第34話 なんだよそれ


 お姉ちゃんとのお風呂。もうすっかり諦めていた宿願だ。

 佐倉さんと色んな作戦を実行して、なんとかお風呂に入ろうと奮闘していたけれど、どれも失敗に終わって、むしろ逆効果となって、頑なに拒否されるようになってしまった。

 にもかかわらず、お姉ちゃんからお風呂に入る提案をしてきたではないか。

 なんという奇跡だろうか!


「ふんふふーん」


 浴槽にお湯をはり、お風呂の準備をする最中も、思わず鼻歌をうたってしまう。

 ぼくは一緒にお風呂に入れると分かっただけで有頂天だけど、お姉ちゃんはまるで元気がない。


「お姉ちゃん大丈夫かなぁ」


 お姉ちゃんの急な変貌の理由ははっきりしてる。武田が佐倉さんに告白したと勘違いしたせいだ。普段のお姉ちゃんなら、こんな提案をすることは決してなかった。かなりのショックを受け、まともな状態ではないということだ。

 お姉ちゃんの弱みにつけこんで、自分の願いを叶えるなんて酷い弟だと思う。


「でも、だからこそ、お風呂に入るべきだ」


 ぼくの願いは姉弟で一緒にお風呂に入り、赤裸々に語り合うというものだ。裸になり、なにも隔てるものがなくなって、温かいお湯につかって身も心も温めることで、普段なら話せないようなことも話し合うのだ。

 お風呂でこそ、ぼくの言葉はより一層、お姉ちゃんに伝わることだろう。

 落ち込んでいるお姉ちゃんを慰めることも、佐倉さんに告白したというのは勘違いだと諭すことも、そして再度勇気を出すように促すことも、どれも全てお風呂で行えば、より一層効果的なものになる。

 テレビで見たものと同じだ。一緒にお風呂に入り、娘が悩みを父に相談し、それを父が真剣に答えることで、二人の絆がより一層深まっていた。まさに今のぼくたちの状況と同じだろう。

 今こそお風呂に入るべきときなのだ。

 お風呂で悩み相談だ!


「お風呂沸いたよ」

「ん? あぁ……風呂入るか」


 お姉ちゃんはリビングのソファーに横になり、両目を腕で覆っている。いつも夕方はテレビを見ているのに、今日はなにも見る気にならないのか、テレビはついていない。

 呼びかけると覇気のない返事をしながら、のそのそと浴室へと向かう。


「ほんとに一緒にお風呂に入ってくれるの? あれだけ嫌がってたのに」

「それが孝彦の望みなんだろ?」

「うん」

「あたしは孝彦の望みを叶えたいんだ」


 直前になって、冗談に決まってるだろってチョップされないか不安になって、本当に一緒に風呂に入るのか確認したけれど、やはり本気のようだ。

 ほんとに良いのかな……?

 実際に入れるとなると、少ししり込みしてしまう。


「ぼーっとしてどうした?」

「なんでもない。早くお風呂入ろう!」




    ◆




 先に入ってろと言われたので、ぼくは一足先にすっぽんぽんになってお風呂につかっていた。

 浴室の半透明の扉に浮かぶシルエットが、お姉ちゃんが服を脱いでいる姿を映し出している。そしてようやく脱ぎ終わったのか、扉に手をかける。

 ついにこのときが来たのだ。待望の瞬間だ!


 ガラガラと折れ戸が開き、裸のお姉ちゃんが姿を現した。

 左右の腕でそれぞれ胸と股間を隠している。どうやら恥じらいがあるらしい。

 ぼくはため息をつく。


「やれやれ」

「貧相な身体で悪かったな」

「お姉ちゃんは世のチンポ野郎たちが見たらきっと興奮する身体をしていると思う。ぼくが言いたいのは、姉弟なんだから隠す必要なんてないってことだよ」


 お姉ちゃん自身が思っているよりもずっとお姉ちゃんは魅力的だ。佐倉さんみたいにすごい巨乳という訳じゃないけど、胸だって大きい方だ。ハンドボールをやっているからか、お腹周りはスッキリしている。出るところは出ている痩せ型って感じだ。


「恥ずかしいし」

「姉弟なんだから、別に恥ずかしくないでしょ」


 ぼくはお姉ちゃんの弟なので、裸を見たところで興奮はない。あるのは、ついにお姉ちゃんとお風呂に入れるという喜びだけだ。だから、裸を見ても、見られても、特に何とも思わない。


「そんなに裸が見たいのか?」

「えっ?」

「分かった。孝彦が望むなら、全部見せる」


 うんうん。

 ついにお姉ちゃんも全てをさらけ出す気になってくれたようだ。きっとぼくの愛が通じたのだろう。


「あたしの身体を好きにして良いから、恭子よりあたしを選んでくれ」

「……は?」


 ウキウキしたぼくの胸中は、お姉ちゃんの発言によって一気に下落する。


「血の繋がった家族がこんなこと、本当はダメだと思う。でも……それでも、孝彦があたしを選んでくれるなら。あたしは恭子に叶わないけど、せめて孝彦だけはあたしを選んでくれ。そのためならなんだってする。孝彦が望むこと、全部」

「……なんだよそれ」

 

 最悪だ。ぼくの独り合点だった。

 落ち込んだお姉ちゃんが、お風呂でぼくに辛い気持ちをぶちまけて楽になるために、お風呂に入ろうと提案したのだと思っていた。

 今、お姉ちゃんがどれだけ辛いのかは、ぼくには想像もつかない。でも話し相手として求められているなら、精一杯役割をこなすつもりだった。


「ぼくがえっちなことを目的にして、お姉ちゃんとお風呂に入りたいって言ったと思ってるの?」

「あぁ、そうだ。だから私は――」


 決意をこめた顔で、身体を隠していた腕を下そうとする。

 浴槽につかっていた僕は、慌てて立ち上がり、お姉ちゃんの両腕を掴んだ。


「ふざけんな! ぼくはそんな邪なことのためにお風呂に入ろうとしたんじゃないよ!」


 お姉ちゃんの意図はぼくが望むこととは、正反対のものだ。

 最悪だ。弟であるぼくをバカにしてる。


「そう……なのか?」

「前からずっと言ってるでしょ! 姉と弟が、血の繋がった家族の2人が、お風呂で裸になって、互いのことを赤裸々に語り合うためのもので、そこに性的な思惑は一切ないの!」


 お姉ちゃんは武田にふられたと勘違いして自棄になって、誰も彼もがお姉ちゃんより佐倉さんを選ぶと思い込み、それでも唯一弟たるぼくだけは自分につなぎ止めようとした。以前から言っていたぼくの願いを、一緒にお風呂に入るという願いをかなえることにした。

 ――ぼくが性的な興味でお風呂に入ろうと言っていると思い込んだまま。


「お姉ちゃんにはガッカリだよ」


 佐倉さんへのコンプレックスを拗らせているらしいけれど、拗らせ具合が半端じゃない。

 お姉ちゃんは常識人だ。まともな状態なら性的な目で見ていると思っている弟相手にお風呂の提案なんてしない。お姉ちゃんの抱えるコンプレックスは、それほどまでに強烈なのだ。


「そんなことしなくても、ぼくの一番はお姉ちゃんだよ。何があっても変わらない。お姉ちゃんに恋人ができて、いずれは結婚する。ぼくにも恋人ができて、いずれは結婚する。それでも、ぼくにとっての一番はずっとお姉ちゃんだ」

「孝彦……」


 ぼくが弟であること。お姉ちゃんが姉であること。それは死ぬまで、いや、死んでからも変わらない事実だ。


「そもそもお姉ちゃんは本当にフラれたの?」

「あぁ、あたしは見た」

「勝手に思い込んで悲観してるだけじゃないか。どんな状況で佐倉さんに好きって言ったのかも分かってないんでしょ? まだお姉ちゃんは告白もしてないし、フラれてもいない」

「でも、あたしは恭子に勝てないし……」


 またウジウジしてうつむき始める。

 佐倉さんは確かに素敵な女性だ。ぼくが最も魅力を感じる女性だ。比較して落ち込んでしまうのは仕方のないことかもしれないけれど、だからといって今この場で足踏みしたり自棄になっていい理由にはならない。


「いい加減にしてよ!」


 背伸びして、うつむくお姉ちゃんの頭にチョップした。

 突然のチョップに驚いて、お姉ちゃんは両手で頭をおさえる。結果として、腕があがってしまい、隠していた身体がすべて露になった。でも、そんなことには興味がない。


「家でメソメソすらなら、ちゃんと告白してフラれてからにしてよ。今のお姉ちゃん、すっっっごくかっこわるい」


 お姉ちゃんには、ぼくとお風呂に入ることよりも先にやるべきことがある。今すぐ風呂から出るように促した。

 それでもなお、ためらいを見せるお姉ちゃんに叱咤する。


「武田の家は分かるの?」

「あ、あぁ。まぁ一応知ってるけど」

「それなら今から行ってこい! クッキー渡すまで帰ってくんな!」


 背中に思いっきりビンタをして、お姉ちゃんをお風呂からたたき出した。

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