第4話:真実の内側




 ——真実などない、あるのは解釈だけだ。

 幾多もの文明が生まれては滅び、幾度にも及ぶ淘汰を生き抜いたファクターが連綿と紡ぎあげられ、最後に残った魔導式と科学が、ある時期で迎合を果たしたことで、人類はこのアーストロイアでも過去に類を見ない超文明を構築するに至った。



 だが、それは光と闇のカオス。とりとめもなく、ただ時間という名の幻想を行き交う点と点の中で見出したそれをつなぎ合わせ、そうして手繰り寄せた糸を我々はかろうじて「現実」と呼び「現象」と呼ぶことにした。永遠などというものが存在しないのであれば、淘汰の先に残されたものにさえ永続性を見出すことは出来ないだろう。



 今君たちが「文明」と称しているそれにしたって、実際のところはただの残骸なのかもしれない。本当の真実というものは、観測するものの内側ではなく外側にある。真にそこに辿り着きたいと思うのであれば、まずは独力で光の速度を脱して事象の地平を超えるところから始めなければならない。



 だがどうだろう。そんなところにしかない真実に手を伸ばしたところで、後に続くものがなければ意味はない。それだけならまだしも、それが新たな混沌を生み出すのであれば、あえてそこに手を伸ばす意義はないのだろう。淘汰の果てに散らばった残骸のような文明の揺りかごにあやされ、堕落して腐っていく方が人としては遥かに健全だ。



 私は、そんな堕落を愛している。見たいものを見、聞きたいことを聞き、信じたいものを信じる。世界で行われている身の毛もよだつ残虐にも目を向けなくてもいい。そんなバイアスに冒されきった仮初の真実を何よりも尊く思う。これ以上進むこともない代わりに、これ以上廃れることもない。そんな停滞した世界を私は望んでいる。有体に言うのであれば、それは今ここにある日々の維持だ。それを守るためであれば、私はあらゆる絶滅をも厭わない。それを悪と断じ罰したいのであれば、やってみればいい。それが試練であれ宿命であれ、私はそこに立ちはだかろう。全ては愛する世界のために。



 さて、では始めようか。

 私は世界をベットした。

 君たちのコールを待とう。



 ——メッセージの録音を、終了しました。


 

 ◇◆◇



 つづらに入り組む排気ダクトをオペレーターの指示通りに這い進み、ようやっとまともに背伸びができる空間へとアーセムは降り立ったが、そこは図面にはない空間であった。



 コンソールから発せられる熱を下げるため、内部は異様に温度が低く、けたたましいファンの回転音がしつこいほどに耳朶に響く。部屋いっぱいに整列された身の丈ほどもある黒い箱の群れ。おそらくここが目的のサーバールーム。



 本国との通信、監視映像や通話記録から割り出された外国人の往来とその傾向、大使館で集められたあらゆる情報がここにプールされ、溜まったデータは月一回の更新日に外部記憶化されてエルズ共和国の機関で解析にかけられる。解析されたデータは本国での外交活動の方針を左右し、そこで下された決定は改めて現場に赴任したエージェントへと還元される仕組みだ。とりわけ珍しくもない、ラステラ連邦でも同じような施策が取られているくらいだ。



 外交戦略を決定づける指標となるデータが、この場所に保管されている。ある意味このサーバールームは銀行の金庫も同然の場所だ。当然出入りできる人間もごく限られた者しかおらず、ここでの粗相に対する国家からの叱責は尋常のそれではない。そんな場所に単身忍び込んだのだから、さすがのアーセムも冷や汗の一つくらいは浮かべる。しかし、立ち込める冷気が氷獄もかくやと、背中を伝う汗の軌跡を奪い去っていった。



「サーバールームに入った」

『よし、よし。ここまでくれば半分は成功みたいなもんだ。渡しておいたデバイスをコンピュータにつないでくれ。オーケー、ここから先は男のロマンの時間だぞレディース』

『いやだわ、汚らわしい』



 そのロマンとやらが一体何の比喩であるのかは大方見当はつく。秘密の部屋、人には見られたくない何か、それを強引にこじ開ける状況。要するに覗き、記録することも含めれば盗撮だ。そんなことの為に遥か雲の上からスカイダイビングしてきたとなっては、当人であるアーセムがやや不憫にも感じられるが、何と言われようがそれが任務なので、アーセムは黙って指示に従う。



『……おいおい、そりゃないぜ』

「今度はなんだ」



 間もなくして上がった悲痛なカリヤの声に、アーセムも苦悶の色を浮かべる。



『このロックも生体認証式だ。館長クラスか共和国政府担当の回収員じゃないとアクセス自体出来ない。玄関の前にもう一個ドアがある状態だ』

「どうすればいい」

『待て待て、落ち着け。ロックに使う生体認証は網膜スキャンと声紋認証だ。今日はサーバー更新日だし、あと五分もすれば担当の回収員がそっちに向かう。そいつがロックを解除したところに便乗すればデータ自体は問題なく抜き取れる。問題はそこからの脱出なんだが……』

「元来た道を戻るのじゃだめなのか?」

『ん、ああ。そうしたいところだけど、実はサーバー更新のタイミングは全館がオフラインになる。でその間の電力の供給は非常電源に切り替えるんだけど、そのスイッチが入ると館内のセキュリティもスタンドアローンに切り替わって、更新完了までの間一切の操作を受け付けなくなるんだ』

「…………」



 確かに、そういう仕様にする理屈は分かる。人の手が直接入るサーバー更新の時間は、タイミング的に最もデータ窃盗のリスクが高まる。それを防ぐために外部からの操作を一切遮断し、セキュリティシステムが強制的にスタンドアローンに切り替われば、いかなる工作も意味をなさない。加えてセキュリティの解除は限られた人物の生体認証。なるほど最高セキュリティの名前も伊達ではない。



「ちなみに、館内のネットワークがオンラインに戻るのにどれくらいかかる?」

『更新自体は五分もかからない。けどそこからオンラインに戻すのに6時間は自動メンテナンス状態になるから、その間そこは陸の孤島だ』

「さすがに、6時間も設備メンテする業者もいないよな」

『いないね、橋で本物を足止めしてる手前もあるし、レイヴァンはどの道退却させなきゃならない』

「どうしてサーバールームの情報を突き止めておかなかった?」

『突き止めたさ。エルズ共和国大使館のセキュリティについてはずいぶん前に調べ終えてたんだ。その時はサーバーのロック解除に生体認証なんて使ってなかった。いや待てよ、そういえばダクトの感圧センサーにしたって俺が調べたときの仕様からは変わってたな』

「今そんなことはどうでもいい。今問題なのは、データを取った後の出入り口が回収員たちが使うドアしかないという事だ。このままだと鉢合わせ覚悟の強行突破しか道がない」



 さすがのアーセムにも焦りの色が見え始めた。当初の目的であればこのままカリヤにプロテクトを破らせ中身のデータを持ち帰ってくる算段であったが、事前に調べていたものと今とで状況が異なっていたがために、計画の根底の部分が破綻してしまっていた。アーセムが言った通り、このままではエルズ共和国の回収員と鉢合わせになるのは明白だった。



『また便所に行ってもらうか?』

「バカを言うな。サーバールームを開けっぱなしにしてトイレに行くやつがあるか」

『だよね、だよね。分かってた。でもどうする、どのみち手ぶらでは帰れない』

「この場で解析するしかない。回収員が認証ドアを開けて中身の抽出を始めるのと同時にベッソンの情報だけを抜き取る。それが完了次第、回収員が入ってきた場所から外に出る。最悪ぶちのめしてでも脱出するさ」

『その場で解析? マジで言ってるのか?』

「出来るな?」

『…………」

「どうなんだカリヤ、時間がないんだ」

『……バーカ、俺を誰だと思ってる。そんなの朝飯前さ。ベッソンだけじゃなく保管されてるデータ全部を抜き取ってやるさ』



 オーライ、とアーセムは物々しく並び立つサーバーの一機にデバイスを差し込み、自身は物陰に身を潜める。

もうそろそろ、件の回収員がこの場に現れるはずだ。



『……来たわ、おそらくこいつらが回収員ね。胸にエルズ共和国の国章をつけてるわ。サーバールームまでおよそ二分半』

「了解、きっちりマークしろ。回収員の人数は?」

『外で運転手が一人待機、二人がサーバールームに向かってる。うち一人はおそらくドアキーパーね』

「バレずに抜け出すのはほぼ無理だな」

『いや、そうでもないぜ』



 アーセムとのやり取りにレイヴァンが割って入る。時間的にも彼は撤退の頃合いだ。今頃バンの中で待機してる事だろう。



『外に出たら車を爆破する。騒ぎを聞きつけて奴らも一人は様子を見に出てくるかもしれない。そうすれば後はアーセムと回収員の一対一だ。うまくいけば誰にも悟られずにそこから出られる』

「そうならなかった場合は?」

『邪魔者をぶちのめして外に出る』

「神に祈ろう」



 アーセムは息を殺してオペレーターたちの指示を待つ。何をおいてもまずは見つからない事。その他のことは一旦思考から放棄した様子だ。



 部屋の外から近づいてくる足音は徐々に大きくなり、回収員の接近をアーセムに報せる。こうしてじっと息を潜めていると、内から脈動する鼓動の音がやけに大きく感じ、ややもすれば外に漏れだしているのではないのかとさえ思う。



『来た』



 短く響いたカリヤの声はどこか震えている。緊張しているのだろうか。動揺してはいけないと判断したアーセムは無線を耳から外し、一時的に外部の情報をシャットアウトした。



 やがて扉の鍵が開き、中に入ってくる足音がひとつ。真っ暗な部屋の中で機材の隙間から伺える状況は限られているが、報告にあった通り二人組のうち一人はドアキーパーとして外を見張っている。おそらくその状況はアーセムよりもオペレーターたちの方がよく観察できているだろう。今にレイヴァンが外で花火を挙げるはずだ。あいにく時計は合わせていなかったが、タイミングを合わせるなら回収員が更新をかけるタイミング。つまり館内のシステムがオフラインになる瞬間だ。よって後四十秒で起爆するとアーセムは予想しただろう。



 かちかち、かちかち。胸の中で時計の針が時を刻む。機材を隔てた向こう側ではコンソールの開く音がする。今まさに回収員が生体情報の認証を行っているのだ。アーセムはデバイスが滞りなくデータをサルベージしている様子を、息を潜めて見守っていた。



 爆破まであと5秒、4、3、2、1……。



 瞬間、地鳴りとともに腹の底から突き上げるような爆音が外で響いた。予想通り、レイヴァンが仕掛けた爆弾が起爆したのだ。だが同じタイミングでシステムがオフラインになったため警報は鳴らない。少なくとも非常電源に切り替わるまでのわずかな時間、大使館はどことも繋がることのない陸の孤島と化していた。



「外で爆発のようだ。俺は様子を見に行ってくるからここを任せたぞ」

「ええ、お気をつけて」



 どうやらレイヴァンの打った博打は当たりのようだった。ドアキーパーをやっていた一人が足早に部屋から遠ざかっていく。となれば、後はカリヤの解析を待つだけ。データのサルベージが完了次第ここから抜け出す。そうすればこの任務は完遂となる。



 そう、そうなるはずだった。

 次の瞬間に投げられた一言によって、アーセムの見込みは完全に打ち砕かれた。



「やはり来ていたようだね、アーセム・レイン」

「…………ッ!?」



 それはきっと、アーセムが全く予想だにしていなかった展開だった。彼の名を呼んだのは紛れもなく同室していた回収員の男。その男が事もあろうか息を潜めていたアーセムに語りかけたのだ。どれだけ鋼の精神を持っていようとも、自身の想定外のところから虚を突かれれば誰もがこんな反応をするのは必定であったり



「君たちの任務は知っている。このサーバールームに格納されたとあるデータを回収する事。それは公国の軍部から持ち出された禁止兵器『トライデント』に繋がる現在唯一の手がかりだ」

「…………」



 アーセムの侵入を察知していたどころか、極秘であるはずの作戦情報までもが洩れている。この部隊に就いて以来、このような状況に陥ったことは一度としてない。それだけにアーセムにもたらされた衝撃はこれまで体験したことのないほどに強いものであったに違いない。



「なぜ作戦の情報が洩れているのか、きっと君は不思議に思っているだろうが、安心するといい。すぐにわかる。ほら、もういない振りをする意味もないだろう? 少し話をしないか? なに、今のままの格好で済む話さ」

「……お前は誰だ」



 このまま黙っているという手もあったのだろう。だが、ここまで来た以上データサルベージのこともお見通しだとアーセムは判断した。それならば、今は少しでも向こうの手の内を探る意味でも、アーセムは話に応じることを選択した。いついかなる時も任務を優先すればこその選択。そういう意味では、アーセム・レインという男は間違いなく一流だった。



「私は誰か……か。実に根源的な問いだ。なら逆に聞くが、君は己の唯一性についてどれだけの自信を持てる?」

「哲学のうんちくなら間に合ってる。私が聞いているのは、お前が何のためにこんな真似をしに来たのかという事だ」

「それはさっきも言っただろう。私は君と話をしに来たと」

「信じられるか」

「疑り深いな。まあ、確かにそれだけが目的ではない。そうだな、ひとつ種明かしをするなら、私は君と一対一で話をするためにこの状況を工作したということ」

「だから何のために?」

「真実だよ、アーセム・レイン」

「なんだって?」



 アーセムは話の意図を全く理解できなかった。だが、このやたらと超然的な物言いにはどこか覚えがあった。今のところ記憶の情景に霧がかかっているが、体のどこかがそれを記憶している。そんな気分に襲われていた。



「ただの真実ではない。内側の真実だ。私はそれを守るためにここに来た」

「さっきから訳の分からないことを」

「真実には表裏がある。人の信仰に基づく真実、信仰の外側にある真実」

「哲学の次は神学か。少しは自分の言葉で喋ったらどうだ」

「信仰とは便宜上のものだよ。要は見たいものを見、聞きたいことを聞く。そういった個々の主観に基づく解釈の事だ。世界にはそれを欺瞞となじる者もいるが、それでもこうして社会は回っている。それを享受する権利を守るために君も私も戦っている。私はね、アーセム。君に協力してほしいんだ。世界をやさしく包む欺瞞を守るための戦いに」

「それに答える前に、一つはっきりしていることを教えてやる。お前はエルズ共和国から派遣されたスタッフじゃない。なら本物の回収員はどこに行った? なぜ誰も気づかない? 簡単だ。本物の回収員はここに来る前に始末された。そいつの皮をかぶってここにきている奴がいる。お前のことだよ、ペテン師め」



 アーセムがこうも話を続けるのには理由があった。彼は男と話す間、外にいるオペレーターたちに向けて再度コンタクトを図っていたのだ。その様子は監視術式を通して見ていたカリヤ達にも伝わっているはずだったが、こちらからの発信に対して一向に応答する気配がなかった。

 しかし、それはカリヤ達にしても同様。彼らはアーセムの与り知らぬところで必死に状況を探っていたのだが、突如として大使館に放っていたスパイダーからの中継が途切れたのである。



「アーセム? おいアーセム! おいおいおいおい! いったい何がどうなってる! こっちからの通信が全く届かないぞ」

「千里眼も届かないわ……。監視術式が完全に遮断されてる」

「くそっ、次から次へと。まったく気味悪いぜ。さっきから誰かに先を越されてる感じだ……。おいレイヴァン! そっちはどうなってる」



 現場から300メートルほど離れた場所に駐車していたバンの中。怒鳴り散らすカリヤに応えるかのように後部座席のスライドドアが開け放たれ、作業員姿のレイヴァンがどかっと乗り込んできた。



「どうもこうも、こっちの通信にも全然応答しねえ。さっきの陽動爆破で大使館は厳戒態勢。もう外から近づくこともできねえよ」

「ったく誰だよ。バンを吹っ飛ばそうとか言ったのは」

「やめてよカリヤ、今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょう。とにかく今はアーセムを救出するしかないわ。ジャッキーを呼び戻して待機するわよ」

「そうだ、そういやジャッキーはどうした? 行動に移ったとかそういう連絡全然来てないぞ?」

「…………まさか」



 今回の作戦、ジャッキーだけが作戦区域から離れた場所で単独行動を取っていたが、その動向に関する報告は現時点で一つも来てはいなかった。仮にもし、ジャッキーが作戦から逸脱した行動を取っていたとしても、こちらに怪しまれないような工作をしないというのは不自然だった。

 であれば、考えられる状況はひとつしかない。



「カリヤ、レイヴァンと二人でジャッキーを探して」

「探すったって、この車出したら姉さんの足がなくなるだろ」

「少し離れたところに脱出用の車を停めてるから、私はそれを使うわ」

「……いや、それは使わない方がいい」



 どういうわけか、シンシアの提案にカリヤは首を横に振った。アーセムとは違う意味で、カリヤもまたこの作戦に対して違和感を覚え始めていた。



「この作戦、始まりからどこかおかしかった。排気ダクトの圧力センサー、つい最近になって導入された生体認証セキュリティ。まるでこっちの動きを牽制するみたいな仕様変更。こんなの事前に準備がなけりゃ無理な相談だ。秘密回線のはずのアーセムとのリンクも切られてるし。どう考えても向こうはこっちの動きを把握してる。俺たちが二手に分かれることも織り込み済みかもしれない」

「……つまり?」

「多分だけど、向こうの目的は俺たちを孤立させることだ。そして今現在、ジャッキーとアーセムとは完全に交信不可能だ。二人を探すために俺たちはどうあっても分かれて行動するしかない。そんなところに都合よく事前に手配されてた姉さんの車。それが本当に安全だって保障はどこにある?」

「…………」



 カリヤの仮説は限りなく確信に近い説得力があった。それを信用するのであれば、こちらが事前に用意していたもの全てが胡散臭い。それはこちらで用意した車ひとつとっても同様だった。しかし、現状ではジャッキー捜索用とアーセム脱出用、二台の車と運転手は外すことは出来ない。それでもカリヤはそれをよしとはしなかった



「とにかく、姉さんの車を使うのは危険だ。俺たちは別の足を探すから、姉さんはこのバンを使ってくれ。少なくともこいつは安全なはずだから」

「そっちはどうするの?」

「忘れちゃいないか? 俺は天才オペレーターだ。その辺の車のロック解除なんて朝飯前よ」



 カリヤがそう言うと、どこからともなくやってきた無人の車がバンの横に停車した。その手際の良さときたら、特にレイヴァンが目を丸くしていたが、そこはかとなく勝ち誇ったような笑みを浮かべるカリヤを見て納得する。



「ほんと、お前は天才だよ」

「呆れた……」

「いいだろ、これで条件は整ったんだ。じゃあ姉さん、アーセムを頼んだぜ」

「……分かったわ。そっちも気を付けて」



 無骨なエンジン音が騒がしく響き、カリヤとレイヴァンを乗せた車が明後日の方角へ去っていく。バンの中にはたった一人取り残されてしまう形になるが、こうなってしまった以上、後は互いにうまくやる他なかった。



「急いで、アーセム」



 しかし、こちらの状況を知る由もないアーセムは、相も変らぬ不毛な問いと対峙していた。



「それで……質問への答えは?」

「断る、ふざけるのも大概にしろ」



「内側の真実を守るための戦い」。そんな胡乱なものに与するつもりなどアーセムには毛頭なく、男の問いを一顧だにせず一蹴した。



「相変わらず、まっすぐな男だな。君は」

「……どういう意味だ。なぜお前が俺について語れる?」

「しらを切るのが苦手なのも変わっていない。なあ、アーセム。君も気づいているはずだ。既にここが隔離されていることに。君を助ける者がいない事にも」

「……これもお前の仕業か」

「ふふ、まあいい。君が後生大事に見守っているそのデバイスだが、そいつに君への要件をアップロードしてある。先ほど直接話すつもりだった『協力してほしい事』の概要だ。あいにくこちらも少々状況が変わったものでね。こんな形で話すことになってしまって申し訳ないと思っているよ」

「待てっ!」



 アーセムは敵前に姿を晒さんばかりに体を強張らせていた。同時に理性が彼に働きかける。今この場で動いてはならないと。これまでの状況からして、今機材越しに話している者は相当に狡猾な男である。感情に任せて飛び出した先で罠にはまるのは明白だった。それを言外に物語っていたのが、先ほどからアーセムの足元で時を刻む電子パネル、その先に繋がる爆弾の起爆装置だった。そしてそれはわずかな電流でも回路がショートし、安全装置が外れて即座に起爆するよう細工が施されていた。そう、あの男はアーセムの名前だけではなく能力も把握していることになる。故に、アーセムは迂闊にその場から動くことが出来なかった。



「君が優秀でよかった。そう、その爆弾は君では解除できない。お仲間のカリヤ君なら何とかなるかもしれないが、それを待つほど君も愚かではないだろう。つまり、今それを解除できるのは私一人だ。それが何を意味するかは分かるね?」

「悪いが、こんなもので俺を好き勝手出来るとは思わないことだ」



 アーセムが挑発で返すと、男はまた愉快そうに笑った。

 まるでケアレスミスをした生徒をたしなめる教師のような声、哀れみさえ感じさせるやわらかで静かな口調だった。



「まさか、そんな風には思っていないさ。これはいわば体のいい保険。この話が万が一にでも外に漏れたりしないようにね。君たちにはなじみある措置のはずだ。このメッセージは確認後、自動的に消去される。ってね」

「まさか、この建物ごと消し去るつもりか!」

「設備メンテナンス業者を追っ払い、警備員も無力化。中にいた人員も外のバンを爆破したことで大方出払ってる。死者が出る心配なんてしなくてもいい」

「ふざけるな、そんな理屈が許されるか!」

「ならばそこで大人しく待っていればいいさ。仲間が助けに来るのが先か、警備に見つかって全てが台無しになるのが先か。私はどちらでも構わないが、君はどうかな?」



 男は見透かしたような声色でアーセムに問う。それを腹立たしく思うのか、悔しく思うのか。いや、あれはその両方だろう。彼とてここまで屈辱的な出し抜かれ方をしたのは初めてのはずだ。

 認めざるを得ない、自身の敗北を。しかし、それでも尚アーセムは揺れていた。そこに生じたわずかな隙を男は決して見逃さぬとばかりに、とどめの一言をアーセムに浴びせかける。



「そうだレニー、最後に一つ言い忘れていたよ」



 これまでのそれとは打って変わり、男は明確な悪意を持ってアーセムに言った。

 囁くように、しかしこれ以上ないほどにはっきりと。



「ジャッキーは私にとっても妹のような存在だ……。できれば殺したくはない」



 その瞬間、アーセムの中からあらゆる選択肢が消え失せた。

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