第19話 多目的トイレ
ぼくと佐倉さんの記念すべき水族館デート。
その始まりはメイドさんである。
「この変装、やっぱり違和感あるよね」
ぼくも佐倉さんも演技することをやめた。
2人とも普段とは正反対の恰好をしていたから、演技をやめると服装の違和感が酷くなってしまう。
「私もちゃんとデートを楽しみたいし着替えよっか」
「でも着替えなんてもってきてないよ」
佐倉さんの家で変装したから、そこに服は全部置いて来た。
今から取りに帰るのは現実的じゃない。
違和感はあるけれど、今の恰好で頑張るしかないだろう。
「ここにございます」
「わっ!」
び、びっくりした……。
突然背後から女の人が現れた。メイドさんだ。
人混みで騒がしいとはいえ、このぼくが一切気配を感じとれなかった。
彼女はいったい何者なんだろうか。
「ただのメイドでございます」
気がつかなかっただけで、ずっとそばにいたのだろうか。
だとしたら、ぼくと佐倉さんとのやりとりを見られていたことになる。
それはちょっと……いや、かなり恥ずかしい。
「見てたの……?」
「おふたりとも、とても愛らしかったです」
ぐっじょぶと無表情で親指をつきだした後、一礼をした。
相変わらずよく分からない人だ。
メイドさんと佐倉さんと3人で多目的トイレに入って、元の服装に着替えることになった。
佐倉さんはメイクもギャル風だったけれど、メイドさんがどこからか取り出した化粧セットで、あっという間にいつもの佐倉さんのエロ清楚な化粧に戻っていく。
「化粧ってそんな感じでするんだ」
「恥ずかしいからあんまり見ないでね」
ぼくに化粧の技術はない。これからお姉ちゃんも色気づくことだろう。弟として、学んでおく必要がある。今度メイドさんに教えてもらおう。
「それじゃぁ次は弟くん待望のお着換えタイムだね」
「別に待望してないし」
ニヤニヤとぼくをからかうときの笑みを浮かべている。
佐倉さんのやりたいことがなんとなく想像がついてしまう。
さすがに逃げ出したいけれど、密室で逃げ場はない。入口側に佐倉さんが立っていて逃げ道を防がれている。
「着替え終わったら言って」
壁に向き合いながら、はやく時間が過ぎるよう願った。
こんなときに限って時間の進みはとてもゆっくりに感じる。
ぼくは壁を見ている。着替える場面を見てはいない。
音だけだ。着替える音が、衣服のこすれる音が聞こえるだけだ。
情報が制限されることで、逆に想像をかきたたてられる。
多分、なんとなくだけど、今まさに佐倉さんがスカートを脱いだと思う。
「いま下着姿だから、見ちゃだめだよ」
やっぱりそうだ。
後ろを振り返ったら、夢のような光景を目にすることができるだろう。
「どうしてもっていうなら見てもいいけど、ちゃんと責任とってね」
また、佐倉さんがぼくをからかって遊んでいる。
男として悔しく思う。
いっそ男らしく、振り返ってしまいたい。
でも変態の汚名を着せられたくはない。
「弟くんは意気地なしだねぇ。終わったからこっち向いて大丈夫だよ」
ようやく解放された。
ほっとしながら振り返る。
「うん。やっぱりぼくは、いつもの佐倉さんが好きだな」
佐倉さんが黙り込んだ。どうしたのだろう。
メイドさんは気にした様子もなく、ぼくに着替えを手渡した。
次はぼくのお着換えタイムだ。誰も待望してはいないだろうけど。
「見ちゃだめだからね」
「えぇ~、だめ?」
「可愛く言ってもだめだから。あっち向いてて」
「もう、弟くんは仕方がないなぁ。分かった、壁の方向いてるね」
なぜかぼくがわがままを言っているような言われ方だ。解せぬ。
納得がいかない気持ちのまま、ぼくは元の服装に着替える。
佐倉さんもメイドさんもちゃんと向こうを向いてくれているようだ。もしかしたら、佐倉さんはぼくの着替えを覗き見てくるのではないかと疑っていたので一安心である。
「……ん?」
ズボンをはき替えようとすると、なにかイヤな感じがした。
2人とも壁に向かって立っているし、トイレの中には他に人はいない。周りを見回してもおかしなところはない。
気のせいだったようだ。
首をふってイヤな感じを頭から消し去って、再びズボンをはき替えはじめる。
「あっ」
イヤな感じの正体が判明した。
犯人は佐倉さんだ。
「佐倉さん……撮らないでよ」
佐倉さんはぼくとの約束を守って反対を向いていた。
でも向こうを向きながら、ひっそりとスマホのカメラをこっちに向けて、無音のカメラで盗撮していたのだ。
たしかに僕は盗撮について、わざわざ禁止したりしなかった。それは当たり前のことだからだ。わざわざ言及するまでもなく、人が着替えているところを盗撮しないなんて当然のことだ。
「あっ、ごめんつい」
無意識だったらしい。
気がついたら盗撮をしてたって、それほんとの犯罪者じゃ……。
ぼくは佐倉さんが好きだから、盗撮されたからって警察に突き出したりはしないけど、逮捕されるのも時間の問題かもしれない。
果たしてぼくは佐倉さんを好きでいていいんだろうか。
ほぼ犯罪者の彼女に対して言うべき言葉が見つからない。
たった一言、ふさわしい言葉が思い浮かんだので口にする。
「……へんたい」
佐倉さんはゴフッと言いながらその場に崩れ落ちた。
佐倉さんが立ち直るのを待ってトイレの外に出る。
「それでは、デートをお楽しみください」
メイドさんはまるで忍者みたいに音もたてずに消え去った。
「あの人って何者なの?」
「さぁ? 私が物心ついたときにはもうあんな感じだったから、私もよく知らないの」
※多目的トイレは着替えるための場所じゃありません。
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