第十六章 「誰かを信じること」

 リンが輝化しようと胸に右手を当てたとき、後ろから声がかかった。

「リンさんっ! 待って!」

 男性の声だった。振り向くと、そこには肩で息をしているマーリンがいた。

「マーリンさん」

「あなたたち二人が心配だったので、キャメロットの三人に先行してもらいました。案の定、という感じでしたね。リンさんは大丈夫ですか?」

「はい」

 マーリンは、にこりと笑みを作り、うなずいたあと、顔を引き締める。

「ルナさんを救出しましょう! ナタリーさん、ルーティさん、クレアさん、よろしくお願いします! それから、リンさんには、これを」

 マーリンが、スーツのポケットから何かを取り出した。手のひらの上でころりと転がる。

 それは、バッジだった。円盤の上に、四つの星が等間隔に並び、それぞれの星を中心にして、幾何学模様が外に向かって広がっている。

「これは……?」

「正式にキャメロットの一員となった証です。このバッジには、輝化武具や輝化防具のデザインがチームで揃う効果があります。また、同じバッジを持っているもの同士の聖杯連結力が向上する効果もあります」

 マーリンが、そのバッジをリンに渡す。突然のことに戸惑うリン。

「今から、リンもキャメロットということだよ。これからよろしくね!」

 ナタリーからの一言。ルーティとクレアからも「よろしく」と声がかかる。

「わたしがキャメロット……」

「リン、輝化を宣言して!」

「はいっ」リンが、さわやかな返事とともに、胸に右手を当て、横に払う。

「輝け!」

 アドミレーションに包まれているあいだ、リンは心の底からの歓喜にふるえていた。

 これまでの努力が報われた瞬間だった。達成した自分が誇らしい。

 これで、今までよりも自分を信頼できそうだった。

 そして、その自分に対する信頼は、きっと他者を信頼する余裕に変わってくれるはず。

 リンを包んでいた光がはじける。輝化が完了した。

 以前のプレートアーマーは、実用的すぎて、飾り気のないつくりだった。しかし、今、まとっている防具は優美さとはつらつさを兼ね備えた騎士甲冑だ。すべてのパーツに、オレンジの花をモチーフにした精緻な装飾があしらわれている。

 色、パーツのかたち、細かなデザインはキャメロットの三人と異なっているが、全体的な雰囲気は、「優美なゴシックアーマー」で統一されていた。これがバッジの効果なのだろう。

 聖杯連結によるコミュニケーションが始まった。

「さて、相手は人型イドラ……じゃないね。きっと黒のアイドル。隙がなくて、めっちゃ強そう。雰囲気は、優等生っていう感じだね。まじめそう」

 ナタリーが、対峙するデュラハンと呼ばれた黒騎士の印象を語る。ルーティが応えた。

「同感ね。構えやアドミレーションの流れから推測すると、相手も単純に考えていると思う。

 私たちの中にリン以上の火力を持つ人はいないから、『マリアを守る時間を稼ぐなら、リンを撃破すればいい』って。まさに正攻法ってやつね。

 だから、私とクレア、ナタリーは、リンの防衛よ。クレア、近接戦闘できる?」

 クレアがヘルムから飛び出た黒髪のポニーテールを揺らしてうなずく。

「はい。できます。問題ないです」

「いつも、危ない役目させちゃって、ごめん。ナタリー! ちゃんと守ってよ」

「了解。絶対に守ってみせる!」

 ルーティがリンに話しかける。

「あなたの全力全開のアンコールバーストは、どのくらいで準備ができる?」

「およそ三分です」

「意外に短かいね。今の三人なら、守り切れそうだ」

「でも、先輩たちは神話型イドラと戦ってきたあとですよね? 疲れやダメージが残っているんじゃ……」

 ナタリーが応えた。

「たしかに、残っているけど……うん、問題なさそう。リンに触れたとき、アドミレーションなら少し回復できているし。クレアも、ルーティも同じだよね?」

「はい!」

「そうよ、同じ!」

「あの黒騎士がリンのところに来ることは絶対にないから。私たちを信じて、全力を発揮して!」

 キャメロットを信じる……!

「了解です!」

「じゃあ、いくよっ! キャメロット、ライブ・スタート!」

 ナタリー、クレアが黒騎士に向かって突撃。クレアが先行。

 ルーティとリンが後退。距離を取る。リンが最後列に。

 羽付きの巨人の槍を生成し、アドミレーションを注ぎはじめる。

 ――アンコールバースト生成開始

 黒騎士がリンに向かって猛然と攻めかかってくる!。

 ルーティがアドミレーションによる水の魔法攻撃を放つ。

 水のかたまりが三つ、黒騎士の周囲に展開し、水の網を射出した。

 ぐるぐるとまとわりつき、黒騎士が足止めされる。

 ――十パーセント

 その隙にクレアとナタリーが黒騎士に迫る。

 黒騎士が簡単に水の網を破る。構えなおす。

 クレアが黒騎士と対峙。クレアが仕掛けた!

 突き、斬り、払い。クレアのすべての攻撃が、黒騎士の大剣や盾に阻まれる。

 黒騎士の攻撃。クレアは、コンクエストスキルを発動し、さける、よける、いなす。

 一進一退の攻防。

 ――二十パーセント

 しかし、黒騎士の手数の多さと攻撃の鋭さに、クレアは回避が追いつかない。

 攻撃をいなしきれず、大剣で、からだごと弾き飛ばされた。

 黒騎士が、再び前を見据えて突撃した。そのとき、

 ナタリーが広くて厚い障壁を前面に展開し、前に出た。

 黒騎士は、大剣と盾で受け止める姿勢。

 二人の激突! 押し合い。単純な力の比べ合い。

 ――四十パーセント

 障壁に亀裂。二人の相反する力に耐えきれない。

 黒騎士が大剣を振りかぶって、障壁にたたきつけた!

 すべての障壁が崩壊。黒騎士の盾がナタリーを襲う。

 ナタリーは、後方に殴り飛ばされる。

 前衛の二人が戦線を離脱。残りはルーティとリン。

 黒騎士が間近に迫ってきた。

 ――六十パーセント

 ルーティがリンの前に立ちふさがる。

 青いアドミレーションのかたまりをいくつも生成する。

 視界を覆いつくすほど膨大な数をすべて黒騎士に向けて放った。

 ルーティ自身も巻き込みながら、黒騎士に降り注ぐ!

 どどどどどどどっ!

 ――八十パーセント

 黒騎士は、青いアドミレーションが嵐の中、盾をかざして突っ込んでくる。

 そして、ルーティに向けて大剣を振りかざす。

(あぶない!)

 リンは二本の投げ槍を生成。衝撃を与える。

 羽付きとなった二本の投げ槍を、大剣に向けて放つ。

 ルーティに振り下ろされる瞬間。投げ槍が命中!

 大剣がはじかれ、地に落ちた。

 黒騎士は、ナタリーと同じように、盾でルーティを突き飛ばす。

 リンの眼前には、黒騎士ただ一人。

 赤黒く禍々しい騎士甲冑。そして、なぜかひどく姿勢が良い。

 立ち居振る舞いが規則的で美しかった。

 甲冑と所作のアンバランスさが、妙な威圧感を放つ。

 ――九十パーセント。

 リンは、アンコールバーストを放ってしまおうと考えた。

 しかし、思いとどまる。

 なぜなら、キャメロットを信じたからだ。

 信じる。仲間を信じる。他者を信じる。自分を信じる!

 そのとき!

 右からクレアが飛び出してきた。

 騎士甲冑の全身から、血のように紅いアドミレーションを噴き上げながら。

 クレアとは思えない、獣のような叫びをあげて、渾身の突きを繰り出す!

 黒騎士が盾で防ぐ。

 しかし、クレアの突きが想像以上だったのか、黒騎士の手から盾がはじかれた。

 無防備になった黒騎士。

 今度はナタリーが飛び込んできた。

 右のこぶしには、障壁で形成した巨大なガントレット。

 正拳突き! 接触とともにガントレットを切り離す。

 突き飛ばされる黒騎士。障壁がばらばらに別れる。黒騎士にまとわりつき、行動を阻害する。

 ――百パーセント

「できましたっ!」

 リンが叫ぶ。右手を大きく振りかぶる!

 ナタリーが投げ槍の射線から離脱。号令!

「放てぇっ!」

(いくぞ。今度は、先輩たちの信頼に、わたしが応える番だ!)

 右手を振り下ろす。投擲。ごごごごごっと重い音。

 巨大な槍がゆっくりと確実に加速する。マリアの黒い繭に向かっていく。

「うわあぁぁぁっ!」障壁に封じ込められた黒騎士の叫び。

 障壁が中から押し広げられる。ぎし、みしと音を立て、かたちが変わっていく。

 ばりんっ! 障壁が割れた。

「母さん!」中から現れた黒騎士が確かにそう言った。焦る様子で黒い繭に向かう。

 そのとき、リンの巨大な槍が、繭に接触!

 激しくぶつかり合う、アイドル・アドミレーションとイドラ・アドミレーション。

 巨大な槍が黒い繭をえぐり、黒い繭が巨大な槍を食む。

 互いに相剋する二つのエネルギー。

「やめてぇっ!」黒騎士が繭に取りつく。

 巨大な槍に手を伸ばし、恐れる様子もなく、つかんだ!

 その手から紅黄色のアドミレーションが発生する。

 瞬く間に、巨大な槍が溶け、黒騎士の手に吸い込まれ、消えていった。

 静まる戦場。その静寂を破ったのは、黒騎士だった。

 崩れ落ちるようにひざをつく。苦しそうに胸を押さえ、肩で息をしている。

 苦しさに、がまんできないのか、うめき声まであげていた。

 黒騎士は、ヘルムのバイザーを上げ、大きく深呼吸をする。

 リンは、黒騎士の素顔を見やる。そのとき、思わず口をついた。

「キリアさん?」遠くて、はっきりしない。しかし、四年前に出会ったキリアに似ていた。

 呆然としていたリン。

 気づくと、黒い繭から生えた翼が、すぐ手前で苦しむ黒騎士をからめとっていた。そのまま、繭の中に取り込んでいく。

 リンは、投げ槍を手に、黒い繭に向かって駆けた!

 繭に飛びつき、自分のアンコールバーストの接触点に槍を突き刺す。

 火花のように閃光が飛び散る。はじき返そうとする力に抗い、歯を食いしばって、精いっぱいの力を込める。

 ナタリー、ルーティ、クレアもリンの後に続いた。

 クレアの長槍が、同じ箇所を突く。繭に小さな穴が穿たれた。

 すかさず、ナタリーが両手を差し込む。淵をつかみ、ぐぐっと力を入れて、穴を広げる。

 クレアも淵をつかむ。ルーティは、ナタリーとクレアに、身体能力の賦活とアドミレーションの生成を促す効果のあるアドミレーションを作用させた。

 ひと一人がようやく顔を出せる穴が開いた。

 リンはそこから内部をのぞく。そこは繭の外観と比べて、広かった。この中は別の空間とつながっているのだろうか。

 苦しそうな表情で横たわる黒騎士。その傍らで症状を確認しているマリア。

 そして、血の気がなくなった、青白い顔のルナが幽鬼のように立っていた。

 リンが、繭の中に手を差し入れる。

「ルナ、こっちに来て! 早くっ!」

 ルナが、ちらとマリアを見つめる。マリアもルナを見返し、ゆっくりとうなずく。そして、生気のない顔のまま、キャメロットが空けた穴に真っ直ぐ向かってきた。

 あんなに相容れなかったルナを救おうと決め、手を差し出したことが報われた。自分もアイドルとして誰かを助けることができる。リンは、ほっとした。

 ルナが手を伸ばす。リンの手を取り、ぐっと力を込めて……、思いっきり繭の方に引く!

 リンは、とっさに穴の淵に手をかけ、引っ張られまいと抵抗する。

「……ありえないよ。アタシがお前に助けられるなんて」ルナは、リンの手をしっかりとつかむ。「お前が、こちらに来い!」

 自分の思いとは真逆の展開に、戸惑い焦る。しかし、自分が臨む未来が明確になったリンは迷わなかった。

「いやだっ!」引きずり込まれないよう、もう片方の手と、両足でからだを固定し、繭の中へと引っ張り続けるルナの手を振りほどいた。「わたしは! キャメロットとして、イドラに苦しめられている人たちを守る! そこだけは譲れないっ!」

 にらみ合う二人。互いを分断する黒くて太い線が見えるようだ。

「……これだけ戦って、ようやくわかった。お前は他人なんてどうでもいいんだ。そうなんでしょ? だから、そんなお前が、誰かのために、何かをすることなんてできるわけがない!心から手を差し出すことなんて、ありえない!

 お前が、アイドルになんて、なれるわけがないんだっ!」

 ルナの言うことは、事実だった。ただし、少し前までは、だ。確かに、リンは誰かに助けを求めたり、誰かを助けたりはしてこなかった。そのやり方さえもわからなかった。

「そう、かもね……。でも、わたしは、あなたに手を伸ばした。他者を信じようとした。自分を信じようとした。今までの自分から一歩踏み出した。変わった。強くなった!

 そして、あなたより、アイドルとしてふさわしい人間になったわっ!」

 ルナは、リンを睨み据える。

 憎悪がさらに増したことを示すように、彼女の全身から、ゆらゆらと黒い煙のようなものが立ち上る。それは、間違いなくイドラ・アドミレーションだった。

「アタシだって、変わった……強くなった。アタシは今、黒のアイドルになったのよ」

 リンは驚き、動揺する。もう手遅れだったのだ。罪悪感がじわりと心に広がる。

 ナタリーたちも同じ気持ちになっていた。聖杯連結から彼女たちの気持ちが伝わってくる。繭の淵にかけていた手が外れて、穴が閉じはじめた。

「アタシの意思で、マリアさんに黒のアイドルしてもらったんだ。

 その理由のすべては、お前を否定するためだっ! 今度、出会ったときは、お前の自己中心的でダメな本性を暴いてやる。そして、絶対にっ、アイドルから引きずりおろしてやる!」

 ルナが踵を返してマリアのもとに戻る。

 穴が閉じる寸前、繭の中で、マリアが、リンたちに話しかけた。

「ごきげんよう、キャメロット。またどこかで会いましょう。おもしろくて、わくわくして、もっと輝くことができる。そんなキャリアを歩み、もっと成長したすがたを見せてください。私たちを存分に楽しませてくださいね」

 語りに合わせて、閉じた繭は、ゆっくりと、溶けるように、消えていった……。


 先ほどまでの激しい戦いが嘘のように、ルナたちは忽然と姿を消してしまった。

 ルナが、手を強くにぎりしめていた感覚が残っている。そのしびれのような感覚が、リンの憎しみに満ちた表情や呪詛のような言葉を思い起こさせる。

 リンはうつむき、涙をひとつこぼした。

「誰かを信じることって、むずかしいんだ……」

 ルナの言うとおりだ。これから、アイドルとしてやっていけるだろうか。

 信じたひとに裏切られるくらいなら、誰も信じない方がいい。

 自分のことを本当の意味で助けてくれないなら、誰かを信じる必要なんてない。

(怖いよ……。誰かに対して心を開くなんて、できない。心を開けば、傷つけられる……心を開いても、相手を大事にできるかどうかわからない。どうしよう……)

 そのとき、聖杯に元気な声が届いた。

「リン!」

 ナタリー、ルーティ、クレアの声。三人が、リンのもとに集まる。

 クレアが、リンの手を取り優しく包み込む。ルーティが、頭を優しくなでる。ナタリーは横から肩を抱き寄せる。

 クレアが、ためらいつつも勇気を振り絞って、

「誰かに自分を預けるって、怖いよね。わたしも同じなの。だから、いっしょにがんばろう?」

 ルーティが、そっけなさと慈愛を両立させた口調で、

「言葉がきついってよく言われるの。きっと私も他人を怖れているんだわ。きつい言葉で自分を守っているのよ。私もまだまだなんだから、気にしなくていいんじゃない?」

 ナタリーが、さわやかに、そして覚悟を決めるように、

「私だって、怖いんだよ? リーダーとして、これでいいのかな? って、いつもびくびくしているわ。でも、みんなを信じるって決めたから、勇気が持てるの。大丈夫っ! リンは、精いっぱい、できることをすればいい」

 三人と触れ合う部分から、リンの心に向かって、温かい気持ちが染み込んでくる。

 さらに、もう一人の声が、リンの心に届く。マーリンだった。彼は、四人のもとに合流する。

「みなさん、おつかれさまでした。ルナのことは残念でした……。しかし、命に別状がなかったことは、喜びましょう。今度は、必ず救い出します」

 リンが「はい」と力なく応える。

 マーリンが、リンの様子を見て、語りはじめた。

「他者との関係は、むずかしいですね。

 伝えなければ、始まらない。信じなければ、続かない。受け容れなければ、変わらない。自分と他者との関係は、そんなものではないでしょうか。他者は、自分ではないですからね……。

 私たちは、イドラの脅威からみんなを守るために存在していますが、だからといって、常に相手だけを大切に思う必要はないはずです。

 自分も相手も大切にできる。そんな生き方に、私たちで挑戦しましょう。

 ひとりでは怖くて、立ち向かえなくても、キャメロットの四人ならどうでしょうか? 四人でも、できないのであれば、私やプロダクションを頼ればいいんです。

 アイドルとして、自信を持って、他者に伝える。他者を信じて、受け容れて、自分だけでは到達できない場所へたどり着き、成長する。

 そんな楽しさとすばらしさを、いっしょに体験しましょう!」

 リンは、全身を貫くような驚きと感動を味わっていた。重苦しい鈍色の雲がさぁっと晴れ上がったような気分になる。目にする景色が明るくなり、目の前にいるマーリンとキャメロットの三人が、きらきらと輝いているように見える。

 そんな考え方ができるんだ。思いもつかなかった。マーリンが示した生き方はとても素敵だった。心の中に穿たれた、鋭いくさびのようなルナの言葉が気にならなくなる。

 これならできる、と確信した。先輩たちといっしょに、挑戦したいと素直に思えた。

「はいっ!」リンはさわやかに、にこりと笑う。

「これから、よろしくお願いしますっ!」

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