、近くにいたドラゴンを遠ざけ、私を丸ごと飲み込んだ。

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