第2話:嵐の前触れ




「お早いお着きで、エージェント・レイン」

「離陸まであと10分ある。遅刻じゃない」



 集合待機時間から一分ほど遅れて到着したアーセムに、さっそくカリヤの嫌味が飛んでくる。すでに待機していたのはカリヤを含めた四人。平均的な身長のカリヤと並べると分かりやすく大柄で毛むくじゃらな男が一人読書に耽り、その隣にはボーイッシュなショートカットヘアを、猫を思わせる所作で掻く若い女が小柄な体を机にもたげている。



 奥では銀髪にフォックススタイルの眼鏡をかけた細身の女性が、自身の装備に不備がないかをやや惰性的にチェックする様を、全身鏡がくまなく反射していた。そんな、どこか退屈気に醸される雰囲気が、アーセムが最後に到着したという事を言外に物語っていた。



 ラステラ連邦北部、カームブリッジ。先ほどアーセムが滞在していたヨシュアシティのセントラルターミナルから伸びる高速道路を車で一時間ほど飛ばした先にある閑静な田舎町だが、そのすぐ近くには連邦の軍が所有する演習場がある。なので、ここからならどのタイミングで輸送機を飛ばしても周囲の住民からは軍の演習にしか見えず、緊急で国外任務に就く際は重宝される。



 といえば聞こえはいいが、実際には秘密部隊という政治的に見れば暗部に当たる組織にお偉方が予算を回すのを渋っているのが現状であり、今にしてみたってこの作戦は表向きは存在しない組織の存在しない任務という扱いだ。



 搭乗する輸送機は熱光学迷彩を施したステルス機での離陸となるわけだが、これにしても配備されたばかりのプロトタイプ故、擬態の過程で外界から遮断した熱が機内に籠る。



 そのため内部は若干ムッとしており、この場所でじっと待つのはやや居心地の悪い空間ではあった。それもこれもケチくさい議会連中の煽りを食っての環境不備なのだから面白いはずもない。のっけからのカリヤの悪態には、そんな現場のエージェントの切実な嘆きが含まれていた。



 ──まあ仕事だからやりますが、仕事だから。



 他のエージェントと違い、公安とマフィアに追いかけられていたところを拾い上げられた身であるカリヤなりの義の通し方なのだろう。表情は不満そのものだが、そんな彼のあり方もなかなか得難いものだと思っていたアーセムは、あえてそこには触れずに話を切り出す。



「全員ファイルに目は通したな。今回の任務は公国大使館への潜入、および監視式の記録を消される前に手に入れることだ。潜入は僕とレイヴァンでやる。カリヤは大使館のプロテクトの解除、シンシアは千里眼で作戦区域の監視。ジャッキーは周辺の工作。何か質問は?」

「大使館への潜入方法は? 深夜帯とはいえ警備は軍事施設並み。それに大使館のメインシステムのセキュリティは外からじゃ開けられない」



 行儀よく手を挙げて発言をしたのはレイヴァン・アウローラ。大柄で毛むくじゃらなこの男がこうして手を挙げると獲物を威嚇する野獣のようだが、妙な愛嬌のある表情のままこの格好なので、どちらかといえば芸を覚えさせられたサーカスの猛獣という方が合っているのかもしれない。



「僕は空から通気口を通って入ればいいからいいとして、レイヴァンのそのガタイじゃ通気口を詰まらせてしまうな」

「清掃業者に見つかるのが先か、警察か軍のおっかないおじさんたちに見つかるのが先か。そんなチキンレースはごめんだよ」



 レイヴァンはアーセムの冗談を軽くいなしつつ、



「カリヤ、この時間帯で大使館にアポを取ってる業者はいないか? メンテナンス、清掃、工事。なんでもいい」

「あるよ。23時45分に設備メンテナンスの業者が来る。ただ入るには専用のIDの提示とセンサーによる持ち込み検査がある。ID偽装は俺の方で何とかなるけど、ていうかもう終わったけど」

「身体チェックがあるって事は、欺瞞装置ジャマーの類をバンに載せてセキュリティを誤魔化すのは無理って事だ。まあ別に意外でもなんでもないが」



 ぼりぼりと顎を掻きながら、のほほんとした胴間声でレイヴァンは応えたが、その後カリヤが慌てた声音で追加の情報を付け加える。



「それもそうなんだが……いや待て。そもそも通気口は感圧式センサーが動いてるからセキュリティを解除しないと入れないっぽい」



 話をするついでにひっきりなしにホロヴィジョンを操作しながら、カリヤは次から次へと問題点を挙げてくる。作戦においては現場の管理者としての役回りが多い彼ではあるが、そんな彼を悩ませるのは決まりきったルーチンではなく飛び入りの仕事である。それを乗り越えていこうと思うなら否が応でも先読みの能力が必要になってくる。電子のコンソールが中空に映し出すヴィジョンと術式を解析する魔導式の陣が十重二十重とえはたえと入り乱れ、それをあっちにこっちにと移動させているカリヤのその様はまるで指揮者か羊飼いのようであった。



「結局、どの道誰かが正門を通らないとこの作戦は始まらないってわけね」

「そういう事ですね、シンシアさん」



 相槌を打ったジャッキーことジャクリーン・ガストはさらに続けて、「少なくとも作戦開始時刻から十五分間、本物の設備屋さんはどこかで足止めする必要がありますね」



 ジャッキーはそれから共有パネルに表示された地図を指さして全員の注目を促す。まもなく表示されたのは何かの動線を示す線であった。



「これは今日訪問予定の設備屋さんが最も頻繁に使うルートです。大使館前を通るこのルートに来ようと思ったら必ずこの大橋を渡らないといけません。で、この橋ですが、老朽化が進んでちょっとした強風ですぐに通行止めになります。足止めをするならこの辺がいいのではないかと思います」

「ジャッキーがやってくれるのか? 橋を揺らしてくれんのかね」



 ほんの意地悪を言うつもりでカリヤは問うたつもりなのだろうが、ジャッキーは「はいっ」とあっけらかん。至極当たり前のように頷き、考える素振りすら見せない。



「まあ、私がやるのが一番手っ取り早いかもしれないですね。私の魔導式なら一時的にも警報を作動させる出力の風を起こせます。設備屋さんが来る直前で通行止めのゲートを閉じて、時間を稼ぎましょう。実際に風を起こすのでリアリティも出せますしね」



 お、おう。とカリヤはバツ悪く承服。それを横で見ていた他の者はにやにやと笑みを浮かべた。人をからかうのが好きなカリヤとまじめ故にどこか天然気味なジャッキー。二人の会話は噛み合っているようで絶妙に噛み合っていなかったが、作戦上の認識に関しての祖語はないので、何も言わずに黙っている。そんな不穏な空気を知ってか知らずか、カリヤは大きく咳ばらいをした。



「ま、まあ、ここまで御膳立てが揃ってるなら後は楽勝さ。業者に成りすましたレイヴァンがゲートを通過して中に入り、設備パネルを操作して館内のセンサーを止める。その間にアーセムが通気口を伝って館内に侵入。データ保管室からパッケージを回収して元来た道を戻って帰る。一丁上がり」

「私の仕事はなさそうね」

「いやいやシンシア姉さん、あんたには現場の目になってもらわなきゃ困るよ。大事な仕事さ」

「冗談よ、いつも通りやるわ」

「さすが、頼りになる」



 解決を糸口を見つけたのかカリヤは饒舌だ。実際に現場に潜り込むのはアーセムとレイヴァンだという点はまるで度外視しているかのようだ。それが信頼の証であるのならば悪い気はしないが、だからと言って過大評価されても困るというのがアーセムの率直な感想ではあったが、それは言うまい。



「よし、では行こうか諸君。我らはナイトフォッグ、掴み処無き者。君たちの最高の仕事に期待する。くれぐれも本物のゴーストにならぬよう願う」

認知されざる作戦ゴースト・プロトコルだけにな」



 ここで茶々を入れたのはまさかのレイヴァンであった。カリヤの熱に浮かされたのだろうか、レイヴァンの時たま見せるユーモアに口上を挙げた直後のアーセムも思わず破顔した。しかしながら、いずれにしてもアーセムをはじめとした彼らナイトフォッグの面々は数多くの極秘任務を完遂した歴戦のエージェントである。その点、これまで彼らがこなしてきた任務に比べれば、今回の任務の難易度は特筆するほど難しいものではなかった。それはこの場にいる誰もがそう思っていただろう。



 しかし、それがこの先に待ち受ける苦難のほんの前触れに過ぎないという事など、彼らには全く知る由もなく、五名を乗せたブイトール機も素知らぬ顔でエンジンを回し、遥か公国の空に向けて飛び立っていくのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る