21 不予

 イゾルテが皇帝不予の知らせを受けたのは、暁の姉妹号が軍港に接岸した後のことだった。事が事だけに秘匿する必要があり、遠くと話す箱{無線機}で連絡することが出来なかったのだ。イゾルテが馬を飛ばして皇宮に駆けつけると、ルキウスの寝室の前でリーヴィアが待っていた。やつれはてたリーヴィアは、うつろな目に涙を溜めていた。


「叔母上、ま、まさか父上が……」

イゾルテが恐る恐る問いかけると、リーヴィアはこらえ切れず涙を流した。

「ふぁああああぁぁあぁ」

「…………」

「ごめんなさい、欠伸が止まらなくって」

イゾルテは嫌な予感に囚われた。

「……あのぅ、それで、父上は?」

「陛下はようやくお眠りになったところです。先程までずっと『戦に行く』『私だけ寝ている訳にはいかん』と騒いでいたのよ。私とテオドーラ殿下でずっと止めていたので、もう眠くて眠くて」

そう言ってリーヴィアは、もう一度欠伸をした。先ほど感じた嫌な予感は当たったようである。

「私は少し仮眠をとります。中にテオドーラ殿下がいらっしゃいますので、詳しいことは殿下にお聞き下さい」

リーヴィアはそのまま覚束ない足取りでふらふらと何処かへ行ってしまった。


 イゾルテはドアを小さくノックすると、返事を待たずに中に入った。

「失礼しまーす」

「まぁ、イゾルテ。怪我はないの?」

ベットの脇に座っていたテオドーラは、イゾルテに駆け寄ると体中を撫で回した。一瞬いつものように下心があってのことかと思ったが、自分の軍服を見てみるとそこら中黒く汚れていて、確かに怪我をしていても不思議じゃないように見えた。

「安心して下さい。火を焚いたので、ちょっと煤けてるだけです」

「火を?」

「ええ、その、ちょっと寒かったので。それとスキピア子爵が敵将を討ち取ったので、敵はさっさと逃げて行きました。私は船の上から見ていただけです」

「まぁ、良かったわ。スキピア子爵って、リーヴィア叔母様の弟の?」

「ええ、そうです」

「あなたからお礼を言っておいて貰えるかしら」

「戦勝報告に来るでしょうから、その時に直接言って下さい」

実に心温まるやりとりである。イゾルテが白けきっているのは、心配した反動なのだ。決して、「父上なんてどうでもいーや」とは思っていない。……たぶん。


「お前は私に直接言ってはくれないのかね?」

割って入った男の声にベットの上を見ると、ルキウスが目を開いていた。

「すいません。起こしてしまいましたか」

「構わんよ。戦のことが気掛かりで、おちおち寝ていられなかったのだ。さあ、戦の報告をして、私を安心させてくれ」

ルキウスが身を起こすと、テオドーラはその背中にクッションをあてた。

「ドルク軍の渡河を暁の姉妹号で阻止しました。敵が混乱する中、ガルータ地区に詰めていたスキピア子爵が打って出て、敵将ヒシャームを討ち取りました。エフメト皇子の所在は分かっておりませんが、ドルク軍は既に撤退に移っております」

完全な勝利である。イゾルテはえっへんと無い胸を張った。

「そうか、渡河の阻止どころか撤退させたか。城外に打って出るとは聞いていなかったが、それは子爵の独断か? お前が仕組んだのか?」

「仕組みました。ですがヒシャームを討ち取ったのは出来過ぎです。彼の功績でしょう」

「そうか、褒めてやらねばな」


 ルキウスの心配事が済んだ所で、今度はイゾルテが自分の心配事を話題にした。

「ところで、父上の御加減は如何なのですか?」

「なに、ちょっとふらついただけだ」

ルキウスは強がってみせたが、テオドーラがあっさりとバラした。

「いいえ、血を吐いて倒れられたのよ」

「血を!?」

「テオドーラ、要らぬことを言うな。私は大丈夫だ。分かったな、イゾルテ」

あくまで強がる父の姿に、イゾルテは少し呆れていた。

「よく分かりました、父上の言葉を信じてはいけないということが。で、姉上、医者は何と言っているのですか」

「胃の潰瘍だろうと言っていたわ。過労と心労が原因だそうよ。だからしばらくは安静にする必要があるそうです」

娘達に無視されたルキウスはぼやいた。

「ドルクがさっさと攻めてこないのがいけないのだ。春先からずっと心配させおってからに……」

イゾルテは父の言葉に笑った。確かに1年近くずっと心配し続けていたのだから、彼の病気はそのせいかもしれない。つまりドルク軍は、ペルセポリスの城壁に到達することすら出来なかったのに、皇宮の奥にいた皇帝の胃壁には大穴を穿ったのである。今回の戦いで最大の戦果かもしれない。


「それなら、これで当分心配事はないですね。しばらくお仕事もお休み下さい。緊急の要件以外は姉上にお任せ頂けませんか」

「えっ、私にはまだ無理よ!」

突然のことにテオドーラは慌てたが、イゾルテは彼女の手を取って元気づけた。

「大丈夫です、私もお手伝いしますので」

「本当? ずっと付いててくれるの?」

「勿論です、姉上。私はいつもあなたと一緒です」

 自分を無視して手を取り合う二人を見ていると、ルキウスの胃がきりきりと痛んだ。だがイゾルテの言う通り、緊急の要件が去った今こそがテオドーラに経験を積ませるチャンスなのだ。

「わ、分かった。だが、大臣や官僚たちにも協力を仰ぎなさい。仕事をこなすことより、彼らとの間に信頼関係を築くことの方が大切だぞっ!」

彼がそう言ったのは、もちろん娘たちを二人きりにさせないためであった。

「分かりました。頑張ってみますわ」

「お休みの間に、父上の心配事を減らしておきますよ」



 翌12月10日、皇帝が寝込んでいることもありごくごく質素に戦勝報告の式典が行われた。出席者は陸海軍の代表の将官が十人ずつと、各大臣、十人ほどの官僚、元老院の代表として10人委員会の委員たち、そして2人の皇女だけである。

 いつもは玉座の左右に控える両皇女は、今日ばかりは立場が大きく違っていた。ルキウスの代理として玉座に座るテオドーラに対して、イゾルテは片膝を付いて報告をしたのだ。

 イゾルテの戦功はその場に居る全ての人が認めていた。彼女は今回の作戦を立案し指揮を取っただけではない。ドルクに備えて暁の姉妹号を建造し、イゾルテ・カクテルを開発し、アテヌイの目を用意していたのだ。ドルクはもう二度と、安易にペルセポリスを攻めることは出来ないだろう。彼女はペルセポリスの100年の安泰を勝ち取ったのだ。それなのにテオドーラが玉座に座り、イゾルテは臣下として地に伏していた。二人の生まれの違いが、その皮肉を生み出していたのだ。

 列席する廷臣たちはその光景を複雑な思いで見つめていた。だが、彼らは肝心なことを分かっていなかった。これは全てイゾルテ本人が仕組んだことだったのだ。


 彼女の目的は、ルキウスからテオドーラへ譲位するための足固めを行うことだ。そのため彼女は、玉座に座るテオドーラを重臣たちに見せるため、敢えてルキウスの回復を待たず式典を挙行したのだ。そして自らテオドーラに膝を折ることで、彼女の他に後継者は居ないということをアピールして見せ、さらにはスキピア子爵を褒めちぎって自らは脇役に徹した。

「子爵はわずか2000の兵で、攻め寄せる20万の敵からガルータ地区を3日に渡って守り切りました。そして夜の暗闇の中に敵の隙を見て取り、僅かな手勢で逆撃を加えることを申し出ました。私にはそれが無謀にすら思えましたが、彼は見事にヒシャームを討ち取り、敵を撤退させました。ドルクは5万の兵を失いましたが、ガルータ守備隊の死者はわずか91人でした。彼の働きがなければ、ドルクは未だガルータ地区を包囲し、渡河の機会を虎視眈々と伺っていたことでしょう。勲功一等はスキピア子爵にございます」

かなり嘘が混じっているが、それもこれも子爵をテオドーラの夫というへ据えるためである。イゾルテにとってこの席の主役は、テオドーラとスキピア子爵でなくてはならなかった。


「スキピア子爵、大儀でした。陛下に代わって礼を言います」

そう言って軽く頭を下げるテオドーラの姿は、自然に偉そうでなかなかに様になっていた。半年以上ルキウスの隣でその姿を学び続けた成果である。子爵はイゾルテの嘘に戸惑っていたが、彼女に忠誠を誓う彼はそれを否定出来なかった。彼はただ、あやふやな謙譲の言葉だけを口にした。

「勿体無いお言葉です。全てはイゾルテ殿下の指揮と、兵達の働きの賜物です」


 イゾルテの口上が嘘であることは本人と子爵だけが知る事実だったが、明敏にそれを察知した者が列席者の中に一人だけいた。1年前に同じことをした彼はイゾルテの意図を明確に掴んでいた。テオドーラを玉座に据えようという彼女の策謀は、彼の望みとは真っ向から対立するものだった。宮廷政治という舞台でのイゾルテの実力は未知数だったが、決して侮れるものではない。現に今、父である皇帝の病気を利用してテオドーラを玉座に据えてみせたのだ。

 戦いのために自らの悪名すら利用する彼女の、その恐るべくも頼もしい一面を彼ほど知るものはいない。だが、決行の日は既に目前に迫っていた。腹心が裏切っていることさえ知らない彼女に、それを止める術はない。そのはずだった。

 元老院総会が開かれるのはわずか5日後。それさえ終わってしまえば、もはや彼女にも皇帝であるルキウスにも覆すことはできない。彼女はその意志に関わらず、玉座に座らざるを得なくなる。ムルクスは一抹の不安を抱えながらも、玉座に座るイゾルテの姿を夢想していた。

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