第18話 過去は戻らない

 水族館は危険だ。

 少し薄暗いし、人も多いから、自然と2人の距離が近くなる。

 手をつなぎやすい空間なのだ。


 反対からくる人を避けようとして動いた結果、お姉ちゃんとくされチンポ野郎の手が触れ合ってしまう。

 互いに手をつなぐことを意識してしまったのか無言になる。


「青春してんなぁ」


 佐倉さんは2人を見て呑気に笑っている。

 ギャル愛梨の演技をしながら高みの見物状態だ。


 むむむ。

 危機感が足りない。佐倉さんは当てにならないと判断すべきだ。ぼくがなんとかするしかない。


「おっ、手つなぐんじゃね?」


 佐倉さんがワクワクしながら言う。

 ぼくたちは単なるデバガメをしにきた訳じゃない。妨害しにきたんだ。

 2人は少しずつ手を近づけている。今にも手を繋いでしまいそうだ。

 ぼくは走って2人の間に割り入った。


「おまえら邪魔」


 ふてぶてしく言い放ち、ぼくは走り去った。

 後から追いかけてきた佐倉さんと合流する。


「いきなり走んなよ、驚くだろ?」

「悪かったよ、でもこれで手を繋ぐのを防げたから」

「えっと……あはは」


 歯切れが悪い。

 嫌な予感がしてお姉ちゃんたちを見る。


「なっ!?」


 2人は手を繋いでいた。

 恥ずかしそうに距離を縮めている。


「最悪だ……」


 その汚い手でお姉ちゃんに触るんじゃない!

 脳内でくされチンポ野郎を罵倒しまくるのであった。




    ◆




 2人と、後をつけるぼくたちは爬虫類や両生類のゾーンに入った。

 そろそろ佐倉さんが手配した仕込みを発動しよう。


「姉貴、頼む」

「りょーかいっ」


 作戦は単純だ。

 外国の人が2人に話しかけ、英語が苦手な2人はうまく意思疎通がとれず、気まずい空気になるというものだ。


 ぼくは弟の嗜みとして、英語がペラペラだ。佐倉さんは家が金持ちだから、必然的に海外の人とも接する機会が多くて英語を喋れるようになったらしい。

 でもお姉ちゃんは英語は苦手だ。くされチンポ野郎も、英語のテストの点数は悪くないけど、英会話は苦手らしい。

 思う存分に苦しむがいい!


 太った白人の男性が2人に話しかけた。

 外国の人をどうやって手配したのかは不明だけど、佐倉さんの手にかかれば、これくらいの仕込みは簡単らしい。

 怖くなりそうなので、あまり深く尋ねるのは止めておこう。


「おーいえー、まいねーむいずそうたたけだ!」


 どうやら白人男性はペンギンを探しているらしい。

 2人は彼の意図を中々理解できず、右往左往している。

 でも最終的にくされチンポ野郎がペンギンという単語を聞き取ることに成功し、ペンギーン!と連呼しながらペンギンゾーンに男性を連れて行った。


「もっと嫌がらせするように言ってないの!?」

「さすがにあーしもそこまで仕込むことはできねぇって」


 2人は全く言葉が通じていないのに、白人男性と仲良くなったようだ。

 ペンギンコーナーで一緒にペンギンと触れ合っている。

 ぼくもペンギンと触れ合いたい。

 彼らが楽しんでいるのをぼくたちは遠目に監視することしかできなかった。

 妬ましい。


「対応力〇だな」

「むむむ」


 突然のハプニングにも自然に対応している。

 敵ながらあっぱれだ。




    ◆




 ペンギンとの触れ合いが終わり、次の場所に移動しているときに、ぼくはお姉ちゃんの服にソフトクリームをぶつけた。


「あぁ、俺のソフトクリームが……前見て歩けよバーカ!」


 憎たらしいガキを演じて走り去る。

 2人はどういう対応をするだろうか。見ものだ。


 まずお姉ちゃんは家事ができないしズボラだ。ろくな対応はできないだろう。

 交際経験なしのくされチンポ野郎もスマートに対応するはできないはずだ。


 しめしめとほくそ笑んでいると、くされチンポ野郎が行動に移った。

 近くにあったベンチに座り、羽織っていたシャツをお姉ちゃんから受け取り、染み抜きをしている。


「家庭的な男は高ポイントだな」

「え? なんで普通に対応できてるの?」

「武田は6人兄弟の長男だから、慣れてんのかもな。前に言っただろ?」

「……聞いたかも」


 姉はともかく兄には興味がなかったら、全然気にしてなかった。

 ぼくの失態だ。


「おっ、彼シャツじゃーん」


 くされチンポ野郎は、自分のシャツを渡す。

 お姉ちゃんは腐ったシャツを身にまとった。

 叶うことならぼくが今から家に戻ってシャツをとってきたい。


「もう止めとけば? 全部逆効果になってんぜ」

「むむむ……」

「綾乃の武田に対する好感度、どんどん上がってるし」


 佐倉さんの言う通り、もうやめるべきかもしれない。

 これ以上、2人を妨害し続けるだけの気力がなかった。


「お姉ちゃん」


 悩んでいると、5歳くらいの小さい女の子が佐倉さんの服を引っ張っていた。

 一人っ子だから妹はいないはずだけど。彼女はいったい誰だろう。


「お姉ちゃんじゃない……」


 女の子は泣き始めた。

 でもぼくにはお姉ちゃんたちの恋路を邪魔するという使命がある。

 迷子の手伝いをしている暇はない。


「はぁ」


 ぼくはため息をついた。

 姉を見失った女の子の姿が、今のぼくの状態と重なって見えてしまう。

 彼女を放っておくことはできなかった。


「俺たちがお姉ちゃん探してやるよ」


 15分ほど館内を探し回り、女の子は彼女の姉と無事に再開できた。

 素直に喜ばしいことだ。姉と離れ離れになるなんて、あってはならない。


「偉かったな、ゆーと」

「姉貴……」

「お前は自分を優先せず、あの子のために頑張ったろ? ゆーとはあーしの自慢だよ」


 その代償にお姉ちゃんとくされチンポ野郎の行方は分からなくなってしまった。

 水族館は広いし、人も多い。

 迷子探しとは訳が違う。迷子の場合は、両方が互いに互いを探している。そんな姉妹も、ぼくたちの協力があってさえ、見つけるのに15分かかった。

 であるならば、一方的にお姉ちゃんたちを探すぼくたちはもっと時間がかかってしまう。

 今から2人を見つけだしてデートを妨害することは難しいだろう。


 ぼくたちのデート妨害大作戦は、失敗に終わってしまった。

 こぶしを握り締め、うつむく。


「でも、これで良かったのかも……」

「えっ?」

「本当のところ、これ以上2人を見ているのが苦しかった」


 お姉ちゃんはぼくが知らない顔をしていた。弟であるぼくには決して引き出せない表情だ。

 ぼくはお姉ちゃんのためならなんだってしてみせる。

 父のように支えることも、母のように包み込むこともできる。

 でも、恋人にはなれない。


「そっか」


 佐倉さんはぼくの前に向かい合って立った。

 ぼくが固く握り締めたこぶしの上に、そっと手を重ね、包み込む。


「苦しいね」


 胸が張り裂けてしまいそうだ。とても苦しい。

 どうしてこんなことになったのか。もっと上手く立ち回ることはできなかったのか。

 色んな後悔が頭をめぐる。

 戻れるなら過去に戻ってやり直したい。恋を知る前のお姉ちゃんに戻ってほしい。

 でも、現実は非情なものだ。過ぎ去ったときは戻らない。

 どれだけ一緒にお風呂に入りたいと思っても、もう昔みたいにお風呂に入れることはないのだろう。


「ねぇ、佐倉さん」


 苦しくて苦しくて、すべて投げ出してしまいたい。

 でも、それでも、ぼくは顔をあげた。


「あーしは愛梨だって」

「もう演技はおしまいにしよう」

「そう? 新鮮で楽しかったけど……分かったよ弟くん。それで、これからどうしよっか」


 2人を追うことはもうあきらめた。

 でも、せっかく水族館に来たんだ。ただ帰るのも勿体ない。

 それに、もっと佐倉さんと一緒にいたいと思った。離れたくないと思った。


 お姉ちゃんに好きな人ができて、その喪失感から、代わりになる人を探しているのだろうか。だから佐倉さんと一緒にいたいと思うのだろうか。

 いや、違う。お姉ちゃんに対する感情と、佐倉さんに対する感情は全く違うものだ。

 どちらも代わりにはなれない。

 佐倉さんはお姉ちゃんの代わりにはなれないし、お姉ちゃんも佐倉さんの代わりにはなれない。


「あ、あのっ……」


 思い返せば、いつも誘われる側だった。

 佐倉さんがぼくを色んな場所に連れていってくれた。


「ゆっくりでいいよ。私はずっと弟くんを待ってるから」


 ぼくは佐倉さんみたいな人がタイプだった。

 同い年の女の子よりも、色気がある年上のお姉さんが好きだった。

 でも今になって気がついたけれど、正確には違っていたらしい。

 ぼくのタイプは佐倉さんみたいな人じゃない。

 佐倉さんがタイプなんだ。


「今からぼくとデートしてください」

「はい、喜んで」


 ぼくは――佐倉さんが好きだ。

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