第30話 炎に包まれて①

 ピクリとも動かない千鶴子を見て、清史郎は腰を抜かすとあろうことか、救急車も呼ばず悲鳴をあげながらその場から逃げ出した。

 階段から落ちて、絶命した妹によろよろとした足取りで走り寄った達郎は、泣きながら千鶴子の瞼を閉じるとうわ言のように呟き出す。


「もう終わりだ……遠山家はだめだ……全部、全部燃やさなくちゃ」


 達郎は幽霊のように立ち上がって僕の横を通り抜けた。僕とばぁちゃんの霊視は、そのまま彼の視界をジャックして進む。泣きながら屋敷に酒瓶をぶちまけると、達郎はマッチに火を付けた。

 炎は勢いよくカーテンを走ると一気に燃え広がる。

 達郎の体は炎に包まれ、火事に気が付き逃げ遅れた女中達も勢いよく炎に飲まれた。


「これが遠山家とこの邸の末路なんだね……」

「なんて恐ろしくて、胸糞が悪い過去なんだい」


 僕たちがそう呟くと同時に、地下室はお洒落なティールームに変わる。そこにはやつれた表情の克明さんが座っていた。

 目の前には、着物姿の遠山千鶴子がお茶を飲んで楽しく話をしている。

 蓄音機から、サロメのオペラが流れていて、僕はようやくこの歌が彼女自身の事だと言う事に気が付いた。預言者ヨカナーンに拒絶されたサロメは彼の首をどんな高価な宝物よりも欲した。サロメは、千鶴子そのものだった。


「克明さん! 妹さんに頼まれて助けにきました」


 僕が叫んで、踏まこもうとした瞬間に、手前にいた千鶴子が立ち上がり僕に襲いかかってきた。だが、僕を館の中で追い回していた凄まじい跳躍力の化け物のような千鶴子では無い。

 髪をふりみだして、目が血走った狂人のような彼女が僕の首を締めた。


「こいつ、離れろ!! っ……!?」


 呪符を取り出して、千鶴子を祓おうとしたばぁちゃんは吹き飛ばされ、地下室の壁に叩きつけられた。僕は必死に千鶴子の両手を掴んで引き離そうとするが、ボロボロと皮膚の組織、いや肉が剥がれ落ちて青ざめた。


「邪魔をしないでと言ったでしょう! 私と克明せいしろうさんはここで幸せに暮らすのよ。お前なんて死ねばいいのよ!」

「ぐっ……その、人は……浅野清史郎じゃないっ……! 赤の他人だっ……」


 僕は彼女に届くかわからないが、呻く様に声をかけた。背後で背中を強かに打って咳き込むばぁちゃんが叫ぶ。


「健、ここはあの世とこの世の間にある空間だよ。龍神様の声に耳を傾けなさい、未熟なお前でも、この場所ならお前の持つ霊力を最大限に発揮できる!」


(そ、そんなこと言われたってばぁちゃん、漫画やゲームの世界みたいに必殺技なんて繰り出せないよ)

 

 僕はばぁちゃんのとんでもない無茶振りに、こんな状況でもツッコミを入れてしまった。だが僕はもう無我夢中で額の真ん中に意識を集中させる。

 誰もが想像するであろう龍の姿を思い浮かべると、段々とそれが白い龍へと変わっていく。空の上で大きくとぐろを巻いてこちらを向いたかと思うと、日本語であって日本語で無いような、僕の語彙力では表現できない不思議な声を聞いた。


 ゆっくりと僕は目を見開くと、目を血走らせ残像を纏いながら憤怒ふんぬの表情をする彼女がなんだか哀れにも思えた。


「……っ、千鶴子さん……っ、君は、この館の秘密を……見られるのを……恐れていただろう……はぁ、……儀式を、していることを……、知られたくなくて……僕にずっと、警告して……いたな。なぜだ……? 正気の君は……清史郎さんに世間に、知られたくなかったんじゃないか……? 自分が人殺しだってことを……」


 僕がそう言うと、一瞬千鶴子が怯んだのを感じて今だとばかりに両手を掴んで引き剥がすと言った。


「はぁっ、千鶴子さん、よく聞くんだ。ここにいるあの人は有村克明。浅野清史郎とはよく似たいるけど別人だ。清史郎さんは君の儀式を知った後、関東大震災で亡くなっているんだ」

「うそよ、うそよ……清史郎さん……。そんな……この邸でずっと待っていたのに……!」


 僕の目が白く輝くと、龍神がとぐろを巻いて千鶴子の体に巻きついた。必死に体を動かす彼女に、僕はほとんど無意識に言葉を発していた。


「千鶴子さん、誰かの心を自分の思い通りにする事なんて出来ないんだ。君は本当に情念に囚われて哀れだと思うけれど、現世で人の命をたくさん奪ってきた。それはきちんと罪を償わなくちゃ」


 そういった瞬間、龍の体は青白い炎に変わり遠山千鶴子の絶叫と共に燃え尽きた。冥府の扉は開かれて、彼女は地獄に堕ちたのだと思う。

 罪を償って人として生まれ変わるまで……悪魔の側で焼かれるのかも知れない。


「良くやった健! 合格だよ。さすが、ばぁちゃんが鍛えぬいた自慢の孫だねぇ!」


 余韻よいんに浸っていると、僕の背中をばぁちゃんが激しく叩いてため息をついた。お洒落なティールームが消え失せ、地面に座り込んで項垂れた、克明さんが呻く様に言った。


「き、君は……誰だ?」

「僕は雨宮健です。多分覚えていないかもしれないですが、香織さんに小さい頃遊んで貰ってて……詳細は省きますが、香織さんの霊に頼まれて貴方を助けにきました」


 だが、克明さんはなんとも言えない表情で僕を見ると項垂れた。そして涙ながらに震える声で言った。


「雨宮さん所の……。どうして……香織が? でも、俺のせいなんだ……俺があの日、迎えに行かなかったせいで香織は死んだんだ。俺のせいなんだよ……。俺が殺したのも同然だ」

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