エピローグ 「駆け抜けた先」

 濃密な闇の中。

 わたしはひとりだった。一人でここに立っている。

 わたしは今、どこにいるのだろう。

 耳をすます。いろんな声が聞こえてきた。前から後から、左から右から、上から下から。

 わたしのことを、応援する声、さげすむ声、慕う声、拒否する声、熱狂する声……。


 わたしは知りたい。

 わたし自身のことを。そして、周りにいるみんなのことを。

 しかし、こんな暗闇の中では、何もわからない。

 それなら……、光をあてればいい。光源がなければ、わたしが輝けばいい!

「輝け!」

 わたしの言葉をきっかけに世界も輝きはじめる。

 あちらには大きな輝きが。こちらには小さな輝きが。

 さまざまなかたちをした輝きが、数えきれないほど散らばっている。

 わたしの傍には、強くて頼もしい輝きが三つ。黄色、青色、深紅色。

 そして、わたしの橙色を含めた四つの輝きを優しく包み込むような白色の光。

 わたしの周りにあるすべての輝きが、わたしを照らしてくれている。

 だから、わたしは、わたしの輪郭がはっきりわかった。


 わたしは行きたい。

 わたしの輝きが照らす方へ。

 その先にある場所も、力強く輝いている。

 だから、迷わない。あそこに向かって突き進み、

 わたしは、未来を臨む!


 リンは目を開いた。

「リンっ! 大丈夫か?」聖杯にナタリーの声が響く「ルーティとクレアは無事だよ。何とか引き上げることができた」

「はいっ、わたしも問題ありません」

「上がってこれそう?」

 リンは薄闇の中、目を凝らす。じめじめとした地表、垂直に切り立った崖、はるか上空で縦に伸びる白い光。その光がときおり黒い影でさえぎられる。

「……ちょっと無理そうですね。この谷底、高さも相当ですが、イドラがうようよいます」

 リンたちは現在、キャメロットとして任務の遂行中だった。

 その任務は、この谷底に巣くう神話型イドラの討伐。

 現地に到着した直後、その神話型イドラによるものだったのだろうか、大規模な地響きと地割れが起き、リンだけが谷底に落ちてしまった。

 輝化防具の翼を開き、滞空しながら谷底に着地したが、すぐさま、大きな布のような幽鬼型イドラに囲まれてしまった。黒い幽霊三十数体が、リンの上空でゆらゆらと漂い、視界一面をふさいでいる。

「ナタリー、私が話す」ルーティの声が聖杯に満ちる「目標は、谷底にある洞窟の奥よ。リンは谷底を駆け抜けて、そこまで行って。私たちは、リンを援護しながら、合流する」

「了解ですっ」

 ルーティの弾む声が聞こえる。走りながら話しているようだ。

「リンも移動を開始して」

「はいっ。あっ、でも、方向がわからないです」

「そうか……。じゃあ、投げ槍を、谷の亀裂に沿って、斜め上空に放って」

「わかりました!」

 右手を掲げて、五本の投げ槍を生成する。五本を束ね、一本の巨大な槍に。

 アドミレーションを注ぎ込み、自分の思う方角に放った!

 リンの上空にひしめく幽鬼型イドラが、槍の衝撃に巻き込まれ、簡単に蒸発した。

 丸くかたどられた空は青く澄んでいた。

 リンは、しばらくの間、その空に見惚れる。

「今、投げた方角だよ!」クレアの鋭い声「その方向にわたしたちがいる。合流して、神話型イドラのもとへ行こう!」

「はいっ!」


 アドミレーションの発現。リンが橙色に燃え上がる。

 両手に槍を輝化し、はじめの一歩を踏み出した!

 助走。三歩。ドライブ発動。

 谷底の真っ直ぐな道を猛スピードで駆け抜ける。

 乱れた地形。飛び出た岩。小さなトンネル。陥没した地面。

 ステップ。ターン。スライディング。ジャンプ。

 高速移動。揺れる視界。

 追いすがる幽鬼型イドラを的確に補足。

 槍を次々と投擲。一体ずつイドラを射抜いていく。

 前転。側転。バク転。アクロバティックに攻撃をかわす。

 谷の壁面に飛びつき、壁を蹴る。三角跳び。

 宙で、くるくると身をひるがえし、槍を振りかぶって放つ!

 最後の幽鬼型イドラを撃破したとき、

 開けた場所に出た。上空の亀裂も広がって、日の光が降り注いでいる。


 リンが着地すると、そこには、大きな影があった。とっさに振り向く。

 影の主は、リンの身長の十倍はありそうな巨人型イドラだった。

 右手が大きく振りあげられた。手にはイドラ・アドミレーションの巨大な棍棒。

 それが、力強く振り下ろされる! ぶおん、棍棒の落下が空気を震わす。

 そのとき、巨人の背後にある崖の上から、黄色の光が飛び出した。

 リンが棍棒をかわす。地面に落着。大きな地響き。

 しかし、次の瞬間。ナタリーの黄色の拳が、巨人型イドラの頭部と同じ大きさに変わる。

 落下の勢いそのままに、イドラの脳天に落ちた!

 イドラの顔がひしゃげる。上からの衝撃にひざをつく。

 胸から疑似聖杯が露出した。リンは投げ槍三本を一斉に投擲。

 イドラの疑似聖杯に命中。割れ砕けた。

 巨人型イドラがぼろぼろと消滅していく中、ナタリーが無事に着地。

 リンは、ナタリーと目を合わせる。ハイタッチ。

「早かったね! リン」

「はいっ。先に進みましょう!」

 にこりと、うなずき合い、ともに走りだした。


 十数体の人型イドラの群れが見えた。それぞれが思いおもいの武器を持っている。

 その中心で、クレアは毅然として立っていた。

「先輩!」リンが聖杯連結で伝える「援護しますっ」

「リン! お願い!」クレアが応える。

 ナタリーに目配せする。

 うなずく、ナタリー。阿吽の呼吸。

 ナタリーが手を振る。目の前に障壁。まるで踏切板。歩幅を合わせ、両足で飛び込む。

 踏切板を蹴って、上空に飛び上がった!

 クレアが深紅色のアドミレーションを噴き上げながら、人型イドラを次々と貫いていく。

 上空を確認。意を決したように前を向き、走り出した。

 リンは、クレアの進行方向に向けて槍を放つ。

 深紅色の輝きは、スピードを落とさず走り続ける。

 飛びかかってくるイドラ。斬り、払い、突き刺して排除。

 立ちふさがるイドラ。手数が足りない!

 そこに降り注ぐリンの投げ槍。

 クレアは、落下位置を見切って、すでに回避していた。

 二人の絶妙な連携。日頃のコミュニケーションの成果。

 リンが着地。クレアが合流する。互いの槍を重ね合わせた。

「上手くいったね!」ヘルム越しに聞こえる、クレアのすがすがしい声。

「はいっ! 気持ちいいですね!」リンはさわやかに笑う。

 最後の人型イドラを拳で殴り飛ばしたナタリーが声をかける。

「クレア、リン! 目標まで、あともう少しだ!」

「はいっ!」リンとクレアの声が重なる。


 谷底を突き進む三人。

 突然の地響き。左右の崖に亀裂。崩落!

 リンはナタリーとクレアを担ぎ、ドライブを発動。

 上空から降り注ぐ岩と、滑り落ちる土砂を避け、駆け抜ける。

 左右の崖から出てきたのは、巨大な食虫植物のようなイドラ。

 崖に這わせたツタを生き物のように操り、三人に目掛けて振り下ろしてくる。

 スピードを上げてツタをかわす。そして、このまま駆け抜けようと前を向く。

 しかし、すでに行く先はツタで埋め尽くされていた。

 急ブレーキ。二人をおろして、三人で背中合わせに。不測の事態に備える。

 そのとき、青い輝きに包まれた。背筋がぶるっと震える。

 ナタリーが障壁を展開。自分も含めた三人を閉じ込めた。

「ルーティ!」ナタリーが聖杯連結を通して伝える。「思いっきり、やっちゃえ!」

「了解」ルーティの冷静で落ち着いた声。「三十秒、がまんして」

 上を見上げる。ルーティが右の崖の上で、杖を掲げていた。

 ルーティの全身からあふれ出した青い輝きがきらきらと光る。

 太陽を反射する細氷。それが混じった冷気が谷底に満ちていく。

 ルーティに向かってツタが襲い掛かる!

 しかし、そこまで到達する前に氷結し、ぼろぼろと崩れ落ちた。

 谷底が極寒の世界に変わる。ナタリーの障壁に守られているが、がくがくと震えてしまう。

 やがて、植物型イドラの活動が止まり、凍り付き、崩壊した。

「ナタリー」ルーティの声。「受け止めて」

 聞いた途端、ナタリーが障壁を解き、慌てて崖に駆け寄る。

 上から飛び降りるルーティ。

 ナタリーが、崖下で危なげなく抱き留める。お姫様抱っこ。

「急すぎ」ナタリーがとがめるように、からかうように、「でも、助かった。ありがとう!」

「そう?」ルーティは顔を赤らめて、ぷいと横を向く。「こんな状況、問題にならないわっ!」

 ぎゅおおおぉぉぉ……

 そのとき、地鳴りとともに、イドラの……神話型イドラの咆哮が聞こえた。

「みんなっ!」ナタリーが号令する「最後の仕上げ! 決めるわよっ!」

「了解!」


 ついに到達した谷底のさらに奥。洞穴の最奥。

 ひときわ濃い闇が目の前にあった。

 目を凝らす。黒い肌が、濡れたようになまめかしく光っている。

 その正体は、ドラゴンだった。リンたちの接近に気づいて、首を持ち上げる。

 キャメロットのライブが始まった!


 クレアが、渾身の突きで、前肢を貫き、消滅させる。

 ルーティが、巨大な氷柱を生成し、黒い竜の動きを封じると、

 ナタリーが、ふところに飛び込み、巨大なこぶしで思い切り胴体を殴る。

 ドラゴンが悲鳴を上げ、からだをはげしく揺らしてもだえる。

 リンがアドミレーションを最大解放した。

 アドミレーションをからだに留める。全身が橙色に輝く。

 十本の投げ槍を生成。衝撃を与えて、すべてを羽付きの槍に変えた。

 さらに、十本を束ね、巨人の大槍に。

 それが放つ莫大なアドミレーションは、洞窟の中に生まれた太陽のようだった。

 リンが全身を使って、巨人の大槍を投擲する!

 大槍は、アドミレーションを炸裂させて、何度も加速し、黒い竜のからだに突き刺さった!

 ドラゴンが必死に抵抗する。

 しかし、そんなことを物ともせず、大槍は黒い竜のからだを突き破る。

 イドラ・アドミレーションは瞬時に蒸発し、消滅。

 さらに、リンのアンコールバーストは、黒い竜の住処だった洞窟の壁をも穿つ。

 崩落した岩や砂礫の向こうにあったのは、高く広く透き通った蒼穹。

 リンの放った巨人の大槍は、空の彼方に飛んでいき、強くつよく輝き続けた……。



 ――四年後

 ――とある街の路地裏

 少女が、黒い怪物に追われていた。

 懸命に走り、息を切らせ、転んだ拍子に足を痛め……

 そうやってたどり着いたのは、行き止まりだった。

 目の前にそびえたつ壁。三方を、煉瓦の壁に囲まれている。

 少女の力ではびくともしなかった。

 見上げた空は、厚い雲に覆われている。昼間なのに、ここは夜のようだった。

 暗闇にふさわしい静寂の中、聞こえるのは、少女がぜいぜいと不規則に呼吸する音だけ。

 しかし、別の異音が聞こえてきた。

 たしっ、たしっ

 足音。闇をゆっくり凝縮するように、黒い怪物が向こうから近づいてくる。

 その怪物は、少女がいつも接している大人と同じぐらいの背丈だった。

 姿かたちは、まるで人間になりきれなかったマネキン。

 顔もからだも平板で、目、鼻、耳がない。しかし、口だけはあった。

 その顔が少女を見下ろす。

 光沢のある黒い肌は、何も映していない液晶テレビのように、少女の顔を反射する。

 その顔は、見たこともないくらい恐怖に歪み、絶望を臨んだ表情だった。

 さらに別の異音が聞こえる。

 ぎちぎち、うぞうぞ

 怪物が少女を品定めるように首や腕を動かす。

 少女は足がすくみ、その場にへたり込んだ。

 怪物の顔が近づく。口の部分が周りに比べて、黒が濃い。

 あの口に食べられてしまうのだろうか。

 目を閉じる。祈るように手を組む。少女は必死に奇跡を祈る。

 怪物の手が振りあがる気配。

 目をぎゅっと閉じた。

 しゅんっ……どさっ

 これが、終わりの音だろうか。少女が目を開く。

 怪物の右腕が、石畳の上に転がっていた。近くには、橙色に輝く短い槍が突き刺さっている。

 ぎぎゃあぁぁ! イドラの悲鳴。

「よかったっ! 間に合った」

 突然、壁の上から、明るく元気な声が響く。その声の主が飛び降りてきた。

 軽快な靴音を鳴らして、少女の傍らに着地。ふっと柑橘系の香りが漂ってきた。

 この袋小路に橙色の光が満ちる。

 目の前には、背を向けた女性がいた。

 まるで騎士のような橙色の甲冑をまとった彼女は、右手に地に刺さったものと同じ短い槍を持ち、悠然と立っている。彼女が振り向いて、少女に声をかけた。

「伏せていてねっ!」

 女性は、黒い怪物と向き合った。右手で槍を持ち、構える。

 腰と足の防具から、翼が生えた。きらきら輝く甲冑をまとう、彼女の凛としたすがたは、とても幻想的で、おとぎ話で読んだ、勇ましいワルキューレのようだった。

(そうか。彼女は、世界の平和を守る『アイドル』なんだ)

 彼女が右手に力を込める。すると、槍から羽が生え、ばちばちと輝きはじめた。

 怪物が動く。左腕が振り下ろされる!

 それを当然のように避ける彼女。右手の槍ではたく。怪物はバランスを崩した。

 すかさず槍を振りかぶって、怪物に向かって放つ!

 しゅんっ……ばちんっ!

 怪物のからだに大きな穴が開いていた。胸の大部分がえぐられ、残されたからだは、ぐずぐずと黒いかたまりとなって崩れ落ち、さらさらと消滅していく。

 目の前のアイドルが残心を解き、少女と向き合う。

 健やかさがわかる、さわやかな笑顔。細身だが、しなやかな筋肉が全身に張り巡らされている。表情だけでなく、全身から、はつらつな雰囲気を感じた。

 きっと、彼女は、どんなことにも恐れずに立ち向かっていける、強いアイドルなのだろう。

 彼女が、少女に手を差し伸べる。少女の手をしっかりにぎり、引っ張り上げた。

 温かい手に導かれ、少女は彼女を見上げる。

 少女は、このお姉さんのようになりたいと思った。

「あなたは……?」

「私は、リン・トライスト」

 リンは、晴れやかな笑顔で伝える。

「もう大丈夫だよっ!」

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未来を臨む少女たち ―駆ける少女― 譜久村崇宏 @luck_hywind

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