第28話 儀式②

 ゴボゴボと喉の奥から血を吐く夫妻の手には男の首が握られていた。この館でも遭遇した事の無い見知らぬ人だったが、先程の千鶴子とのやり取りで僕は察した。

 あの男性はきっと、この館で贄にされた人の一人ではないだろうか。


「健っ、下がりなさい……!」

「うわっ……!!」


 ばぁちゃんの声に僕は反射的に後退した。床から出火した炎が二人を円で囲むとまるで、地獄の業火が二人を焼き尽くすように炎に巻かれた。

 真っ赤な炎の中で黒い人影が揺らめいて、僕は青ざめるとその部屋から出る。その瞬間まるで、今まで生きていた部屋が力を失ったかのように家具や絨毯が炭化していく。

 両親は、千鶴子のように襲いかかってくるような事は無かったが、僕の精神は随分と削られたように思う。


「……僕は、悪魔なんているかどうかなんて分からないけど、遠山千鶴子がこの屋敷で悪魔みたいに育てられた事だけは分かったよ。自分の言う事を聞かないものや、思い通りにならないことを我慢できない人間に育ったんだね」


 龍神がこの世にいるなら、もしかしたら悪魔だってこの世に存在しているのかも知れない。実際、魔物と化してしまうような悪霊がいるのも事実だ。

 だが、少なくとも彼女は生前から悪をとがめられる事も無く、むしろ歪んだ性質を両親に伸ばされているように思える。


「――――健、あの女が戻ってきたみたいだ。地下室に向かうよ!」

「うわっ、揺れる……! きっと地下室がこの屋敷の核だよ、ばぁちゃん。きっとそこに克明さんもいるはずだ」

 

 千鶴子がこの絵画に戻った事を伝えるかのように、屋敷がグラグラと揺れた。僕とばぁちゃんはよろめきながら、長い廊下を壁にぶつかりながら走る。

 次の瞬間、ピタリと地震のような揺れが収まって無音になり、僕は全身が総毛立つような感覚に襲われて、肩越しに背後を振り返った。


『邪魔をするな……これ以上探るな、克明清史郎さんと私の邪魔をする奴は全員死ね』


 あり得ない角度で首を横に掲げた千鶴子が、地獄の底から這い上がってくるような不気味なしわがれた声で、何度も無限にループするように呟く。絵の具で描かれた渦巻いた顔は、まるでモザイクが薄れていくように、ぼんやりと人の顔へと近付いていく様子が、あまりにも不気味で僕の喉の奥から空気が抜ける音がした。

 着物の裾から見えた細い手足が、まるで女郎蜘蛛じょろうぐものように地面を這うと物凄いスピードで僕達の方に向かってきた。


「いいかい、健。地下室まで振り向かずに走るんだよ!」


 ばぁちゃんの合図で僕は全速力で走ると、階段を転がり落ちるように降りた。廊下に飾られた遠山家の肖像には、黒い点が広がり、じりじりと焼け落ちる。

 まるで化け物のように、着物姿のまま壁に飛びつき、追いかけてくる姿に恐怖して、僕は心臓が破裂しそうになるくらい必死に走ると地下室の扉の前まできた。

 

「ちょ、ちょっと、ばぁちゃん! 開かない!」

「千鶴子が抵抗して開かなくなってるのさ! 眉間に意識を集中して霊力を高めるんだ、そのままばぁちゃんと一緒に扉にぶつかる!」 


 僕はパニックになったが、『第三の目』と呼ばれる場所に意識を集中させると、ばぁちゃんと共に体当たりして、勢いよく部屋に転がり込んだ。


 ――――そこには、老若男女入り混じった黒い頭巾を被った人々がロウソクの炎の中でうごめいていた。

 地面には見たことも無いような、紋章が描かれていて、人々はラテン語のような言葉を口にしている。彼らが見つめる先には祭壇があり男性が縛られ、黒い布を被せられていた。


「嫌だ! 死にたくない、辞めてくれぇ! 達郎、親友だっただろう! 千鶴子さん!」


 その悲痛な声の主が、おそらく長男の達郎の学友だと言う事は、僕が追体験をしたあの霊視から答えは導き出された。

 親友に名を呼ばれた達郎は目を伏せ、無言のまま親友の首に縄がかけられるのを見守っているようだった。

 ご学友の目の前には、黒い艶のあるドレスをきた千鶴子が髪を降ろして艶やかに微笑んでいた。


「ごめんなさい、貴方は私の為に何でもして下さるのでしょう? ベリアル様は動物の贄では願いを叶えて下さらないの。もっと……大きな生贄を捧げないと」


 千鶴子は残忍な笑みを浮かべた。

 黒魔術と言うのだろうか、何やら呪文を唱えながら千鶴子はナイフを手に持った。

 男たちが、ロープを手に取るとゆっくりと学友を釣る仕上げる。

 数秒、足がばたついたかと思うと絶命した。ゆっくりと遺体が降ろされ、祭壇らしき場所に横たえられると千鶴子は手に持っていたナイフを首に突き立てた。

 溢れ出した血を盃に受け取ると、小さな悪魔の像にそれを贄として捧げ、滴る血をナイフに絡めると、二体の人形を憎しみを込めるように強く刺した。

 その人形の顔には、どうやって手に入れたのか分からないが、浅野清史郎の妻と思われる女性の写真と、幼い子供が写っていた。

 


「死ねっ! 死ねっ! お前たちさえいなければ、お前たちさえいなければ、あの人私のものになるのよ! お前たちなんて清史郎さんにはふさわしくない!!! ベリアル様、邪魔な奴らを殺してください!!」


 千鶴子は、まるで牛の刻参りのように鬼の形相で目を血走らせ、何度も何度も人形に血塗られたナイフを突き立てた。その鬼気迫るような様子は、人間の黒く醜い感情が凝縮されていて、僕は気分が悪くなった。

 

 

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