酔い覚まし

 さっさと冗長な二次会から立ち去るため、キューを手に馴染ませるように数度握り直し、台に手をついた黒猫を、背後から親しい声が制する。


「嗚呼、駄目だよ、kitty。それではうまく球は突けない」


 耳に馴染んだ、そして想定外の声に、黒猫は驚きに目を丸くして素早く振り返った。


「リオンさん!」


 振り返った先には、バーカウンターに凭れる夫の姿。名を、黒狼リオンという。整いすぎていっそ浮世離れした風体のリオンによく似合っていた。プラチナブロンドの彼を見慣れたはずの黒猫でさえ思わず見惚れる程、その様は瀟洒で目を引いた。

 他の面子は、黒猫の配偶者の一人の突然の登場に、驚く素振り一つ見せなかった。黒猫の夫達は大学にも、時には飲み会の席にも顔を出して新妻を浚っていく過保護を知っているからだ。

 貫弥と雪之丞はお迎えご苦労様と微笑ましく二人を見守り、きららは過保護だと馬鹿にし、熊三だけが苦く笑っていた。彼が場に登場すると、黒猫の意識はすぐにリオンにだけ向けられ、二人の世界が構築される。今日もまた例外ではなく、黒猫の視界から既に他の面子は消え失せていた。


「偶然近くに用事があったんだ」


 車だからとバーテンダーにペリエを頼み、ペリエの瓶とグラス、そのグラスにはライムを添えてもらって、ゆったりとした歩みでビリヤード台の傍に立ち尽くす黒猫に歩み寄った。


「ビリヤードか」


 台の横に設置された背の高いテーブルにグラスと瓶を置き、ペリエをグラスにあける。ぷちぷちと泡の弾ける軽い音がして、グラスに無数の気泡が張り付いた。その手を覆う手袋を外し、グラスの縁に飾られたライムを絞り軽くステアして、喉を潤す。ほんの少し口を付けただけで、リオンはグラスを黒猫に手渡した。同時に、彼女の手からごくさりげない動作でキューを奪う。

 黒猫が渡されたグラスを手にすれば、リオンは満足そうに目を細め、飲みなさいと告げた。自分のためでなく、少し酔いが回っている妻のために注文したペリエ。アルコールで喉が渇いていたのか、いつになく早いペースでグラスを傾ける黒猫の頬を、リオンは小さく笑んで撫でた。

 リオンの指に残ったライムの香りに、醒めかけていた酔いがぶり返したように體が熱くなるのを感じ、黒猫は彼の手から逃れて、グラスのペリエを飲み干した。何よ、家じゃ前後不覚になるくらいよってたかって飲ませるくせに。

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