第9話 過去の惨劇が探偵を呼び覚ます

 彼女の瞳のは一切の憂いは無く、もはやそれが達成された過去の事象である事を露骨に伝える。

「今はこれでおしまい!」

 いろいろと空想していると、彼女はそう言って、突然にも話を辞めた。

 さっきまでのくよくよとした態度は一変し、形勢逆転がなされたかのように、互いの心情が入れ替えられる。僕は彼女が何か言いたげだったから話を聞いた。

 それが事の発端であるのは間違いないはずなのに。


 まぁ、いいか。僕は彼女と親密な、それこそ交際関係にある訳ではない。彼女は彩香ではない。心の陰りを払拭するのは僕の勤めではない。

 『赤毛連盟』よろしく、僕は突如として、読書家に任官され、彼女の監視下でもってひたすらに本を読む。それこそが今の僕の生活の基盤であり、彼女との友情は副産物あるいは副作用と言ってもいい。


「赤毛連盟……」

 ほんの例えで挙げたコナン・ドイルの短編小説。シャーロック・ホームズは殊の外好みなのもあって自然に思い浮かんだのだが、これは案外馬鹿にならない。

 僕があのジェイベズ・ウィルソンであるとすれば、キーとなるのは僕の自宅か妹か。

 そのいずれかが何らかの犯罪に利用されている、例えば空き巣……

 彩香は高校に通っており、僕も大学以外は氷室さんの家に居る。となれば、僕の家は、一日のほとんどが留守という事であって、その間に氷室さん、もしくは彼女の仲間が窃盗なり盗聴なり、何らかの悪事を働いているという可能性は大いにあり得る。

 そう考えれば、読書空間を保証するなどという奇妙な申し出がなされるのも頷ける。

 となると…………


「今日の晩ごはんは何を作ってくれるの?」

「気が早いよ~。そんなに楽しみなの?」

「氷室さんの料理は美味しいからね」

「もう、宗太君ったら♡そうだなぁ、カレーライスとかどう?」

「いいね、今から楽しみだよ」

「えへへ、じゃあ今日は早めに買い出しに行かなくっちゃ」

「どうして?」

「そうしたら早く晩ごはんが食べられるでしょ♡」

「そうだね、よかったら僕も手伝うよ」

「ううん、宗太君は本を読んでて」

「ありがとう」

 計画通り!という言葉がとある漫画であったが、今の僕はまさにそんな気分だった。彼女のスケジュールを自然とこちらが調整し、彼女が買い出しに行っている約40分が空白の時間となった。


 読書家のさがなのか、他人のシナリオで踊らされているのは実に不愉快だ。僕は自らの手でもってページをめくり、物語を進めたい。

 今回に関しては本の読み過ぎである事を祈るが…………

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