最終話 そうか。僕はきっと、ずっと。

 先輩を誘った。星を見に、新月の夜を選んで。


「来てくださってありがとうございます」


 丘へ向かうバスの中、先輩に笑顔を向ける。返ってくる微笑。瞳の中には、柚香ゆかが居る。

 煌々こうこうともる電気に白く照らされた先輩の微笑は、そのまま消えてしまいそうなほど儚かった。


 バスを降りて、星が見える丘まで歩いて行った。外灯もなく街の明かりも届かない暗闇をスマフォのライトが切り開いていく。丘の頂上は木々がなく、夜空は明日まで見えるくらいに大きかった。


「本物の星空は違いますね」

「そうだな」

「でも先輩は今もプラネタリウムを見ています」


 星空はいずれ明ける。けれどプラネタリウムは見続けようと思えば永遠に朝を迎えない。


「どういうことだ?」


 最初は安瀬見あぜみと別れさせさえすればいいと思っていた。それから距離を置いて会わなくなればいいって。だけれどそれだと、先輩はいつまでも先輩を責め続ける。


「先輩の失恋の原因を作ったのは」


 星空を見せる。


「このなんです!」



 月明りもない草原を走り去った風が、さらさらと音を残していった。


「安瀬見と別れてほしくて、女装して近付きました。二人で居るところを見られれば、浮気を疑われてフラれると思って。すべて僕が思い描いたとおりになりました! だから先輩はなにも悪くない! 悪いのは僕です! 責めるなら自分じゃなくて、僕を責めてください! 僕を叱ってください!」


 ああ。


 こんなときに涙が溢れ出てくるだなんて、僕は卑怯者だ。先輩がやさしいのを知っているのに。先輩、こんな僕をどうかぐちゃぐちゃに痛めつけて。


 けれど先輩は僕の肩を抱いて、胸に寄せた。


「え」

 どうして?


「あの、先輩。僕ですよ? 柚香じゃあないですよ?」

「そんなこと、わかっていたさ」


 先輩の言葉に理解が追い付かない。


「ええ!? そんなまた! わかっていたって、いつから……!」

「確証はなかったけどな。なんとなくそう思ったのは、一緒に買い物しているときに聞いた好きな食べ物や嫌いな食べ物が同じだったのと、そうなるに至ったエピソードが完全に一致していたところだ。お前、嘘吐くの苦手だろ」

「うっ」

「出会ったときも不思議だなと思ったんだ」

「そんなときから!?」

照里てるさと柚香ゆかって、柚笠ゆかさ輝斗てるとのアナグラムだろう? そのときはこんな偶然もあるんだなと思っていたよ。それに」

「まだあるんですか!?」


 先輩は胸から僕を引き離すと、僕の顎に指を当てて持ち上げた。視線が交わる。


「あんなに素敵な笑顔が出来るのは、輝斗以外に知らないんだ」


 胸が痛いほど震えた。ドキドキを越えて、ズキズキと脈を打つ。


 先輩は僕のことをこんなに見てくれていたんだ。


「実際お前から明かされるまでは確信を持てなかったから柚香さんとして接してはいたけどな。でも、ここまで必死になって別れさせたのはどうしてだ?」

「先輩に幸せになってほしくて……。でも、不幸にさせちゃいました」

「そうだな」


 春の夜とは思えないほど、冷ややかな風が頬を撫ぜた。


「だから責任を取って俺と付き合え」

「あ、はい。それはもちろ——」

 ん!?


「え?」

「好きになってしまったんだ。仕方ないだろう」


 暗くて先輩の顔色はわからないけれど、多分赤い。声が震えていたから。


「それは、その、嬉しいです。と言うか、僕も先輩のことは好きですよ? でもそれは恋愛的なものじゃあなくて」


 そうは言ってもドキドキは止まらない。多分僕はこの人が好きだ。でもいつから。わからない。


「俺に幸せになってほしくて、女装までしたんだ。ならそれは愛だろう。もう恋する必要なんかないんだよ」


 そうか。僕はきっと、ずっと。


 先輩に幸せになって欲しい。それが僕の望み。先輩が僕と付き合って幸せになれるなら、それ以上に嬉しいことなんてないんだ。


 先輩の顔がだんだん近付いてくる。え。待って。これって。


「あ、あの! お付き合いしますけど、でも、こういうのはまだ。心の準備をさせてください!」


 先輩は、はははっと笑い飛ばして、僕の頭に手を置いた。


「そんなかわいいくせして、キスもさせてくれないのか。ズルいぞ」


 そうやって儚げに笑われるとほだされてしまう。きっと唇も許してしまう。先輩の方がズルい。


 先輩は空を見上げた。そうして滔々とうとうと語りだす。星々の名前を、まつわる神話を。その横顔をじっと見る。僕は結局本物の星空の下に居たって先輩の瞳の中の宇宙を見ている。大切なのは先輩が星空を見上げているという事実だから。


 先輩が空を指す。僕の顔が動かないことに気付いたのか、こちらを向いて笑った。


「またぼーっとしてるな」

「先輩のこと考えてました」

「そうか」


 儚げに笑う。


 こんなふうに月明りのない方が見えるものがある。星空と心。

 それとは逆に、唇はどれほど近付いても見えなかった。だから見るのを諦めて目をつむった。


 なんて。見えないフリをしていただけだ。僕はやっぱり嘘が下手で。先輩もそれは気付いていて。


 それでもいい。大切なのは、先輩が好きな子とキスが出来たという事実なのだから。

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先輩のために僕、男の娘になっちゃいました! 詩一 @serch

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