一瞬の憎しみ

第1話(祈りと冒険)

 とある日の聖国サントクリス。朝か昼か分からないほどの濃い雲に覆われたどんよりした空。今日は生憎の雨。晴れの日にはあった人が生み出す賑やかな音、馬車や荷物を運ぶ騒々しい音は息を潜め、ざあざあと雨の音に消された。雨の冷たい静けさが聖国を包み込む。

 そんな日のサントクリスでモルテは一人、聖国の中心とはかけ離れた古い小さな礼拝堂の片隅で、手を組んだ白い女性姿の像に向かって、静かに祈りを捧げていた。礼拝堂内は薄暗く、石で出来た壁には少し雨水が染み込んでいる。高い湿度によって潤った木の椅子は、モルテが多少横に動いたとしても、乾いた音はしないだろう。モルテは雨避けなどの道具を使わず礼拝堂に来たようで、髪には水が滴り、洋服は沢山の水を吸い込みとても重そうに見える。

 弟子のローエとの一件から、モルテは毎日早い時間に起きて、プリエを起こさないように、忍足で家を出る。そして、この古い礼拝堂に通い、毎日十五分、欠かさず祈りを捧げていた。目を瞑り両手を組み、口を閉じているモルテは、全く微動だにしない。冒険者を引退して以来の朝の祈り。モルテが幼少の頃から行っていた習慣は、時間が経って衰えてなお、体は長年染み付いた所作を覚えていた。

 モルテが相棒を殺した日から、モルテは神の存在を長く否定している。神を信じていない彼が、今頃になって神に祈りを捧げるなど何の心変わりがあったのか。

 大きな変化があったといえば一つ。モルテに弟子が出来たこと。これはモルテの長い人生の中で初めての経験。モルテの交流関係は、モルテ本人が思っているほど狭いものではない。だが気の知れた友人や、大切な人達に限ると少ないと本人は自覚している。

 モルテが相棒と呼ぶほど絶対の信頼をおく者達は僅か三人。かつての相棒と今の相棒。そして弟子だ。永遠病の一件により、モルテの中でローエは大切な友人になり、特別な女性になっていた。

 モルテは魔術都市にいる遠く離れたローエのことが心配で仕方ないのだろう。ローエが安全な冒険と学園生活を守るためなら、何だってするつもりだ。勇者になったローエには多くの変化が訪れるとモルテは感じ取っている。ダンジョンの踏破、魔獣の討伐。

 ローエが功績を残せば残すほど、人の目に留まり多くの変化に巻き込まれてしまう。そういう時代だ。新しい人との関わり合う事で、見えない力が生まれる。モルテもその見えない力の一人に加担している。モルテは些細だが、責任を感じていた。

 せめて自分が関わった力に飲まれないように、乗り越えられるように。

 自分にとっての神が存在しないと知っていても、弟子を想い彼は祈りと願いを健気に捧げ続ける。

 モルテは祈りが終わると、自分だけが聞こえるような小さな声で呟いた。


「私を見捨てた主よ。どうか、罪深い私の祈りをお許しください。主よ。私の祈りを弟子にお届けください。オラーシオ」

そして言葉を言い終えると首を上げる。集中していたモルテは、自分の他にも人がいる気配に気づかなかった。モルテは後ろを振り返ると黒い礼服を着た神父がゆっくり近づいてくる。モルテよりも後に礼拝堂に訪れた神父は、モルテの祈る姿を静かに最後まで見守っていた。そんな長い時間、祈りを続けるモルテに興味を持った神父は声をかける。

「真面目ですね。毎日、こんな朝早くから神への祈りを行うとは、神父である私も非常に感心しております。失礼でなければどうして祈りを?」

「弟子の安全のため」

「良い師ですね」

「神に見捨てられた人間が良き師と言えるでしょうか?」

「神に背いたことは?」

 モルテは首を横に振り否定して、神父に自分の行いを伝える。

「ございません。私が生まれて、冒険者を引退するまで欠かさず祈りを捧げていました」

「とても信仰深かかったのですね。決して貴方は神に見捨てられてはいないでしょう。神は等しく平等。神が貴方を見捨てたのなら、神は貴方をここに導くことはありません。貴方は決して神に見捨てられてなどいません」

 そう神父に言われると、モルテは不敵な笑みを浮かべる。神父に悟られないように、すぐに表情を戻した。モルテは神父であろうと神からの言葉を望んでいない。モルテは神の許しや力が欲しいだけで、神父の言葉を気にもとめない。

 今のモルテはただ、ローエが信じているかもしれない神に祈りを捧げていただけのことだった。

「それならば、こうやって祈りを続ける甲斐もありますね。では、私はこれで」

「貴方に神のお導きがあらぬことを。オラーシオ」

神父はモルテに導きの言葉を送る。

 その言葉を聞いたモルテは立ち上がり、礼拝堂から外に出た。モルテは来た時と同じように雨避けの道具を使うことなく、そのまま雨に打たれて、自宅に向けて歩いていった。


 ***


 聖国から遠い西の方角に進むと、世界中の魔術が集まる国に辿り着く。

 魔術都市ヘクセレン。四つの学園にいる学園長と、四つの学園をまとめる一人の魔女がこの魔術都市を統治している。住んでいる人達は学園に通う生徒が多く、独立した大人は圧倒的に少ない珍しい国である。

 生徒以外の大人は最小限。国や学園の事務員に、魔術都市を守護する警備員、それと魔術都市が管轄している数少ないお店や研究所で働く人のみ。

 魔術都市に冒険者ギルドはもちろん存在するが、唯一国の中には存在しない。少し特殊な立場にある。魔術都市が保有する土地の隣に魔術都市冒険者支部として、特別な認可をもらい、運営している。

 冒険者ギルドの介入を魔術都市は良しとしなかった。魔術が目指す理念とは相反する。

 冒険者ギルドの理念は、この世界の神秘を冒険で実際に、探して、触れて、見つけること。魔術都市の理念は偉大な魔術師を経由して、この世界に法則を生み出し、世界の神秘を紐解くこと。

 理念の相違に冒険魔術都市は強く反発し、冒険者ギルドから身を守るため、あの手この手で応戦した。

 時には世界に流通する魔術を制限したり。

 時には冒険者ギルドカードの見た目を読めない字に変えたり。

 時には冒険者ギルドが建築する建物を一件しか建てれないように呪いを掛けたり。

 多くの嫌がらせをしてきた。

 だがそれも時間と共に弱く緩くなった

 魔術が一点に集中する場所には、魔術問わず多くの冒険者が集結する。例え国の保護が無くてもそこは魔に導かれた者達。執念深き欲は強く結束し大きな組織へと移り変わった。次第に魔術都市の冒険者ギルドは一つの町になるまで発展する。他の国には例に見ない冒険者の街は、ヘクセレン冒険者街と呼ばれている。冒険者ギルドが認め、理想とする唯一の街。

 魔術都市は街にまで大きくなった冒険者ギルドを認めざるを得なくなった。互いの利益のため、今では冒険者を育成する基盤も整えた。

 魔術都市も変わりつつある。

 魔術都市の探す世界の神秘は、勇者と魔王のような物語から、この世界に眠る真実、そして己が持つ真実まで千差万別。

 それでも、魔術都市の生徒が目指すは偉大な魔術師。

 魔を知り、魔を扱い、魔を支配する。

 至は法則への道しるべ。

 魔に導かれた魔術は、やがて魔法と呼ばれる一つの法則に帰結する。

 魔術で人を導ける魔導を示す事こそが、偉大な魔術師であり、世界を紐解く存在になる。

 世界を紐解き、神秘を暴き出し、世界に隠された楽園へと魔術を導く。

 

 魔術都市の生徒は、最長十年まで住むことが出来る。それまでに魔術都市を卒業しなくてはならない。卒業生の多くは魔術都市の外に出て、冒険者になったり、魔道具を作る組織に就職する。なかには在学中に魔術や研究成果、魔道具が評価されて、魔術都市が管理する研究所の研究員や研究室を持つことが許される。研究室が大きくなれば、魔術都市の学園に招かれて講師になることも夢じゃない。そうすれば、魔術都市で唯一の永住権を得ることができる。

 ちなみに余談ではあるが、今年の卒業予定の生徒には魔術都市に住む権利を与えられた者は、誰一人いない。魔術都市に入れるのは一握り、魔術都市の講師になるのは一つまみ。たったそれだけの数しかいない。

 そんな狭い世界において、魔術都市の人気が地に落ちることはない。

 魔術を学ぶなら魔術都市と言われるほど、魔術での地位は世界で一番。

 毎年、多くの魔術師の卵が入学試験に挑むが、その倍率は二十倍、時には百倍を超えることもある。

 受験の年齢制限は二十歳まで、そして一定基準の魔術の素養。

 狭き門を超えてくる魔術師は必然。優秀な人材のみが残る。そんな優秀な魔術師が最長十年という時間を使って魔術を極めるために、魔術都市という国であり学舎でもある場所で、偉大な魔術師を目指して、日夜魔術の勉強、研究、修行に励む。

 最近は冒険にも力を注ぎ始めた。

 領土の中に四つの人口迷宮ダンジョンを製作して運営までしている。

 魔術都市の迷宮は長年存在する自然の迷宮とは違い、魔術都市が魔術師の生徒のためだけに作成されたもの。迷宮の大きさは人工のものとしては最大規模であり、その数は地上、地下を含めて十層にも及ぶ。

 冒険者を目指す魔術師はもちろん、魔術の修練の場として利用されることも多い。ダンジョン内には魔術都市が作成した人工魔獣が生息し、ゴーレム、スライム、スケルトン、スピリット等が各層に配置されている。層が深くなればなるほど難易度も強さも桁違いに上がる。最上層と最下層は何と、星八の迷宮と遜色ない厳しい条件になるとされている。

 稀に死者も出るが、そこは自己責任。

 魔術に危険はつきもの、迷宮で命を落とすことは勿論、魔術で命を落とすこともある。

 魔術に人生を捧げると誓ったのなら魔術師である以上、自らに待ち受ける障害を、壁を、困難を、己が魔術で乗り越えなければいけない。

 魔術都市に関わる全ての人が覚悟をしている。そんな自負があるからこそ、魔術都市は世界で一番なのかもしれない。

 学舎とはいえ、厳しい世界の縮図が、魔術都市には存在していた。

 

 そんな、魔術都市の近くの迷宮。モルテが祈りを終えた同じ時間。

 ローエは一人、魔術都市の冒険者ギルドの依頼を受けていた。魔術都市が管理している人工迷宮とは違い、冒険者ギルドがランク指定をしている危険な迷宮の中にいた。

 危険度八星——マグニ噴火口と呼ばれる迷宮ダンジョン。この迷宮が危険なところは活発時期に入るとダンジョン全体が溶岩の海に沈むため、普通の人が近づくことはおろか、長時間その場にいれば溶岩の熱で最悪命を落とす。

 マグニ噴火口の活動時期を探索、冒険するには溶岩に対抗できる魔道具を大量に用意する必要がある。だが、魔道具を用いしたとしても安心はできない。

 魔道具の効果を貫く温度、絶えず変化する有毒な物質を含む危険な箇所、ばらつきのある魔道具の効果時間。

 使う道具の入念な確認と冒険運が必要になる。難易度の高い迷宮には間違いない。この時期のマグニ噴火口の劣悪な環境になるため、普段生息している魔獣すら姿を消す。

 そんな劣悪な環境にも関わらず、溶岩の海の中にいる彼女は平然と地上と同じように迷宮を散策していた。

 茶色い髪をなびかせる、ローエ・フィルゴメドの姿があった。

 一から十までの魔術を習得し、勇者の体を手に入れ、特別な外法も覚えた。

 例えそれが溶岩の海の中だろうと、勢いよく噴出した炎に触れようと、毒素を帯びた危険な箇所にいようと、炎や熱に関する自然現象によってローエが外傷を受けることはない。

「少しだけあついなー」

 ローエは今の気温に愚痴をこぼす。

 炎や熱を魔術で自分の支配下にするのは朝飯前。流石に自分の体を動かして発生する、体温上昇までは取り扱えなかった。

 溶岩の海に顔をつけ口を塞がれたとしても、魔術を使えば呼吸は可能。視界も地上と同じように見える。道に従い、壁を識別し、恐れることなく迷宮の奥に進む。

 この迷宮はローエにとってはただの迷宮だった。魔獣がいて、道は複雑な迷路で、奥には宝や伝説の道具が眠っている。

 そう、ただの迷宮のはずだった。

 ローエの目的はレオナベルグと呼ばれる魔獣を討伐すること。

 このマグニ噴火口を守る守護獣。そして、溶岩を生み出している魔獣でもある。

 レオナベルグは一年に一度、必ずマグニ噴火口で生まれる。そのまま、放っておくとマグニ噴火口の溶岩が溢れ、魔術都市やマグニ噴火口付近にある街や村がたちまち炎の海に飲み込まれてしまう。

 そうなる前に、魔術都市の冒険者ギルドは必ず期限付きでレオナベルグを討伐している。

 たまたまタイミングの良かった、ローエは初めての依頼にこのレオナベルグを選んだ。

 特に理由はない。

 しかし、それはローエにとって、あまり良くなかった。

 慣れない地形に、初めて訪れる迷宮。何も用意も準備もせずに、ローエはマグニ噴火口へ挑んだ。

 ローエは既にこの迷宮で、五日も過ごしていた。

 広さは世界中の迷宮の中では平均よりも小さい。強化魔術を使える冒険者であれば、一日で入り口から奥まで往復可能だ。

 ここに来て、ようやくマグニ噴火口の最下層にたどり着く。


「やっと見つけた。レオナベルグ」

 赤い獅子のような巨体な魔獣。成人男性を簡単に丸呑みできそうな大きな口。首の周りには煌めく赤い炎のたてがみ。全身は橙色毛に覆われ、四肢には漆黒に光る爪が伸びていた。

 のんきに寝ているレオナベルグを見て、ローエは危機感のないこの魔獣に少し呆れる。

 遠慮なくローエは魔術を放った。

 散々歩いて迷い続けた。ただの迷宮に苦戦をし、無駄な時間を過ごした自分の怒りに半分。もう少し調べればよかったと自分の考えの甘さに苛つくこと半分。

 溜まりに溜まったうっぷんをローエはこのレオナベルグにぶつける。

 使ったのは第九の赤の術式ワンド・オブ・ナイン

 レオナベルグの前身に炎が燃え移る。

 そして、レオナベルグはようやく目を覚ました。大きな体を起こして、目の前の小さな人間に向かって大声で吠える。

「流石は炎の中に住む魔獣。私との相性は最悪ね」

 溶岩の中にいるレオナベルグが炎の耐性を持っていないはずはない。魔獣が燃えない光景を目にしてもローエは笑っていた。

「それなら、あなたの炎の耐性そのもの燃やして、消し炭にしてあげる。第十の赤の術式ワンド・オブ・テン

 ローエが魔術を唱えた瞬間。

 赤に関する全ての炎が彼女の支配下に移り変わった。

 空間を包み込む溶岩も、レオナベルグにまとわりついた炎も、何もかもがローエのモノ。

 レオナベルグの体は徐々に黒く焦げて行く。炎の耐性もお構いなし。第十の魔術による空間を対象とした操作は、魔術本来の制御できる範囲を超えて、レオナベルグの持つ炎の耐性を無効化した。

 レオナベルグはなすすべもなく、ただ燃えて黒い炭となり、四肢は徐々に灰色と化す。

「やば、このままだと牙まで全部燃やしちゃう」

 レオナベルグはローエが想像したよりもはるかによく燃えた。

 ローエは全部燃やさないように魔術を途中で止める。自ら解放した魔術によって、既にレオナベルグは息絶えていた。これで、じきにマグニ噴火口を満たしていた溶岩も消えてなくなるだろう。

 ローエはレオナベルグに近づき、炎を操り頭を切断して、収納魔道具に格納する。

 討伐した証明としてレオナベルグの牙を冒険者ギルドに提出する必要がある。牙だけでは証拠不足になる可能性があるため、念には念をとローエは頭も確保しておくことにした。

 モルテと旅して遭遇した魔獣の時とは違い、殺す行為に躊躇ためらいは消えていた。

「長かった。これで帰れる。随分永遠から遠ざかった気もすけど、私の実力がどの程度か確認出来たから良しとしよう。でも、次は帰りか」

 ローエは深いため息をついて、重い足取りで再びマグニ噴火口の入り口を目指した。

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