第8話  先史より伝えられし祈りの姿は

 あの日以来、僕らはを持ちだすことはなかった。

 本当はお互いの為にもするべきなのだろうが、同棲ではなくルームシェアであるので、実のところはそこまで距離が近いという訳ではない。

 それ故、多少の秘密には寛容であるべき、という言い訳が少なくとも現時点ではまかり通っていたのだ。


 とは言え、それが潤滑な関係の構築を阻害しているのまた事実である。

 妙に距離を置いて、物陰から猫のようにじっとこちらを見つめている。読書の邪魔にはならないが、やはり気になってしまう。


「氷室さん」

「ぴゃあ!?」

 読書に夢中で気づいていないとでも思っていたのだろう、オーバーアクションな驚き方をして、むしろこちらが面食らってしまった。とんだカウンターである。

「この前から度々、そうして陰から見つめてるけど、一体どうしたの?」

「それは………その」

 まるでイタズラがバレた時の幼女のように、申し訳なさそうに縮こまる。

 正直、小動物を連想させ、可愛いらしいようにも思えたが、それで終われば、そもそも声など掛けはしない。

「どうしたの?」

「あのあともう一度反省したんだ。……それで、あの話をしっかりしようと思って。でもいざとなると、なかなか話し出せなくて…………」

「なるほどね。僕も出来れば聞いておきたい。でもそれは、氷室さんが話せる時で構わないよ」

 彼女はただ「……うん」と言って、再び黙り込む。その表情は思案に明け暮れ、言葉を選ぶ苦悩が見てとれる。


「私は殺してなんかいないよ」

 3分ほど経過して、こちらとしても読書に戻るか迷い出した頃、彼女はそう語り出した。


「でもね、かな……」


 死んじゃえ。

 その言葉は、残念ながら、日常茶飯事とは言わずとも、感じた事が無いとは断言出来ない暴言の一つ。

 科学が至るところでその理論を実践する今日において、口に出すならまだしも、ただ心の中で死を願うのみであれば、何の罰則も受けない。


「何があったの……?」

 さりとて実際に人が亡くなっているのだ。あまり楽観的に話を聞くのも楽ではない。僕は気を付けながらも、自然と重たい雰囲気が辺りを支配していた。


「友達以上恋人未満、みたいな男の子がいてね。いつしかその子の事が好きになってて。それで、告白しようと思ったら、別の女子に先を越されちゃったんだ」

「それで……死んじゃえって?」


「ううん、その時はまだ。その子達が付き合いだすと、『彼女の願いだ』って言って、私を避けはじめて。それから、が嫌がらせを始めて。それで」

「もういいよ、ありがとう」

 人が病むには、それ相応の体験があるものだ。

 それはなんとなく分かっていたつもりだったのに。読書と違って、この世はシナリオ作家が特別優秀な訳ではない。

 だから、いつだって、嫌な時はとことん嫌なことづくめなんだ………


「だから、私もお願いしたんだ、死んじゃえって」

 その言葉は心なしか、つい数秒前の同じ言葉より重みがあった。




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