第25話 帰宅

 すっかり暗くなってしまった。

 さっきまで夕日が綺麗だと思っていたのに、あっという間に日が落ちる。

 そろそろ帰らないといけない。

 ぼくたちは高そうな車に乗って家へと向かう。

 メイドさんが運転し、ぼくと佐倉さんは後部座席に並んで座った。


「ペン太、ありがとう」


 水族館のショップで買ってもらったペンギンの人形を胸に抱きしめる。

 もちろん名前はペン太だ。


「もの欲しそうにしてたからねぇ」

「うっ……ごめん」

「謝らないでいいよ。むしろこれくらいさせて」

「でも、結構高かったし」


 ペン太人形の値段は2000円だ。

 中学生のぼくはアルバイトもできないし、自分の自由にできるお金は多くない。水族館の入館料で、既に予算は使い切ったようなものだ。

 それに加えて人形を購入するのは、さすがにためらいがあった。


 親は仕事で海外にいて、家に住んでいるのはぼくとお姉ちゃんの2人だ。親からの仕送りで暮らしている。

 家計の面でお姉ちゃんは頼りにならない。浪費するタイプではないけど、お金の管理をできるタイプでもない。ぼくがしっかりと収支を管理する必要がある。

 だから、ペン太人形には手がでなかった。


「ほら、私お嬢様だから気にしないでいいよ」


 佐倉さんはお嬢様だ。

 高級車でメイドさんがお出迎えしてくれている。とんでもないお金持ちであることは明らかだ。

 彼女がお嬢様であることは隠すようなことではないし、本人も隠していない。

 でも逆に、お金持ちであることをひけらかすこともない。わざわざ自慢したりはしない。それなのに佐倉さんはあえてお嬢様だと口にした。

 ぼくが負い目を感じないように、気をつかってくれているのだ。


「佐倉さんと対等な関係でいたいんだ」

「ふふふ、ありがとう弟くん。その気持ちだけで嬉しい」


 佐倉さんがぼくの頭を撫でた。

 手慣れたお姉ちゃんの乱暴なものとは違って、繊細なものを扱うかのように、そっと触れるようにして撫でている。

 少しぎこちなさも感じるけれど、不快感はまったくない。

 こども扱いされて悔しくてペン太を強く抱きしめる。

 でも、佐倉さんの手は気持ちよかったので、されるがままになるのであった。

 しばらく撫で続けて満足した佐倉さんが提案する。


「じゃぁかわりに次のデートでなにか奢ってよ」

「またデートしてくれるの?」


 今日のデート、ぼくはダメダメだった。失敗ばかりで、佐倉さんに良いところをなにも見せられなかったように思う。それでも、本当にまたデートしてくれるんだろうか。

 佐倉さんは悪戯な笑みを浮かべながら、ぼくの太ももに手を置いた。


「ひゃっ!?」


 驚いて変な声をあげてしまった。

 車の後部座席に並んで座っているし、シートベルトもしめているから逃げられない。

 

「弟くんは、またデートしたい?」


 頭を撫でられたときとは全然違う。

 ここちよい安心感ではなく、もどかしい緊張感だ。

 心臓が、まるでわしづかみされているみたいにバクバクと脈打っている。

 つばを飲み込む音がはっきりと聞こえた。佐倉さんにも聞こえてしまっただろうか。


「ねぇ、したい?」


 こくり。

 佐倉さんの仕草や表情、言葉のひとつひとつが、ぼくの身体を勝手に動かして、無言でうなずいた。


「素直でよろしい」


 ぼくはいつも佐倉さんの色気に惑わされてしまう。

 それはそれで悪くないと思う自分もいるけれど、いつか男としての魅力で、佐倉さんを振り回してみたいものだ。

 もっと背が伸びて、強い男になれたなら、そんな日もくるのだろうか。



    ◆




「着きました。起きてください」


 肩を揺すられ、目が覚める。

 どうやら車内で寝ていたらしい。

 佐倉さんのからかいが小休止になったときに、気が抜けて寝てしまったようだ。


「ありがとうございます」


 ぼくを起こしてくれたメイドさんに礼を言う。

 車内を見渡す。佐倉さんが見当たらない。

 後部座席の隣は空席となっていた。


「佐倉さんはどうしたんですか?」

「……少し、のぼせたようでして、先に家に送らせていただきました」


 後回しにして申し訳ありませんと謝罪された。

 水族館からぼくの家に帰る途中に佐倉さんの家がある。別に気にする必要はないと思う。

 それよりも、佐倉さんが心配だ。

 今日のデート中も何度か体調が悪そうなときがあった。何か病気でなければいいけど。


「体調は問題ありません。私が保証します」


 メイドさんが言うのなら正しい。

 家に帰ったら今日のお礼の連絡をしつつ、様子を確認すれば十分だろう。

 改めてメイドさんに、送迎の礼を述べて、ぼくは家に帰った。


「遅かったな」

「友だちと遊んでたら遅くなっちゃった」

「お前も中学生だからな」


 お姉ちゃんが先に帰っていた。

 もしもお姉ちゃんの帰りを待つことになったら、じっとしてられなかっただろうから、お姉ちゃんが先で良かったと思う。


「それ、水族館のやつか?」


 ぼくが胸に抱いていたペン太を指さしている。

 今日行ったばかりの水族館のグッズを、なぜか弟が持っていたら気になるのは当然だろう。


「水族館に行ったともだちからもらったんだ」

「ふーん……女か?」

「うん、同じクラスの子」


 ぼくは嘘をついた。

 佐倉さんの存在を隠す。佐倉さんの名前を出すと、水族館で尾行していたことがバレそうだからだ。


「お前もすみにおけないな」

「怒らないの?」

「怒るって……何に?」

「まだ早い、とか、このエロ彦が、とか」


 お姉ちゃんは肩をすくめた。

 心底呆れた、という表情だ。


「怒る訳ないだろ。お前も中学生で、立派な男だ。同級生と恋愛することはなにもおかしくない」


 お姉ちゃんはぼくを一人前の男として扱ってくれる。

 反対に佐倉さんはいっつもぼくをこども扱いだ。

 2人は親友だけれど、似てる部分は少ない。むしろ互いに違うタイプだからこそ、親友となったのだろう。

 親友だからって似ている必要はなく、違っているからこそ良いのだ。でも、この点だけはお姉ちゃんを見習ってほしいと思う。


「あっ、ちゃんと避妊はしろよ」


 あっはっは、とおっさん臭く笑う。

 最低だ。セクハラ親父だ。耳年増のくせに。

 お姉ちゃんに対する尊敬は地に落ちた。


「それにな、孝彦。あたしもようやく気がついたけど、恋って良いもんだ」

「は?」

「相手のことを考えるだけでドキドキして、不思議な高揚感がある。こんな気持ち初めてだ」

「ふーん……水族館デート上手くいったみたいだね」

「分かるか?」

「そりゃまあ、あからさまに顔に出てるし」


 ニタニタとふやけきった表情を指摘してやれば、手鏡をもって、まんざらでもなさそうにしている。


「……」


 くされチンポ野郎、死刑!

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