夜 秘密の夜食会と肉巻きおにぎり

 甘ったるい風が窓から入り込み、俺の前髪とまな板の上の茹でほうれん草を揺らして流れていった。それを気にせず根元を切り落とし、ざっくりと切り分ける。風にあたった葉の先端がもう乾いていた。束にしたほうれん草を、ぎゅっと握って軽く水気を切る。そういえば、ナッツを砕くのを忘れていたな。

「お、おじゃまします……! 」

「ああ、グリシナか。いらっしゃい。好きなところに座って待っててくれ。」

「うん、ありがとう。」

 開けっ放しにしていた台所の扉から入ってきたのは、この世界に俺たちを連れてくることで俺たちの命を救ってくれた少年だった。彼がこの家の裏庭で低体温症になって倒れていたところを、妹がたまたま気が付いて助けたのだ。今ではもうすっかりこの家の住人になっている。

 それにしても、この世界でもソーラーパネルが通用して本当によかった。異世界にも光エネルギーはあるみたいだ。冷凍庫を開けて冷凍しておいた食材を確認すると、しっかりと凍っていた。その中から見つけた冷凍ナッツを6粒、ジッパーバッグの中に入れてしっかりと閉じる。上から麺棒で叩くと、ナッツはすぐバラバラになった。それを醤油やオイスターソースを入れたボウルに入れて、ほうれん草と和える。皿に盛ったらほうれん草のナッツ和えの完成だ。

「ねえ、いさな。それはなあに? 」

「ん? ああ、今日の夜食だよ。ほら、俺結構食べるだろ? 夕食だけじゃ足らないんだ。」

「たしかにいっぱいたべるよねえ。ねえねえ、ぼくもてつだっていい?  」

「いいけど……もしかして食べたいのか? 」

「えへへ、ばれちゃったぁ。ぼくおなかすいた! おゆうはん、はやかったんだ。」

「食欲があるのはいいことだぞ。本当に、元気になってくれてよかったよ。」

嬉しそうに顔を緩める少年の服の袖から、火傷の痕が痛々しく覗く。助けた時にはひどく衰弱していた彼が、十分な治療ができないこの環境で夜食をねだるほどまでに回復したのは、奇跡ともいえるだろう。それならば、おいしくてしっかりとしたものを食べさせてあげたい。それで思いついたのが肉巻きおにぎりだ。おにぎりに豚肉を巻いてタレと一緒に焼くだけだが、肉を焦がしさえしなければ大体おいしくできる。

 さっそく生姜の皮をむいて千切りにする。生姜のいい匂いで腹の虫がなるが、ここは我慢だ。あらかじめ寿司桶にいれて冷ましておいたご飯に、千切りにした生姜を入れて混ぜ合わせた。ここからは少年の出番だ。米を少しとってラップに包み、たわら型のおにぎりに豚肉を巻いたものをひとつ作る。

「グリシナ、ここから本格的なお手伝いだ。このご飯をたわら型――このお手本みたいな形にしてお肉を巻いてお皿に並べてくれないか? 」

「おてほんみたいにすればいいんだよね? がんばる! 」

 少年が腕まくりをして、たわら型おにぎりを作り始めた。今のうちにお椀に醤油、みりん、料理酒を入れて混ぜ合わせてタレをつくる。今日はピリ辛の気分だからコチュジャンも入れてしまおう。小皿にちょっとだけタレを垂らし、おにぎり制作中の少年を呼ぶ。

「グリシナ、ちょっと味見してくれないか? 」

「はーい! ……ん、ちょっとからいかも。」

「了解。ありがとう。」

自分の小皿にも垂らして味見してみる。うん、食欲をそそるいい味だ。しかし、少年の言った通り少し辛い。お椀のたれに砂糖を一つまみ加えて味見すると、ちょうどいい辛さになった。

「いさな! おにぎりできた! 」

「ありがとう。ちょっと見せてくれな。」

少年の作ったおにぎりは、とてもきれいな形をしている。とても器用なのだろう。均等な大きさで形のおにぎりが、皿の上に並んでいた。それをIHヒーターのそばに持っていき、フライパンにごま油を引く。

「さて、これからこのおにぎりを焼いていきたいと思います。」

「わーい! おいしそう! 」

「楽しみにしてろよ! 」

ごま油が温まってきたので弱火にする。少年が作った豚肉を巻いたおにぎりをそっと並べていくと、じゅうじゅうという音とともに豚肉が白くなっていく。焼き色が偏らないようにころころと転がして全体に軽い焼き色を着けると、さっき作ったタレをおにぎりの上からかけた。火を少し強めておにぎりをころころと転がしながら、タレを煮詰めていく。汁気が少しずつ飛んでいくのをみながら少年に話しかけた。

「なあ、縁側か外で食べるのはどうだ? 」

「おほしさま、みえるかな。」

「星?今日は晴れてるから見えるんじゃないか。」

「じゃあ、えんがわにする! 」

汁気が完全に飛んだので火からおろす。大葉を敷いた大皿の上にそっと置いていりごまをふりかけると、少年の目が肉巻きおにぎりにくぎ付けになった。そのまま椅子に座ろうとして、思いっきり足をぶつけた。

「いっ……たい‼」

「前をちゃんと見ないからだぞ。ずっと見てなくても逃げないから落ち着いて! 」

「うぅ……おにくおにぎり……。」

「ははは、すごいな。」

思ったよりも食欲がすごくて、つい笑い声が漏れてしまう。うずくまる少年を持ち上げて椅子に座らせると、もぞもぞと動きながら肉巻きおにぎりを探している。皿に取り分けると、こちらと皿の上の料理を交互に見始めた。さすがにかわいそうなので俺もおとなしく席に着く。

「準備はいいですか?」

「はーい! 」

「では、手を合わせて。……いただきます。」

「いただきまーす! 」

少年の口が大きく開き、肉巻きおにぎりにかぶりつく。目をつぶってふるふると震えた後、思いっきり頬を紅潮させた。幸せそうな顔だ。

 俺も肉巻きおにぎりにかぶりつく。瞬間、肉汁の波が襲ってきた。噛めば噛むほどご飯が甘くなり、肉と調和していく。けれど決してしつこいわけではない。ご飯の中に仕込んだ生姜の千切りが、こってりとした味の中にさわやかさを生み出しているのだ。次にほうれん草のナッツ和えをつまんでみた。ナッツがザクザクと音を立てる。じんわりとした甘さと苦さが、口の中に広がってゆく。肉巻きおにぎりとほうれん草のナッツ和え、もしかして交互に食べれば永遠に食べれるのでは?

「はぁ~、おいしかったぁ。ねえ、いさな。こんどつくりかたおしえて? 」

「もちろん!この時間ならいつもいるから、いつでも教えるぞ。」

「いつもおやしょくたべてるの? 」

「ああ、結構な頻度で食べてるよ。さながら秘密の夜食会ってとこかな? 」

「ひみつの! みんなにばれないようにしないと! 」

少年はふわふわとした笑顔を浮かべている。瞼も落ちてきていて、心なしか眠そうだ。頭が上下に揺れている。勢いあまって空になった皿に突っ込みそうになった。

「眠いならもう寝なさい。俺が言えることじゃないけど、夜更かしは体に悪いぞ。」

「んん~……もうちょっと……。」

「困ったな……。」

机に体を預けはじめている少年を抱き上げて台所を出る。そういえば初めてこの子にあったときも、こうやってベッドまで運んでいったっけ。その時と比べると、だいぶ重くなっている。元気になったと思ってもいいのだろうか。

 いつのまにか、縁側で立ち止まっていた。そういえば結局縁側では食べなかったな。あの子もおにぎりに夢中になっていたし仕方ない。開け放った縁側からは、満天の星が見える。星座や月の数は地球と全く違うけれど、美しさは勝るとも劣らずだ。遠くから動物の鳴き声が聞こえる。先ほどよりも涼しくなった甘ったるい風が、俺の前髪を揺らして縁側を吹き抜けていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

樹雨家のおいしい日常〜樹雨家長男のいちにち〜 鮭碕 @shakesaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ