第37話

「ご、ごめんくださーい」


 黒内先輩がチャイムを鳴らす。

 すると、中から、はーい、と綺麗な女性の声が聞こえてきた。


 それから程なくして、ガチャリと玄関のドアが開く。


「あら、未来ちゃん! 久しぶりね」


 そこから現れたのは、奈那先輩によく似た美女。だが、奈那先輩よりも少しだけ大人な雰囲気の女性。


「あら? あなたは?」

「あ、えと」


 何と答えれば良いのかわからず、俺は言葉に詰まった。


「私の学校の後輩くん、さんです」

「あら、そうなの」


 そこに黒内先輩が助け船を出してくれた。


 その人は、その言葉にまったく疑いを持たなかったようで、人懐っこいような、はたまた、からかうような笑みで黒内先輩に耳打ちする。


「彼氏?」

「い、いいいいいいいい、いいいい、いいえ! ち、ちちちち、ちちち、ちちち、違います!」


 残像が見えそうなくらい全力で首を振る黒内先輩を面白そうに見るその女性は、本当に奈那先輩にそっくりだった。


「奈那先輩のお母さん」

「ん?」

「あ!」


 つい、口に出てしまった言葉に、俺はすぐその口を塞ぐ。

 が、すでに手遅れだったようで、その人は、怪訝な顔でこちらを見つめていた。


「あなた、何処かで会ったことあるかしら?」

「あ、い、いえ」


 俺は下を向いた。

 しまった。いきなりこんなことを口にしたら、怪しまれるのは当たり前じゃないか。


 でも。

 俺はもう一度、その女性を見る。


 やっぱりそうだ。間違いない。

 俺はこの人に会ったことがある。正確には、会った記憶がある、と言うべきだろうか。 


 奈那先輩が生きている時に、俺はこの人に会ったことがある。


 その人は、奈那先輩のお母さん。


 俺たちは今、奈那先輩の家に来ていた。


 ちなみに、いきなり全員で行くのは、迷惑だから、と、俺と黒内先輩だけで。



 俺が奈那先輩に、初めて家に招待された時、その時に、俺はこの人に会っている。


 ただ、それはつまり、今の俺はこの人に会ったことがないという訳で、当然、奈那先輩のお母さんは、俺のことなどまったく知らないようだった。


 黒内先輩は、いきなりの状況にあたふたしてしまっている。


 本当なら、もう少ししっかりと時間をかけて説明をしていくはずだったのだが、俺が不用意なことを言ってしまったため、頭が真っ白になってしまったらしい。


 明らかに挙動不審な俺たちに、奈那先輩のお母さんは、しばらく何かを考えていたかと思うと、やがて、ニコッと笑った。


「立ち話もなんだし、2人とも上がって。お菓子もあるわよ」

「え、ええと」

「ほらほら」


 急かされて、俺と黒内先輩は、家の中へと招かれていった。


 ◇◇◇◇◇◇


 部屋の中に案内された俺たちは、リビングで奈那先輩のお母さんと対面に座っていた。

 しかも、その横には、奈那先輩のお父さんも座っている。


 依然会った時と同じように、かなりの威圧感を放っていて、正直、居心地が悪い。


 反対に奈那先輩のお母さんは、にこにこ顔で俺たちを見ているが、その笑顔が、逆に恐く思えるのは俺だけだろうか。


 いや、黒内先輩も居心地が悪いようで、視線をキョロキョロと泳がせていた。


「ほら、遠慮しないで。紅茶でも飲んだら落ち着くわよ」

「ど、どうも」


 促されるがまま、一口、お茶に口をつける。


「あ、美味しい」


 あまり紅茶には詳しくないが、この紅茶はすごく飲みやすいと思う。


「そうでしょ。この紅茶は、私もお気に入りなのよ」


 俺の感想に、奈那先輩のお母さんは満足げだ。

 よっぽど気に入っている紅茶らしい。


 その流れでお菓子にも手をつけたが、これまた美味しいお菓子で、甘さが紅茶の旨味を引き立ててくれる。


 食べる手が止まらない。パクパクと食べやすくて、いつの間にかお菓子はなくなっていた。


 紅茶も大方飲み干していて、奈那先輩のお母さんがおかわりを入れてくれる。


「それで、今日はどうしたの? 未来ちゃんが来るのは珍しいし、あなたは初めて、よね?」

「あ、えと」


 それで少し和んでいると、奈那先輩のお母さんが早速本題に入ってきた。


「それに、さっき、あなた、興味深いことを言ったわよね?」

「うっ」


 奈那先輩のお母さんの目が、さっきまでの柔らかいものから、真剣なものへと変わっている。


 奈那先輩のお父さんも、無言ではあるが、気配がさらに重くなったような気がした。


 まあ、そりゃあそうだろうな。

 むしろその説明をせずに、ここまで入れてくれたことの方が驚きだ。


 とは言え、どこから説明したものか。


 黒内先輩は何か考えているのだろうか。

 ふと、黒内先輩の方を見ると、救いを求めるようにこちらを見ている。


 特にそこら辺は考えていなかったらしい。

 まあ、それも、そうか。


 ここからの説明は、俺がする責任がある。


 信じてもらえるかは微妙だが、正直にすべてを話すしかない。


「少し、お話ししたいことがあります」


 俺はそう切り出し、そして、俺が覚えているすべてを説明した。



 奈那先輩が龍神様に願い事をして、病気が一度は治っていたこと。


 だが、ある事件に巻き込まれて、その願いを取り消さなければならなかったこと。


 その原因が俺にあること。


 奈那先輩ともう一度会うために、奈那先輩が子供の頃に、どんな願いをしたのかを知らなければならないこと。


 本当に、そのすべてを、包み隠さず。


 ◇◇◇◇◇◇


「君は、ふざけているのか?」


 説明を終えた後、奈那先輩のお父さんから開口一番、そう言われた。


 きつい目付きで、少し怒っている感じで。


 早くも挫けそうになるが、ここで引き下がる訳にはいかない。


「ふざけている訳ではありません」

「馬鹿にするのも大概にしなさい!」


 バンッと奈那先輩のお父さんは、机を叩きつけた。

 机に乗っていたカップは倒れ、さっき入れてくれた紅茶が溢れる。


 黒内先輩は、ビクッと肩を震わせ、すでに泣きそうだ。


 でも、俺は止まる訳にはいかなかった。


「馬鹿にしている訳じゃありません。信じてもらえないかもしれないですが、本当のことなんです」

「まだ言うか!」


 奈那先輩のお父さんが、俺の胸ぐらを掴み、拳を振り上げた。


「あなた」


 静かな、それでいて、凛とした声。

 奈那先輩のお母さんの声だ。


「暴力はやめて」

「くっ」


 奈那先輩のお父さんは、ゆっくりと拳を下ろした。そして、乱暴に胸ぐらから手を離す。


 殴られるかと思った。


 いや、殴られるのを覚悟していた。


 こんな非現実的な話をして、すぐに信じてもらえるなんて、最初から思っていなかったから。


「あなたの名前は?」


 静かで落ち着いた声。

 だが、奈那先輩のお母さんの顔は凍りつくように無表情だった。


「一樹、です」


 それに気圧されそうになるが、それでも声だけはしっかりと出して答える。


 口ごもる必要はない。

 俺は嘘をついている訳じゃないんだから。


 信じてもらうためには、しっかりとまっすぐ前から向き合わないと駄目だ。


 そう思っていた。

 しかし。


「そう。一樹くん。あなたは、どうして、そんな話をするの?」

「え?」


 奈那先輩のお母さんは、冷たい目をしていた。

 背筋が凍るような、冷たい目だ。


 普段の彼女からは想像できないような、冷めきった目。

 それは、俺を心底、恨んでいるように思えた。


「どうして、そんな話をするの?」

「俺は、奈那先輩を助けたくて」

「そう。そんな話を、私たちが信じられると思う?」

「それは、でも……」


 その後の言葉は、続かなかった。

 続けられなかった。


「私たちが、どれ程、奈那に会いたいのか、あなたはわかる?」


 静かな口調。だが、それは、内に秘めた激情を必死に隠そうとしているように見えた。


 本当は奈那先輩のお父さんのように、俺に掴みかかりたくて、殴りかかりたくて仕方がないのだろう。


 それでも、奈那先輩のお母さんは、ゆっくりと落ち着いた声で言う。

 それに俺は何も答えられない。


 そんな俺に、奈那先輩のお母さんは、悲しげに微笑んだ。


「あの子が生きていたら、どんな子に育ったんだろう。そんなことをずっと考えていた。どんな人に出会ったんだろう。どんな友達ができるのかな、好きな人はできるのかな? どんな学校に通うのかな? 部活とかはするのかな? 活躍してくれたら嬉しいな。どんな仕事をするのかな? やりたいことは何かな? どんな職業が好きなのかな? 辛いことも待ってるのかな? 辛そうな時は励ましてあげたいな。結婚はするのかな? 子供ができたら、どんな子になるのかな? 幸せにはなれたのかな? 幸せになってほしいな。そんなこと、私は毎日思っている。毎晩のように、奈那が楽しそうに暮らしている光景を夢に見る。幸せそうで、元気で、たくさんの人たちに囲まれて」


 そう言って、奈那先輩のお母さんは、泣いていた。


 今、何を思っているのかは、わからない。表情を変えず、ただ涙だけを流していた。


「でもね、それは夢なの。どうあがいても、それは夢の中の話なの。そんな、あり得たかもしれない世界の話なんて、聞きたくないのよ」


 奈那先輩のお母さんは、真っ直ぐに俺の目を見つめていた。


「あなたは言ったわね。ふざけている訳じゃないと。でもね、ふざけているとしか思えないのよ。奈那が本当は病気が治っていた、なんて話。信じられる訳ないでしょ?」

「でも、俺は本当に、奈那先輩を知って……」

「なら、どうして、奈那は今ここにいないの? あなたのせいでいないの?」


「そ、れは……」

「答えなさい。奈那が今ここにいないのは、あなたのせいなの?」


 真っ直ぐに射抜くような視線。

 その視線からは目をそらすことができなかった。


「その、通りです」


「……そう」


 短く紡がれた言葉。

 だが、その一言で、奈那先輩のお母さんの気持ちが痛い程、伝わってきた気がした。


「帰って」


 小さな声で言われる。


「お、おばさん。な、奈那ちゃんを、た、助けられるかも、しれないんです。し、信じてください」


 黒内先輩も必死に訴える。


 が、奈那先輩のお母さんは、うつ向いて、俺たちのことを見てくれようとはしてくれなかった。


「帰りなさい。話は終わりだ」


 奈那先輩のお父さんも立ち上がる。

 そして、俺の腕を掴んで、半ば強引に立ち上がらされた。


「未来ちゃんも、今日は帰りなさい」

「で、でも」

「いいから!」


 怒鳴られ、黒内先輩は萎縮してしまう。

 これ以上は、話を聞いてもらえなさそうだ。


 奈那先輩の幼馴染みである黒内先輩でも駄目ということは、そういうことなのだろう。


「わかりました。今日は帰ります。でも、また来ます。絶対に諦めません」

「そんなことをされても迷惑なだけだ」

「諦められないんです。俺は奈那先輩を助けたい」


 もう少しなんだ。

 もう少しで手が届きそうなのに。


 こんな所で諦めて良い訳がない。


 今日が駄目なら、明日、明後日、来週でも、来月でも、話を聞いてもらえるまで、何度でも話すしかない。


 話を聞いてもらうしかない。

 信じてもらうしかない。


「忠告はした。あまりにしつこいようだと警察を呼ぶからな」


 奈那先輩のお父さんが玄関を閉める。

 ガチリと鍵をかけた音が聞こえた。


 それが、そのまま心の距離のような気がした。

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