第17話 ちょっとえっちだよ

 最後の仕上げと、寝る前の暗記のためにひたすら机に向かい続ける夜の時間。


 いよいよ集中も続かなくなって何度も無意識にスマホを触ろうとしては「いかんいかん……」と手を止め続け、時刻は九時頃。


 俺が手を止めた直後、またスマホに手がレッツゴーしそうになり、もう限界か……と己に負けそうになった時、一階で玄関の扉が開く音がした。


 玄関のすぐ前には二階への階段があるため、いつもなら「ただいまー」が薄っすら聞こえるんだけど、今日は扉が開く衝撃と、閉まる衝撃だけが二階の俺の部屋には伝わってくる。

 しいて言うなら「ただいまぅ……」とだけ聞こえた気がした。


「……丁度いいか」


 気分転換に一階に飲み物でも取りに行こう。



 そうして一階に行き、リビングの扉を開けると。


「――し、しんでる……」


 ソファにうつ伏せになり、体を伸ばしたまま動かなくなった美優の姿がそこにはあった。

 こんな国民的女優の姿は見たくなかった。


 扉を閉めて、美優の方に近づいていくと、


「ヒッ……」

「つかまえた」


 俺が近くに来たところで急に動き出した美優の手が俺の足を掴んだ。

 次の役は貞子か?


 ただ、掴む力が弱すぎて俺が一歩下がるとすぐに足から手は離れる。


「ぉぁ……」

「なんて?」

「つかれたぁ……」

「……わかってるよ」


 きっと俺以外はわかってないだろうけど。

 最近の美優はずっと疲れてる。美優の働きっぷりを見たらそれも当たり前だろうと俺も思うし。


 まことが今日は美優が出る生放送があると言ってたけど、それを聞いて大変そうだなと思ってた。

 うちの妹だからもう少しだけ丁重に扱ってほしいんだけど。こき使うにしても帰っても俺に甘えない程度にしといてほしい。


「早人……頼んでいい……?」

「変なことじゃなければな」

「私が退くから、そしたらソファにうつ伏せになって」

「それは無理」


 絶対その後俺の上に乗ろうとしてるもん。


「早人ぉ……助けて……双子パワーが……」

「どうしたら双子パワーが回復するのか次第では助ける」

「体の触れる面積が大きければ大きいほど……」

「大きいほど?」

「私が嬉しくなる……」

「双子パワーの回復量が増えるんじゃないのかよ」


 結局双子パワーはどうしたら回復するんだよ。


 その後、戦隊ヒロインでも狙ってるらしい美優は「ぐあぁ……」「双子パワーが……」と暴れ続けてる。

 こいつ実は元気なんじゃね?


「とりあえず……うつ伏せはやめろ」


 そのまま寝たら体に悪いし。

 寝てる最中に落ちそうだし。


 自分では動きそうになかったから、腹の辺りを持ってひっくり返すと、ひっくり返った美優の顔はにへらぁ……と変な笑みを浮かべていた。


 うわっ、きもちわるっ。


「今ので10回復」

「気持ち悪い報告をするな」

「つかれたぁ……」

「いいから寝ろ」

「寝たら明日になるー……明日になったら仕事があるー……」

「共感できることを言うんじゃない」


 勉強して寝るぞって思ってた俺もちょっと心が揺らぐだろ。

 ただ家に帰ってから寝るまでの夜の時間が至高なのは認める。


 そこで、ソファで寝たくなかったのかのそのそと上半身を起こした美優は、体の向きを前にしてぽんぽんとソファの隣を叩く。


「隣に座ってくれたら寝る」

「別に寝ないなら俺は別にいいけど」

「座ってくれなかったら死ぬ」

「さすがにそれは座るけど」


 責任重大過ぎるもん。

 君の行動一つで世界が終わるよって言われてるようなもん。


 そうして隣に座ると、美優はさも当然のように俺の上に座ってくる。

 自然すぎて一瞬何がおかしいのか気づかなかった。


「……美優」

「なに?」

「辛いなら女優やめてもいいんだぞ」

「え、これそんなに病んでるように見える?」

「見える」


 もう子供じゃないんだから……。

 相当人生辛くないとこんなことしないぞ。


 だって今俺達同じ背の高さなのに上に乗られたら俺の視界に髪しか映らないもん。

 綺麗な直毛だなこいつ。俺もだけど。


「だって人の温もりって大事だって言うからさ」

「大きくなったら布団の温もりで充分だ」

「でも一つ言っていい?」

「なんだ?」

「……兄妹でこの格好はちょっとえっちだよ……早人」

「それ俺の台詞じゃない?」


 自分で乗っておきながら何言ってるの?

 え? もう自分で乗ったことすら忘れた? もう寝てる?


 美優の言う通り、兄妹でこんなことしてるところが両親に目撃されたら本気で心配されるから、また美優の腹の辺りを持って横に移動させる。

 さっきも思ったけど、身長同じなのに軽いんだよな、こいつ。


「ふー……落ち着いてきた」

「それは良かった」


 もしこれが小説だったらここまで全部読み飛ばしていいくらい内容なかったからなこの場面。


 そうして落ち着いてきたらしい美優は当たり前と言わんばかりに体を俺の方に倒してくるけど、まあそれくらいなら普通だから許してやるか。どの兄妹もするだろこのくらいは。


「仕事で疲れてるなら素直に休めよ」

「……でもさぁ、最近疲れてるのは早人のせいもあるんだよ?」

「それは俺のせいじゃない」

「早人のせいだよ」

「違う」


 断言できるけどそれは兄妹のことを過剰に気にしすぎる方が悪い。

 俺は何も心配されるようなことはしてない。


「早人が籠絡されそうになってるし」

「なってない」

「早人が女子と喋ろうとしてるし」

「それはしてる」

「早人のクラスの人に私のことバレるし」

「それは俺のせいじゃなくね?」


 あの時は俺に悪い成分なくない?

 どちらかというと美優が自ら進んで行ってたよね?


「あれから音沙汰ないけど……大丈夫だった?」

「まあ、さすがにもう大丈夫だろ」


 もっちゃんも、今更になって誰かに言いふらしたりはしないだろうし。

 それに、


「その人も言ってたけど、実際に見た人以外には、言っても信じてもらえないだろ、って。赤羽美優が妹だって言っても」

「……見た人以外には?」

「うん。見ないと嘘にしか思えないだろって」

「ふーん……」


 なんか、今の言い方だと見た人には伝わっちゃったみたいだけど。まあいいか。

 実際は美山はまだ、もっちゃんから何も聞いてないと思うから、知らないだろうけど。


「俺が言っても多分、嘘だと思われるしな」

「言いたい? 自慢したい?」

「別に」


 多分惨めな気分になるし。その上信じてもらえないとか最悪だし。

 隣の美優は「なんでー」と暴れてるけど、多分誰でも思うだろ。妹のサイン頂戴なんて言われても困るし。


「だけど早人はクラスで話す人いないもんね」

「ナチュラルにぼっち扱いするな……少ないだけだよ」

「一人だよね?」

「一人……まあ、一人……一人だな」


 まあ、うん、まあ、一人ですよ。それは。

 別に二人目が思い浮かんで迷ってたわけじゃないよ。


「あのモデルの子とはあんまり喋ってないんだよね?」

「いやモデルの子とは全然話すことなんて全然……」


 ……ん? モデルの子?


「あれ? 美優になんか……そんなこと話したか?」

「何が?」

「前会った奴がモデル目指してる話」

「ううん。話してくれなかったよ」

「アッ」


 あれ? 今俺試されてた?

 モデルの子って言ったら俺が反応するかどうか試されててまんまと釣られた?


「やっぱり知ってはいたんだ。へぇ〜」

「……美優は、どこで知ったんだ?」

「綺麗な子だったから調べたんだ。駆け出しの読者モデルさんだよね?」

「……ソコマデハシラナイナー」


 お、俺はモデル目指してることしか聞いてなかったからシラナイナー、最近ちょうどまことから聞いたこともナイナー。


 ……だけどやっぱり、美優から見ても、駆け出しの読者モデルってところなのか。


「まだあんまりメディアには出てないみたいだけど」

「へー、知らなかった」

「早人はこの子の雑誌とか見たことある?」

「ないない。マジかー全然知らなかったな」

「雑誌載ってることは知ってた?」

「知らなすぎてビビるなぁ」


 そう話している間にも、美優は俺の肩に耳を乗せた上で、腕を掴んで脈を測ってくる。

 何そのやたら直接的なメンタリズム。


「まあ俺は……モデル目指してるってこと以外知らないから……」

「その子は話してくれなかったんだ」

「もう一年は口も聞いてない」


 とにかく俺は何も知らないから胸に耳を当てるのは勘弁してほしい。

 既に明らかにお前より俺の方が疲れ始めてるから。変なこと口走ってるから。


「もし早人が売れないモデルに引っかかったら心配だから」

「……ああ」

「もし結婚したかったら私より人気な人にしてね」

「うん……」


 ……現状お前より人気な奴はいないとか結婚するとしても妹に許可は取らないとかいろいろ言いたいことはあったけど。


 ただ、それよりも何よりも、さりげない「売れないモデル」という言葉の方が気になる俺がいた。

 そりゃ、今は売れてないかもしれないけど――


「でも、油断してると美優も誰かに抜かされるかもしれないぞ」

「油断はしないし、その子とは土俵が違うしね。その子はモデル志望だし、テレビにも出ないんでしょ?」

「いやぁ? テレビには今度出るらしいけどな」


 なんか一万年に一人とか言われて調子に乗ってるけど、テレビに出るとなったら、美優も売れないモデルとか言って余裕こいていられないんじゃないか? ん?


 ん? どうだ? 何か言い返してみろよ国民的美少女さんよぉ――


「アッッッ」


 あれ……? 俺なんでそんなガッツリ言い返してるの……? 何も知らないんじゃなかったの……? あれ……?


「いやっ、美優、今のはな、風の噂で耳にしただけで――」


 別に知ろうとして知ってたわけじゃなく――と引き続き下手な言い訳を続けようとした俺だけど。


「……美優?」


 自分の胸の辺りを見ると、当の美優は全くそんなことを気にしている様子はなく。


「そっかぁ……」


 俺の心配とは全く別のことを静かに、しかし何かに燃えるように、考えているように見えた。


「なら、挨拶しないとダメだね」

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