春からずっと空いたままの席。不登校の生徒の席なのだろうか。
机の上には一冊の本が置いてあり、挟まれた栞はなぜか物語の終わりに向かって移動している。
机に置かれた本は、ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』。
ロビンソンという名はどんな困難も切り開き、誰も触れることのできないほど遠くの世界へ行ける旅人達の名前。
姿を見せない生徒は、いつしかロビンソンと呼ばれるようになった。
学校で合唱コンクールが開催されることになる。
しかしいつまでたっても指揮者が決まらない。
とうとう「ロビンソンにやってもらう」ことに決まった。
一度も登校してこない生徒だというのに。
そして、合唱コンクール本番当日……。その場にいた者の見たものとは。
ロビンソンは実在しているのか(物理的に栞は動いている)(放課後にロビンソンを見たという証言まで飛び出す)。
それとも幻なのか。思春期の子供たちが見ることがある集団幻覚とでも?
いや。そんなことはいいのだ。
ロビンソンは、学校という枠のなかに縛られている子供たちの、一種の憧れなのだから。
願望が具現化してもいい。息苦しさを解放する瞬間はあっていい。
幻がこころを救うことがあってもいい。
ロビンソンが運んできた春の風は、間違いなく彼らを癒したのだから。
合唱コンクールを控えたとある学級と、その教室内、一番奥の不思議な空席のお話。
すごい話です。いやこれ、本当、すごかった……何か言わずにはおれないのに、何も言える気がしないのが本当に困ります。単純にあらすじを要約することすら難しいというか、そうしたところで大事なところが全部ポロポロこぼれ落ちていきそうな感覚。この作品の魅力はきっと作品本文でしか書き著しようがないし、またそれを読むことで受け取った何かを、別の言葉で説明するのも難しいです。個人的な感想としては、文学作品のようだと感じました。この作品から感じたもの、面白みや情動の揺さぶられ方の種類は、その分類以外には仕分けようがありません。
とあるクラスの全員が見た、ある種の集団幻覚のお話です。特にその中のひとり、不幸にも指揮者役を押し付けられそうになった少年が主人公、とも言えるのですけれど、でも同時にクラス全体のお話でもあります。これがなかなか絶妙というか巧妙で、基本的にこの『ロビンソン』、その存在自体はクラスの全員が共有しているのですけれど、でもそれが「各自どういうものとして認識しているか」までは書かれていないんですね。中盤で描かれるロビンソンについての詳細、彼が旅人であることや、その名前の持つ特別性は、でもあくまで『少年』個人の中にある祈りでしかない。
であるにもかかわらず、という、この「かかわらず」がこのお話の核というか、そこで粉々にされました。最後の最後、歌い出しがぴったり合うところ。
手の届くはずのない夢や願望が現実になったかのような、それを自らの手で成した実感を覚えるかのような、いやそれよりなによりそれによって、本来主人公の少年には(あるいはクラス全員でかかっても)打ち倒せるはずのない何かを乗り越えたかのような。事実、歌い終えたあとには「会場は」「誰もが」とあって、この瞬間クラスメイトたちの中にしかいられないはずのロビンソンが、その壁をこえて現実に穴を穿っているわけです。このカタルシス、なによりそれが「旅人の送ってくれた土産である」という、主人公のその解釈の心地よさといったら!
圧倒されました。されましたけどこう、なんというか、やっぱりこうして感想にしてみるとどうしても違う。全然伝え切れていないというか、上記の感想ではまだ表層をなぞった程度という自覚があって、つまりもっと物事の理解や認識の深い部分に食い込んできたような実感があります。とても伝え切れない。というか、言語化が非常に難しい。自分の不甲斐なさをただ恥じるばかりです。
とまれ、というか、なので、本当にすごい作品でした。ロビンソンという語(名)ひとつに重ねた憧憬の繊細さに、展開してゆく物語の美しさ。幻という形をした紛れもない青春。とても語り尽くせるものではない、ただ「読んでね!」としか言えなくなってしまう作品でした。面白かったです。結びの一行の画が大好き。