第3話:異世界に行く覚悟はあるか?


「えーと、先生? アニメとかゲームが好きなんですか?」


 俺は先ほどの『異世界よ』発言を受け止め、呆れた口ぶりで尋ねる。


「も、望月君。人をそんな可哀そうな人を見る目でいてはいけないわ……」


「まぁ、最近は現実と区別がつかなくなるほど高度な作品がありますもんね」


「そういうわけでは……」


「でも、意外でしたよ。先生もそういうのやるんですね、俺も結構オタク気味なので同志見つけたり! て感じで嬉しいで……すぅぅぅぅ! って、何ですかいきなり」


 俺の発言を遮るように唐突に肩に手を置き、顔を近づけてきた!

 キスか。

キスなんか……キスされるんか!

 一瞬にして俺の心は邪な感情に支配され、鼓動が早くなる。

 年上のお姉さんに優しくリードされながら初めてを迎える。

――最高のシチュエーションです! 


静かに目を閉じる。

大人になることへの高揚が態度に出ないよう必死に押しとどめる。

が、返ってきた答えは全く違うものだった。


「ゲームやアニメのなかだけじゃない、異世界は現実に存在するわ!」


 異世界? 

そんなのどうでもいいので早く大人の階段を上らせてください! と考え、キス待機を続けるが白石先生はあっさりと顔を元の位置に戻してしまった。

 あれ、俺の卒業式は? 


「異世界つまり、この世界とは全く違う発達をしてきた世界が実際に存在している。そして、条件さえ整えば、こちらの世界の住人でも異世界に行くことが出来るの」


「えっと、……つまり、柚葉は異世界に誘拐された、ということですか?」


「そうね、少し違うけど、概ねそんな感じよ」


 と、一切冗談味を感じさせない口調で告げてくる。


「つまり、その異世界っていうところに柚葉は無理矢理連れていかれた。だから、俺も異世界に行けば再会することが出来るってことですよね?」


「その通り。で、どうするの。異世界に行く?」


 行くに決まってますよ!

と、俺が自信満々に言おうとすると。

それより早く、白石先生の口から残酷な真実が告げられる。


「さっきこの世界とは違う発達をしているって言ったけど、異世界では人と魔物(モンスター)、人と人が毎日のように至る所で殺し合っているわ」


「え――ッ!」


「人間の欲望を頭脳や財力で叶えようとするのがこの世界だとすると、異世界は人間の欲望を暴力によって満たそうとしている世界よ」


「ということは、俺が異世界に行ったらその殺し合いに巻き込まれるってことですか?」


「そうね。こちらの世界にいるよりは圧倒的に死ぬ確率が高いでしょう」


「うッ!」


 思考が急激に鈍る。

どれだけ吸っても酸素が足りなく息苦しい。

 先ほどまでの高揚によるものとは全く違う鼓動の高まり。

 死ぬ。

つまりは全て終わるということだ。

 これからしたいことを何一つ出来なくなる。

 俺は、人生で初めて自分の死と向かい合う。

 死にたくない。

酸素の足りない頭でもこの六文字はすぐ頭に浮かんできた。


「望月君……?」


 動揺する俺を見かねて白石先生が心配そうな声をかけてくる。


「深呼吸しなさい。大きく息を吸ってゆっくり吐く、それだけで今の自分が普段の自分とかけ離れた状態にあることを自覚できるわ」


 深呼吸なんて。

と馬鹿にした気持ちはあったが、ここは素直に従うことにした。

 言われた通り、肺が膨らみきるまで息を吸い、口をすぼめゆっくりと息を吐く。

 まぁ、確かに過呼吸ぎみだったのは治ったけど、それは自覚してたしなぁ……。

 やっぱ深呼吸なんて意味ないな、と結論付けようとしたときに気づく。

 自分の頬の違和感に。


「望月君、さっきまですごい形相だったわよ。まるで唯一内定をもらえたところがブラック企業だと入る前に知ってしまった就活生みたいな」


 ずいぶんと分かりにくい例えをする白石先生に――


「え⁉ 先生、そんな就活苦労したんですか⁉」


「なっ! わ、私の話じゃないわよ。友達! 私の友達の話!」


「『これは友達の話なんだけどね』という前置きから始まる話を本当に友達のことなんだ、と信じて聞く人って日本に何人いるんでしょうね」


「わ、私は教師。つまり公務員よ、ブラックなわけ無いじゃない! ……だから、そんな可哀そうな目で見ないでぇ……」


「……最近、教師もブラックだと、よく耳にしますよね……」


「……」


「……」


「と、とにかく今は私……じゃない、私の友達の話はどうでもいいでしょ!」


「認めちゃったよ、この人」


「私の話じゃないの‼」


 白石先生は少し涙目になりながらブラックじゃない、私は幸せ……と黒板に向かってぶつぶつと呟き始めてしまった。

 いつも毅然とした態度を崩さない先生がここまで背を曲げて黒いオーラ駄々(だだ)洩れ(もれ)にしているのは新鮮だな。

ちょっと可愛いかもしれない。

 あれ? もしかして俺、ダメな女性が好みなのか? 

 いや、そんなことはない。

俺は芯を持ったかっこいい女性がタイプのはずだ。

断じて自分一人では何もできず、掃除、洗濯、食事はたまたお金までもすがってくる女性に対して、『全くもう俺がいないと何もできないんだから、もう♡』なんて感情を抱いたりなんてしない。ホントだよ?


「とにかく、そんな話はどうでもいいの! 今、重要なのは異世界に行くかどうかでしょ!」


 はっ! 完全に脱線して遊んでしまった。反省、反省っと。

 再び、命の危険が高い異世界に行くかどうか考える。

 妹――柚葉にもう一度会いたい。

というかもう一度と言わず、ずっと一緒に居たい。

 だが、異世界に行っても確実に見つけられる保証もないうえに、死と隣り合わせの生活を送らなければならない。……どうするか?

 再び、死にたくない、の六文字が浮かんでくる。

 当然、死にたくないよ。まだやり残したこととかあるし……。

 あれ? やり残したことって具体的になんだ? 俺は何がしたいんだ?

 腕を組み、目を閉じて熟考する。

…………………………

……………………

…………

 やべぇ、童貞卒業ぐらいしか思いつかねぇ。

 違う、違う! 今の無し!

 俺のしたいこと、やり残したこと、そんなの当然『柚葉を探し出しこと』だ!

 当たり前だろ? お兄ちゃんなんだから。

真っ先に浮かんできたのこっちだよ?

断じて童貞卒業の方が先に浮かんできた、なんてことはないよ⁉

 ――唐突に笑いがこみあげてきた

 あぁ、なんだ。考えれば簡単なことじゃないか。


「俺、異世界に行きます」


 俺は覚悟を決め、まっすぐ言い放つ。


「死ぬのが怖くないの?」


「怖いですよ。でも考えたんです、なんで怖いのかを。俺はなんのために死にたくないって思うのかを」


 俺は大きく息を吸い、出来る限りの虚勢を張る。


「俺は柚葉とまた一緒に笑い合いたい、これが俺の死にたくない理由です」


「…………」


「この世界で安全に日々を過ごす人生は俺にとって意味のないものだって気づきました。柚葉を探すためなら命かけますよ! それが俺の『生きる理由』ですからね」


 ふと目線を窓の外へ向けてみる。

すると、一番に目に飛び込んでくるのは。

柚葉が三年前まで入院し、俺が毎日通った真っ白な病院。

 二階の隅っこの部屋、そこが俺と柚葉の思い出の場所。

 俺が病院の近くまでくると毎日、そこの窓から笑顔で手を振って迎えてくれた柚葉。

 帰るときは何度振り返っても変わらず手を振り続けていた柚葉。

おそらく俺の姿が見えなくなるまでずっと手を振り続けていたのだろう。

 だが、今は。

思い出の場所の窓はカーテンで閉ざされ、手を振ってくれる妹は見えない。

 授業中、黒板より長い時間その窓を見ているがカーテンが開いたことは一度もない。

仮に開いたとしても柚葉ではない人の顔が写るだけ。

 もう、思い出の場所に柚葉はいない。

だから――


「俺を異世界に連れて行ってください」


「いい答えね。結果だけじゃなく、過程もしっかり考えてある」


結果しか見ない望月君らしからぬ解答ね、と薄く笑みをこぼした。


「別に俺は結果だけを求めているわけじゃないんですが……」


拗ねたように言うが、俺の反論など敵ではないと、ひらりと躱し反撃として優しい手つきで俺の頭上を蹂躙してきた。

一般的に言うとあたまナデナデ、である。


「子供扱いですか⁉」


「そう嫌な顔をしないでよ、自分の教え子が成長した。なら、先生はすべきことは一つ、精一杯その生徒を褒めてあげることだけでしょ」


「それ、褒めてるんですか?」


「あぁ、よく頑張りまちたねぇ~」


「やっぱ子供扱いじゃないですか!」


 頭を大きく動かし、忌々しい行為の元凶を振り払う。

白石先生が寂しそうな目で自分の左手を見ているが気にしない。

おい、やめろ! なんか罪悪感が湧くだろ……。


「し、白石先生、そんなに自分の左手を見つめても急に薬指に指輪が現れる、なんてことはないですから本題に戻りましょう。ね?」


「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 あれ? 

冗談のつもりで言ったのに地雷だった?

 白石先生は確か二十代半ばのはずだ。

まだ結婚に焦り始める時期ではない……と言いたいところだけど、あれ?


「あのぉ~白石先生?」


 恐る恐る声をかけてみると。

白石先生は機敏な動きで顔を上げ、興奮した口ぶりで。


「さぁ、異世界に行きましょう、今すぐ!」


「え、今すぐは流石に……準備とかあるし」


「そんなのどうでもいいわ」


「よくないだろ!」  


 あっ、タメ語になった。

まぁいいか、あっちも興奮して暑苦しく迫ってくるし。


「こんな結婚しろ、結婚しろ言ってくる世界なんてさっさと捨てて未婚率九割越えの楽園に行きましょう‼」


 いやだな~行きたくないな~その楽園。でも柚葉いるんだよなぁ~。

 あれ? もしかして。


「あの、白石先生?」


「どうしたの? 未婚は悪、とでも言いたいの? 殺されたいの?」


「いぇ、違います」


 怖えよ。

 どんだけ、未婚なことを気にしてんだよ。

 

「その楽園って何歳から結婚出来るんですか?」


「男女共に十二歳よ。未婚率が高いのを解消するためか、結構早く出来るようなったわ」


 柚葉は俺の二個下、俺(17歳)は四月生まれで誕生日が早いので。

 今現在、柚葉の年齢は14歳。

今、住んでいる異世界ではすでに結婚できる歳になっている……。


「早く、その楽園に連れて行ってください、白石先生!」


「おぉ、望月君も分かってくれたのね」


「分かります、分かりますとも! 未婚は正義です。一刻も早くその楽園に行って柚葉の周りに群がる害虫を駆除しましょう!」


 未婚率九割? 

裏を返したら一割は結婚しているってことだろ。

 柚葉は超絶、完璧、絶世の美少女なんだぞ! 十分の一なんて確率では甘すぎる。

 今頃、夫の座を狙っている欲望まみれのケダモノに囲まれているはずだ。

 いけません! 結婚なんていけません、お兄ちゃん認めませんからね!


「さぁ、早く! 俺を異世界に連れて行ってください」


「分かったわ。今すぐ未婚だらけの楽園に連れて行ってあげる」


 白石先生は先ほどまでの興奮状態から一変、凛とした態度に戻り、一言。


「《ゲート・オープン》――ッ!」


 その声と同時に俺たち二人の足元に円形の幾何学的な模様、いわゆる魔法陣が現れ、淡く白い光を放ちはじめる。


「これは、いったい……」


「転移の魔法よ。魔素濃度が低いこっちの世界で使うのは、準備が大変だったわ」


 両手を肩まで上げ、やれやれとさも当然のように苦労を語る。


「魔物がいるとは言ってましたが、もしかして魔法もあるんですか?」


「ん? あるわよ」


「マジか! 三十歳を迎える前に魔法使いになれるぅぅぅぅぅぅぅぅぅうぅぅぅ――ッ!」 


 唐突に、足元の魔法陣から強烈な風が吹き上げてくる。

白石先生の艶やかな長い黒髪が風に遊ばれ緩やかに揺れ、甘く優しい匂いが俺の鼻腔をくすぐる。

 この心地よい匂いは香水? シャンプー? と疑問に思ったところで俺の意識は風にさらわれるように薄れていく。


「望月君、楽しい異世界生活にしましょうね。そ、それとどうしても未婚のままが嫌だって言うなら……私がもらってあげても、いいわよ……」


 な~んてね♡、と甘い声が遠くなっていく耳にかすかに聞こえてくる。

 白石先生、美人女性教員と結婚か、いいかもな。

 いつか来るかもしれない結婚生活を妄想しようとしたところで、俺は自分の犯した重大なミスに気づき、必死に意識を戻そうとする。

 だが、初めて体験する魔法というものに抵抗する術など分かるはずもなく、意識はどんどん薄れていく。


『くそ! あれだけの風なら確実にスカートがめくれていただろうに!』


 俺こと望月(もちづき)晃(あきら)は強烈な後悔を抱えながら、妹を探すため異世界に『挑戦』する‼

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