第7話 君主は国家第一のしもべ

 振り向けばそこには氷室さんが。ホラー小説における瞬間移動を彷彿とさせ、つい先ほどの出来事を鑑みれば、まさしく状況であると言える。

 そのある種の雑な恐怖感もまた、B級ホラー映画特有のそれと表現出来なくもない。

「宗太君」

 だけれども、氷室深雪はそれら状況とは少し意を変え、子犬のように、どこか申し訳なさそうにも、あるいは自信なさげにそっと声を発していた。

「サヨナラなの?」

「さよなら?」

「宗太君もどこかにいっちゃうの?」

 宗太君も、か。

「その答えは氷室さんが一番知ってるんじゃないのかな」

「わ、わたし?」

「僕は読書が出来るかが肝心要であって、直接的な害が無いなら、どこだっていいんだ」

「じゃ、じゃあさ、宗太君は私の事怖くないの?」

「怖い、いや、そんな事ないよ。確かにさっきの話は僕も知っておく必要がある。だけど、今の君を見ている限りでは、悪女にも、勿論、犯罪者にも思えない。だから、もう少し様子を見る必要があると思うんだ」

 病的な白さで、どこか儚げにも思える彼女の顔色に、ほんの少しだけだが、ほんのりと赤くなった気がした。とは言え本の読み過ぎが原因なのか、あまり視力には自信が無いので断言は出来ない。

「その、宗太君、少しだけ私に時間をくれないかな?」


「私ね、よく一人でここに来るんだ」

 彼女に言われるがまま連れてこられた場所は、彼女の自宅から徒歩数分の所にある、大きな池のある静かな公園だった。

 季節はもうすぐ秋。朝夕の気温もすっかり低くなり、彼女の肩まで伸ばされた髪はあたかも俳句のように、優雅になびき、大きな池と視界に入る森林とに合わさって、どこか幽玄であり、自然が生み出した壮大なる複合芸術のようにも思えた。

「ここに来るともっと寂しくなれるから」

 僕は情けない事に彼女の過去の辛さなどは想像できなかった。あれほど本の山を築こうとも、たった一人の、手の届く場所にいる彼女の想いを。

 一人の人間を自殺に追いやったと噂される者の心情を。


「でもね、今日は違うよ。今日はこことお別れしに来たんだ。だって今の私は独りじゃないから」

 突風が一瞬僕をひるませ、すぐさま視線を戻すとそこには、先ほどとは全く異なる絵画、いや世界が広がっていた。

 彼女のよくする、どこか昏い微笑みではなく、正真正銘の笑顔がそこにはあった。

 それに舞台が応じるように、俗世から離れた孤独なる池のほとりは、女神がろしめす安泰な離宮といった風情があった。

「…………ギリシア神話の女神・ミューズ、と言ったところかな」

 暗明を一身に抱える彼女は、太極図に描かれる勾玉?のように感情を破壊し、すぐさま創造する。

「また来ようか」

「私とだけだよ?」

 彩香にも見せてあげたかったが、まあ、お気に入りの場所はそういうものだよな。

「分かった」


 そうして僕は、帝が元号でもって時を支配したように、着実に行動を独占され始めるのだった。

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