第2話:君は何のために異世界に行くの?


 校庭の桜が完全に散り早くも夏の訪れを感じる六月初旬。

 埼玉県立春日部北高校の教室内で美人女性教員と男子高校生の二人きり。

 なにやらゴソゴソしているという羨ましすぎる状況が繰り広げられていた?

 ――いや、ただの補習である。


「望月君! 望月晃(もちづきあきら)君! 聞いているの⁉」


 唐突に名前を呼ばれ、俺――望月晃は窓の向いていた視線を目の前の女性に移す。


「今は数学の時間よ。バードウォッチングをする時間ではないわ!」


 美人教員にして俺の担任の先生――白石沙織(しらいしさおり)は板書する手を止め、猛獣でも射殺せそうな鋭い目線を俺に向ける。


「す、すいません、集中します……」


 実際、バードウォッチングをしていたわけではない、が。

 『これ以上刺激しないでください』と、はち切れんばかり鼓動する心臓が助けを乞うてきたので、仕方なく黒板の内容をノートに写し始める。

 断じて、目の前の女性教員が怖かったからではない。

 あくまでも心臓のやつが助けてくださいと言って来たから従っただけだ! 

 困っている人を見ると手を差し伸べてしまう性格だからな。

 ――以上、言い訳終了


「では、望月君この問題を解いてください」


 ノートに写し終えるタイミングを見計らい白石先生が問題を出してくる。

 それは積分を使った体積計算の応用問題。

 俺は黒板の前まで歩きチョークを手に持ち問題に向きあい。

 そして――


「……うん、全然分からん」


 自信満々に言い放つ。

 チョークを持つ手を一切動かすことなく問題を解くことを諦めた。


「はぁ~望月君、あなたやる気あるの?」


 再び白石先生の視線が鋭くなり、威圧的な口ぶりで責めてくる。

 俺は背に滂沱の冷や汗を流しながらも、なんとか言葉を発する。


「……あります」

「なら、公式ぐらいは書きなさい。初めになにをすればいいかぐらいはわかるでしょう? なにも大学受験レベルの問題を出しているわけではないのだし」


 俺は決して頭が悪いわけではない。

 埼玉県屈指の進学校、春日部北高校で一年間平均よりも上の成績を保ち続けてきた。

 日本規模で考えてみても、上位一割とまではいかないが上位二、三割に確実に入るほどの頭脳を持っている……はず。多分。そうであってほしいなぁ。

 実際、目に前の問題も頭の中で全体の八割ほど解き進められている。

 なら、なにが悪いかというと……


「はぁ~そうやってすぐに自分には解けないと決めつけて諦めてしまうのはあなたの悪い癖よ、望月君」


 俺の悪いところはすぐ諦めてしまうことだ。

 妹を失った悲しみを忘れてしまった時に一緒に無くしてしまった『大切なもの』。

 それは―ー未知に挑戦する勇気だった。

 どれだけ走っても、どれだけあがいても最愛の妹を見つけることが出来なかった悲しい過去。

 それ忘れた代償に何かに立ち向かう力。

 つまり、『挑戦』する力を奪われたのだ。

 その結果……

 目の前の問題が今まで解いたことのない未知なものだと分かるとすぐに答えを求めてしまう。

 自力で解き進めようという考えすら浮かばない。


「悪い癖じゃありませんよ、白石先生。分からない問題があったらすぐに模範解答を見て答えまでの道筋を暗記した方が圧倒的に短い時間で結果が出て効率的です」


 結局、数学なんて同じような問題ばかりなのだから、と十七年間生きてきたうえで見つけた自分の結論を彼女にぶつける。

 俺の持論を受け止め、彼女はとても簡単で誰もが一度は問われたことがあるであろう世界的有名な計算を問う。


「一足す一は?」


「……は?」


「『は?』じゃないわよ。一足す一は?」


「え、えっと、二、じゃないんですか? それともたんぼの田とか11とかですか?」


 いきなり難易度が小学生回帰したことに一瞬戸惑ったが。

 世界的に認められている解答と保険として小学生の時に流行ったなぞなぞの答えをたどたどしい口調で答える。


「そう二、正解よ。」


「はぁ、ありがとうございます……ってありがとうございますじゃないですよ! 流石に俺のこと舐めすぎじゃないですか? この補習だってそうですよ! 今回もいつも通り平均以上の点数だったのに何で俺だけ補習を受けなきゃいけないんですか!」


 この補習中抱え続けていた疑問、不満をぶつける。

 基本的に補習は平均点の半分を下回ったり、基準とされている点数に満たなかった者に対して行われるものであって、平均点を超えた者に対して行うようなものではない。

 そう、だから。

 俺が白石先生を責めるのは当然の権利であり。

 そして。

 先ほどの発言中のジェスチャーにより白石先生の女性らしい魅力と男のロマンがつまった艶やかな果実に手が触れてしまったことに対しても当然、権利があると言える。


…………いや、あるわけないだろ! あるのは自首する義務だけだ!


「もっ、望月君。数学という学問は究極的に言えば一足す一の積み重ねなのよ!」


 朱色に染まった顔を隠すためなのか。

 俺を背にするように体勢を変え、普段よりも大袈裟な口調で、そう言う。


「ま、まぁ何が言いたいかと言うと……どんなに高いと思える壁だって細かく見てみれば簡単なものの組み合わせなのよ。複雑に絡み合ってはあるけど……」


「つまり、今日のこれは応用問題には手を付けず、教科書や問題集に載っている問題だけを解いてテストの点を稼いでる俺を叱るためのものってことですか?」


 不満を隠すことなく垂れ流しながら問いかける。

 それを真正面から受け止めて白石先生は―ー大きく笑い出した。


「…………」


「あぁ、いえ、ごめんなさい。これを言うのが目的で呼び出したわけではないわ。というか、こんなに強く言うつもりはなかったのだけど……教育のことになるとつい熱くなってしまう。私の悪い癖、ね」


 冗談でもいうように口元を緩ませながら答える。


「はぁ~、まあいいですよ。自覚が無いわけでは無いですから。で、なら本当の目的は何ですか?」


 その瞬間、白石先生の雰囲気が真剣なモノに一変し。



「――君の妹が今どこにいるか、私は知っているわ」


「へ?」


「もう一度言おうか? 君の妹が――」


「いえ、いいです。聞こえましたから」


え、え、え? 

『妹』、つまりは柚葉のことだろう。俺に柚葉以外の妹は存在しない。

 白石先生は俺のクラスの担任の先生だ。

俺に妹がいたことぐらい、どこかで知る機会があっても不思議ではない。

そこは理解できる。

そこまでは理解できる、

問題はそのあとだ。

柚葉が今どこにいるか知っている……と言ったのか?

俺がどれだけ探しても見つけることが出来なかった柚葉の行方をおそらく一度も面識がないであろう彼女が知っていると言ったのか?

ありえない、不可能だ。


「あなたのことは担任の先生としての権限で調べたわ。まさかこんなところに召喚者の親族がいるなんて驚いた」


 でも、好都合だったと毅然とした口調で続けた。

 すでに口元から笑みは消え、うつむいている俺にまっすぐ視線を向けてくる。


「……好都合? は? こっちは大切な妹を失ってるんですよ!」


 サオリ先生の言葉によって、封印していた過去をこじ開けられ。

 心の奥底にしまっていた感情、妹への思いが一気に湧き上がり、頭のなか全てがその感情によって埋め尽くされる。


「いいですね、第三者って立場は、一欠片の悲しみも感じませんからね!」


「そんなことは……」


 体がどんどん熱くなっていき語気の荒々しさが増していく。

 おそらくは理論の通っていない意味不明な持論を口にしているのだろう。

 止めなければいけない。こんなのただの八つ当たりだ。

 わかっている、わかっている。

 でも! 

 感情が、思いが!

 頭のなかで渦巻いて口が動くのを止めることが出来ない。


「『そんなことは……』の続きはなんですか⁉ 『無かった』ですか⁉ そんな忘れたい、いや忘れた過去を引きずりだし思い出させてきた人のセリフとは思いませんね!」


「…………」


 白石先生は伏し目がちに口をまごつかせるだけで何も発しない。


「わかってますよ。今、自分が冷静じゃなくて、ただ言葉の暴力を使って憂さ晴らしをしているだけのクソ野郎だってことは! でも、でも! 止められないんですよ……」


 大粒の涙が頬を伝わり床に落ちる。

 一筋ではなく滂沱の涙があふれだし、床に小さな水たまりをつくる。


「どうして今更、忘れたはずなのに……」


 激情が落ち着くと今度は罪悪感と後悔がのしかかってくる。

 俺は震える足で何とか立った状態を保ち、ゆっくりと顔を上げると言葉の剣を何度も突き刺してしまった相手と目が合う。

 その女性の表情は。

 ――何故か、優しげに微笑んでいた。

 俺の発言に怒るでも落ち込むでもなく、慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。

 俺はその笑みを見て再び怒りが湧き上がってくることは不思議となかった。

 ただただ、心が安らぐのを感じた。


「優しいのね、望月君」


「へ? 優しい?」


「ええ、だってあなたは、妹さんのためにむりやり忘れたのでしょう? 妹さんがいなくなってしまったことを」


 母親が頑張った子供を褒めるときのような温かみのある口調で続ける。


「いつまでも過去に捕らわれていては胸を張って前に進むことは出来ない。あなたの妹さんが好きだった『かっこいいお兄ちゃん』でいることが出来なかった。だからあなたは忘れた、忘れるしかなかった」


「…………」


「妹さんのせいで自分が悪い方に変わってしまったと思われないように、妹さんを悪者にしないように必死で思い出さないようにした」


「…………違う」


「自分は立派に生きてる。だから何も気負うことはないと、どこかで見守っているかもしれない妹を安心させるため歯を食いしばり、涙を呑んで心の奥底に押し込んだ、そうなんでしょ?」


「違いますよ! 全然違う」


 理由は分からないが無性に白石先生の言っていることを否定したくなり、いや否定すべきだと思い、口を開いた。


「俺は白石先生が思うほど立派な人間ではない。妹のことはただ単に忘れていただけ。そこに意味なんて無い。時間が経って記憶が風化した。――ただ、それだけです」


 感情を乗せず、淡々と吐き捨てるように言う。

 すると、白石先生は普段は鋭い目を優しげに細め、俺の頭に手を置き、強めにわしゃわしゃと髪を撫でてくる。

 俺の頭のなかを支配してきたモヤを霧消させるように強引な手つきで頭を揺らしてくる。


「私が初めに言った言葉をもう忘れたの? 君の妹がどこにいるか分かるって言ったのよ。もう意地を張る必要なんてない。理屈をいくら考えたって結果は変わらない、でしょ?」


にーしっしといたずらっぽい顔で笑いかけてくる。

その混じりっ気のない、ヒトの温かみ――慈愛のみを凝縮した微笑みを受け。

俺を暴走させていた、三年という月日の内に凝り絡まってしまった考えが甘やかに溶かされていった。

あぁ、そうか……。


「結果ですか……そうですね。居場所がわかっているのならやることは一つ」


 大きく息を吸い、覚悟を込めた言葉を発する。


「「妹(さん)を探しに行く」」


 俺と白石先生の声がぴったり重なりその結果、心も重なったような錯覚を覚えた。

 いや、冷静に考えたらここは俺がかっこよく決めるところだろ。

 なんで声を合わせてきてんだよ。俺のかっこよさが半減しちゃうじゃん!

 ……心が重なったのはやはり錯覚だった。


「それで肝心の妹さんがどこにいるかと言うというと――」


「はい!」


 ドキドキと心が逸り音量調節を間違えたが、気にしない。

 ようやく止まった時計が動き始める。

 ユズハはどこにいるんだ⁉ 

 アメリカだろうが、ヨーロッパだろうが、はたまた宇宙だろうが。

 俺が―ーお兄ちゃんが迎えに行ってやるからな!

 さぁ、どこ――!


「アキラ君の妹さんがいる場所は」


「……(ごくり)」


「異世界よ」


「……はい?」


 は? なに言ってるんだこの人は? 

 先ほどまでの尊敬の念が音を立てて崩れていくのを感じた。

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