第29話 儀式③

 彼女をここまで追い詰めているものは一体なんなのだろうと僕は考えた。

 何不自由なく、華族の令嬢として産まれ、遠山家の中で歪んだ愛情をかけられて育った千鶴子はどんな物も手にしてきた筈だ。

 彼女の美しさからして、好みの異性は簡単に振り向いたはずだ。それは書生や兄の友人を霊視して垣間見えた気がする。

 ――――もし、初めて本気になった異性が自分になびかず、他の女性を愛していたとしたら。

 生まれて初めて自分の思い通りにならない事を経験してしまったら一体どうなるのだろうと、僕は必死に考える。

 大人になる過程で、その狂気を隠す手段を覚えていたとしても、一度感情のネジが外れてしまったら、坂を転がり落ちるように狂気に蝕まれてしまうのではないだろうか。


「あぁ、これは良くないねぇ」


 ばぁちゃんが呻くように言葉を発すると、場面が切り替わった。


 千鶴子は、清史郎さんと年齢の近い男性を館に招き入れていた。その表情は艶かしく妖婦ようふのようで、そのままじゃれあいながら寝室に手を引かれて入った男性の鼻の下は、これから起こる事を想像するようにだらしなく伸びている。


「噂は本当だったんだね、遠山家のお嬢さんと寝れると聞いて紹介して貰ったんだ」

「ふふ、本当よ。ああ、待って下さいな、先ずは乾杯と行きましょう」


 ベッドに座った男性が、千鶴子を抱き寄せようとすると胸板に手を置いてにこやかに制し、手際よくウイスキーをグラスに入れて水で割ると彼に差し出した。


「僕はウイスキイは飲んだ事が無いんだ」

「あら、では試してみて下さいまし。これは良いウイスキーですもの、モダンガールの憧れの的になりますわよ」


 男性は一瞬、興を削がれたような表情をしたが千鶴子の美しさに頬を染め、余裕の無い様子を、婦人に見せるのは格好悪いと笑ってウイスキーを飲んだ。

 そして、暫くして崩れ堕ちるようにベッドの上に寝転ぶと、その様子を冷たい表情で見下ろしていた千鶴子は、部屋にあった鈴を事務的に鳴らした。


 銀蔵と達郎が男を担ぎあげると地下へと向かっていく。僕はその光景を見て、とてつもなく嫌な予感がしていた。

 地下には黒頭巾を被った信徒達が集まり妖艶な黒ドレスの千鶴子を迎えている。

 祭壇は先程の霊視の時よりも血で赤黒く染まり、こちらにまで生臭い匂いが漂ってきそうで吐き戻しそうになる。

 あのラテン語のような、呪文が響き渡り今度は祭壇の上で貼り付けにした男を見下ろした。口輪をされた男が目を見開き必死に抵抗をしている。

 千鶴子の手にはナイフが握られていたんだから、当然の反応だろう。

 まさに天国から地獄に落とされたような光景だ。


「んんーーー! んぐぅぅ!!」

「ごめんなさいね。貴方には何の恨みも無いけれど、ベリアル様がまだ願いを叶えて下さら無いのよ。もっともっと生贄が必要なんですわ。この生贄の台をもっと血に染めないと……もっともっと苦しむ様子をお見せしないと、あの人を私の元へと、連れて来て下さらないの」 


 千鶴子は、まるで残酷な聖母のように微笑みかけ、なんの躊躇ちゅうちょも無く指先を切り落とすと、流れるように腹や胸に刃を滑らせた。

 絶叫が地下室に響いて、僕は思わず耳を塞いで薄目で霊視を続けた。こんなグロい光景を直視できるほど、僕の精神は強靭きょうじんじゃない。

 そして、深々と心臓にナイフを突き立てると断末魔の声と共に男性は息絶えた。

 溢れた血が、生贄の台を赤く染めポタポタと地面に雫が落ちる。


「あは、あははっ、今度こそ、絶対叶えてくださるわ! もう何人殺してきたかしら、ウフフ、両手に数え切れないくらいよ、あははっ」


 狂ったように笑う千鶴子を黒い頭巾を被っていた両親が複雑な表情で見つめていた。他の信者達が遺体を頭陀袋ずたぶくろに入れると、ゆっくりと地下の階段を上がっていく。

 恐らく、遺体を処理しに行ったのだろう。


「千鶴子、これ以上生贄を増やすと足が付いてしまう。儀式に参加しない女中を金で黙らせておくのも限度があるぞ。行方不明になった生贄の事を不審に思って、遠山家に探りを入れている新聞記者ブンヤもいるんだ」

「お父様、大丈夫ですわ……全てベリアル様のお導きですもの」


 千鶴子は、頬に付いた血を拭いながら笑顔で答えると甘えるように擦り寄った。銀蔵と昌子は顔を見合わせ、溜息まじりに頭を振った。


「しばらく様子を見なさい。それからまた贄を捧げよう」


 千鶴子は目を見開き、唇を噛み締めた。

 両親は過去の経験から、自分達の良いタイミングで願いが叶えられる事を悟っているような口ぶりだったが、彼女の目は儀式を邪魔される事を恨むような血走った目で拳を固めていた。


 それから、また場面が移り変わり予想していなかった悲劇が起こった。

 祭壇の上に並べられた二つの男女の首が空虚な目で遠くを見ていた。

 それは紛れもなく、遠山夫妻の首で千鶴子はその前で、魂が抜けた人形のようにぼんやりと立ち尽くし子供のように首を掲げていた。

 その背後に同じようにぼんやりとして力が抜けたように、床に座り込んだ兄の達郎が見えた。


「もう……完全に狂ってる……」


 僕が呻くように言うと、後方から聞き慣れた声がして、千鶴子と共に振り返った。

 彼女は目を見開くと頬を上気させてナイフを持ったまま地下の階段を登った。


「遠山さん、そちらにいらっしゃるのですか? 手紙を頂いて定刻の時間が過ぎてもいらっしゃらないので……! 女中が飛び出してきて、扉が開け放たれたままになっていたのですが、大丈夫ですか!」


 浅野清史郎の声だった。

 無人の屋敷を探し回り、地下にたどり着いたのだうか。扉を開いて瞬間に明かりが漏れ、階段に鋭いナイフを持っていた血塗れの千鶴子が目の前に現れ、清史郎は絶句した。 


「ち、千鶴子さん、どうしたんだ。血塗れじゃないか……っ」

「清史郎さん!! 待っていたわ。うふふ、ベリアル様が願いを叶えて下さったのね! お父様もお母様も私のために贄になって下さったの!!」


 蒼白になる清史郎とは正反対に、狂人の笑みを浮かべ、痩せこけて目をギラギラとさせる千鶴子が、ナイフを持って抱きつこうとした時、清史郎は反射的に彼女の体を押した。


「く、くるな!!」


 その瞬間千鶴子の体は宙を待ってゴロゴロと階段を落ちていき、一番下までくると頭を強打して、目を見開いたまま絶命したようだった。

 真っ赤な血が千鶴子の頭からじわりと広がった。

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