第5話 畏怖と安堵と

「えっマジ」

「ああ、本当だとも。そんなに気になるなら今見てみるか?」


 飛び出した予想外の言葉に思わず食い付いてしまった。そんな俺のリアクションに驚くこともなく、こともなげに返しを発する玉肌の少女。


 数千年以上生きた古代龍種。

 うん、何だそれは。


 その単語からは何だか強そうで凄そうというイメージしか湧いてこない浅学な俺だが、逆に言えば、そんな俺でも強そうで凄そうだということは理解出来る。

 そもそもがさっきいきなり魔法をぶっ放されたわけだしな、超常の存在であることは疑いようがないだろう。そのレベルが更にぶっ飛んでいたというだけで。


 そしてそんな存在が目の前に居て、気になるかと問われれば。


「あ、はい。お願いします」


 そんなもん気になるに決まっている。

 思いの外するりと、俺の答えは口から滑り出していた。


「うん、素直なのはいいことだ」


 この世界の人間が普通に魔法を使えるのかも含めて、まだまだ分からないことだらけではある。

 だけどドラゴンだぞ、ドラゴン。見てみたいに決まってるだろうが。三十路のおじさんとは言え俺も一人の男の子。ファンタジー世界に寄せる好奇心を侮るでないわ。


「じゃあ、ちょっと離れていてくれ。本来の我は大きいのでな」

「こ、これくらいですか?」


「あー、もうちょっと下がってくれ」

「……この辺りでしょうか」


「いや、もっとだ」

「は、はあ……」


 もっとかあ。予想より大きそうだな。

 そりゃまあドラゴンというくらいだから、小さくはないのだろう。しかし、当然の話ではあるが俺は実物の龍を見た事がない。あくまで架空の存在としての知識を持っているだけだ。


「うん、大体それくらいで大丈夫だろう」


 先ほどよりも大きく下がった俺を見て、ヴァンは満足そうに頷いた。


 しかし、実際のドラゴンってどんな感じなんだろうな。アニメや漫画で見るものとはやはり質感から何から異なるのだろう。

 勿論、現状に対する不安はあった。あったがしかし、その興味を殺すにはあまりにも荷が勝ち過ぎていた。


「うわっ」


 ヴァンから距離を取った直後。彼女が一瞬目を瞑ったかと思えば、途端に周囲を大量の黒いモヤが覆い始める。

 そのモヤが徐々に形を成して行き、完全にヴァンを覆い尽くした矢先。


「…………あ、うわ……あ……」


 全長十数メートルはあろうかと思える、巨大な黒龍が本来彼女の居た場所に座していた。


 舐めてた。

 ドラゴン舐めてた。


 その姿は、凡そは架空の世界を舞台とした作品のイメージと大差ない。

 全身をくまなく覆う漆黒の龍鱗は、洞窟の中にあってもその神々しさと力強さを失っていない。圧倒的な佇まいからは、先ほど魔法を見せられた時とは比べ物にならない圧力を否が応にでも感じる。

 人間体の時と変わらない深紅の双眸は、瞳の奥から覘かせる叡智を湛えた光までもがそのままだ。恐らくヴァンとしてはただ俺を見ているだけなのだろうが、その眼光には思わず膝を折ってしまいそうになる。

 何より、現実として目に映るそれの力強さは漫画や映像作品の比ではない。正しく今俺は、超次元の存在と邂逅していた。


 端的に言って、恐怖しか感じない。

 俺は、こんなモノと普通に会話をしていたのか。


 放心状態に陥っているところで、ヴァンがその巨体を動かした。

 正確に言えば俺の方へ首を動かしただけだが、凶悪と表現する外無い異形のかんばせが更に近付き、間近で視線が交差する。


「ひっ!」


 悲鳴とも取れない声が漏れ出て、情けなく尻餅をつく。

 足がさっきから震えっぱなしだ。


 死ぬ。

 これは死ぬ。このままパクリといかれるやつですわ。

 グッバイ俺。悔いしかない人生だった。また来世で会おう。


「どうだ? 古代龍種を見た感想は」

「……え……あっ……。ははっ……声は変わってないんすね……」


 巨大な図体からは想像も付かない、耳によく通るソプラノが響く。

 見るからに最強そうな見た目から飛び出す、想定外の音色。そのギャップがあまりにも大き過ぎて、おかげかせいか一周回って徐々に頭が冷えてきた。


「く、食われるかと思いました……」

「ははは、心配しなくてもいい。君を食らうつもりなら最初からそうしている」

「ヒエッ」


 こわ。

 その姿で言われても微塵も説得力がないんですけど。


「ははは、悪い悪い。驚かせ過ぎたか?」


 言いながらヴァンは、先ほどと同じように黒いモヤを全身に纏う。

 数瞬後にそのモヤは霧散し、少し離れた場所に見慣れたワンピース姿の少女があった。


「は、はははは……」


 冗談きついぜ。

 そう笑い飛ばすことが出来ればどれだけよかったか。

 尻餅をついた姿勢のまま、乾いた笑いが木霊する。


 ヤバい、完全に腰が抜けてしまった。立てん。


 しかし、目の前の少女がただの人間ではなく、それどころか危険極まりない超弩級の生物だと分かってしまった以上、早々失礼な態度は取れない。少しでも機嫌を損ねたら即アウトだ。漏れなく俺の首が飛ぶどころでなく存在が消し飛ぶ。


 流石にそんな死に方はしたくない。

 これは全身全霊でもって真摯に対応せねばなるまい。大企業のお偉いさん相手なんかとは比較にもならないプレッシャーだ。早くも胃が痛くなってきた。


「こ、このようなひっ卑小な身に多大な恩情を頂きまして、こ、此度は……」

「……うん?」


「か、感謝に堪えません……こ、今後とも何卒……」

「あー、あー。待てハルバ。少し待て」


 座り込んだまま、慌てて態度を改める俺にヴァンは少々の焦りを見せて近寄ってくる。

 畏まった俺に対して彼女がとった行動は、抱擁だった。


「えっ、ちょ、あの」

「驚かせてすまない。我は何も、君を恐怖に陥れたいわけじゃないんだ」


 ぽんぽん、と。彼女は俺に優しく語りかけながら背中を叩く。それは決して力強いものではなくて、慈悲と慈愛に溢れているように感じられた。


 見た目中学生の女子に慰められる三十路のおじさん。きつい。

 しかもなんかドラゴンなのにめっちゃいい匂いする。癒される。


「いや、はあ……はい……」


 密着された状態のまま、俺はなんとか声を絞り出す。


 人間体での身長差で言えば俺の方がかなり高いものの、へたり込んでいるためにヴァンが俺に覆い被さるような構図となっている。自然とヴァンの顔を見上げる形になっているのだが、至近距離で見たら見たで本当に美人だ。

 多分、普通なら大いに喜びを表現すべきシチュエーションなのだろうが、ところがどっこいそうは問屋が卸さない。はっきり言って恐怖と混乱の度合いの方が遥かにデカい。そもそも俺はロリコンじゃないし。


「出来ればそう畏まらず、普通に接して欲しいんだけどね」

「あ、それは無理です」

「おや、即答。何故だい」


 うん、無理。

 時を挟まず一瞬で答えを導き出した俺に、ヴァンはその可愛らしい顔をこてんと傾けて疑問を呈する。だが、そこに焦りや疑念の色はない。つくづく大きいと感じる。いやまあドラゴンだし当たり前か。


 いくら社長に「今日は無礼講だ」と言われても、いきなり「チョリーッス!」と話しかける従業員は居ない。

 別に俺とヴァンは労働者と使用者の関係じゃないが、ここには法律などを遥かに超越した力関係が存在してしまっている。俺なんぞでは逆立ちしたって彼女には勝てない。そんな超常の存在に対してフランクに接するなど、簡単に出来るわけがなかった。


「流石に、格の違いというか、何というか……そういうものが」

「むう」


 思ったことを素直に口にすれど、彼女は少々納得が行かない様子。どうしろってんだ。


「じゃあ、こうしよう。気兼ねなく接してくれないと我が機嫌を損ねる」

「……それは一種の脅迫というものでは」


 詰みゲーにするのをやめろ。


「そうだ、我のことを娘か何かとでも思えばいいのではないか? 人間の親子という関係は、実に親しい間柄なのだろう?」


「確かに、一般的にそうだとは思いますけど」


 どうもヴァンは、フランクに接することに対しこだわりを持っているように感じる。その理由までは分からないが。

 かといって、はい分かりましたと即座に切り替えられる程俺のデキはよくなかった。特にあの本体を見た直後でそこまで割り切れるほど、俺のメンタルは図太くはないのだ。



「パパ」

「ンッフ」


 変な声出たやんけ。やめーや。

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